371部:影武者(武田信玄)
近江浅井領。
浅井方は岐阜の信長の動きを注視している、また堀家の動きと、織田軍の襲来に備え、前線基地となるであろう横山城の守備を固める。
城主は、大野木土佐守秀俊だったが、負傷の為に現在は小谷城にて休養している。
替わって三田村国定、野村直隆、大野木一門の高坂が在番を務める、守備の兵その数三千。特に野村の率いる千兵は国友村の鉄砲弾薬で重武装化した軍団であり、その火力は紀伊国の傭兵集団:根来衆や、織田家の信長馬廻衆ともひけをとらないであろう、浅井家の虎ノ子の部隊だ。
「織田軍が来たら、いつでも狼煙をあげて小谷に連絡が出来るように! 小谷との連携が大事だ」
三田村が高坂に命じる。
「任せてくだされ、大野木様が必ずや後詰下さいます」
「温泉で早く傷が癒えればよいがな」
「梅雨の時期までに決着がつけば良いが・・」
野村は火薬が湿気る梅雨時のことが心配だった。
********
北近江小谷城、京極丸。
越前からの来援の大将:朝倉景鏡が、不機嫌な様相で「落窪の合戦」での六角家の敗戦報告を受けている。
京極家の者がいない上座に寛ぎ、その姿は露骨に横柄だった。
「六角のもろさよ、我らは15日の早朝に越前に引き上げる!」
景鏡の言葉に焦る久政。
「まだ緒戦の段階にて、朝倉殿が引き揚げてしまえば、折角の優位が崩れます」
「私は、六角家と浅井家が合力し従い、三位一体となった時にこそ岐阜に猛攻を駆けるつもりでいたのだ。かつての王翦将軍や宗滴殿の様に、我も大軍をもって信長を追い詰めたかったのに、もうそれも叶わぬ。ここにいても意味がない。萎えたのだ」
「意味がないことは無いですよ」
久政が猫をなでるような声で諭す。
「我が越前兵の士気も下がった。すべては六角が悪い」
「我等で十分に挽回できますとも」
食い下がる久政だが。景鏡は相手にしていない。
「うむ、ならば、浅井家の力でなんとかせよ。それから来る」
「そんな・・」
説得が出来ず久政がうなだれる。
そんな様子に構うこともなく、景鏡は傍衆を引き連れてさっさと京極丸から自軍に引き上げた。
**********
https://17453.mitemin.net/i458430/
甲斐国、新館
相模北条家の風魔ノ忍びを警戒し、甲府駿府間に巡らされた関所をいくつも抜けて行く道中は、戦時の緊張感を肌で感じた。しかし、東に富士を見ながら、隣に松姫が居てくれたことは奇妙丸にとっても織田家の面々にとっても、心強いことだった。
来る途中にあった甲斐の農家は、広大な敷地を有し、多くの牛馬を養い、みるからに裕福な豪農が多くいることがわかった。
甲府に到着後、松姫に先導されて躑躅ケ崎の城下町に向かう。甲州金山に支えられた経済力のもと、町人街は栄えており、他国から輸入した高価な品々が店に並べられている。町人街を抜けると、城下は都の様に整備され、とても美しく整然として武家屋敷が並ぶ。
「奇妙丸様、甲斐に居る間はこちらに滞在してください」
松姫が指さした方向に、新造の屋敷がある。
「奇妙丸様、お久しぶりです」
「おおー、熱田の宮大工衆に、尾張・東美濃の瓦職人に陶工達、三河の山師ノ衆・大工衆、東美濃の山師ノ衆、右官・左官のみんな、ご苦労だったな」
設計図を持って宮大工棟梁の岡部又右衛門以言が進み出る。
「丁度、完成披露ができ、奇妙丸様の喜ぶ笑顔がみられて我等も満足です」
皆の背後の御殿を右から左へと眺める奇妙丸。
「素晴らしい! 素晴らしい出来だ! 岐阜に戻ったら私の下に来てくれ、必ず褒美を渡す」
「どうぞ中もじっくりと見てやってください」
武田松姫が、奇妙丸に新館を案内する。
奇妙丸の基本設計と、現地にて岡部が松姫の生活がしやすいように、じっくりと松姫と傍ノ者達の意見を聞いて、巧みに作りこんでくれていたのだった。
「そうそう、基礎普請の段階から、信玄公が用事のない時はほぼ毎日見に来られておられました。信玄公から直接ご褒美も頂きましたし・・」
「え?!」
焦る奇妙丸。一度は様子を見に来られるだろうとは想像していたが、そこまで入り浸っているとは想像していなかったし、右官・左官の大工たちに褒美も与えてくれているとは・・。
「我々一人一人にどこの出身だと声掛けして頂いて、差し入れも頂いております。とても良くして頂いています」
と懐から取り出して甲州金を一粒見せてくれた。
「凄いな。それでは、私から信玄公によくお礼を述べなくては。流石信玄公だな」
普請現場の者達は、信玄公に相当の親しみを感じるようになっていた。
(武田家の御総領自ら普請を見学されるとは、松姫が可愛くてしかたないか、何か目的があって来られていたのか、嫡男を冷徹に廃嫡される方だし、想像の遥か先を行く方だな・・どのような人物なのか・・)
父・信長が、マムシと呼ばれる美濃の斎藤道三公と面会した時の緊張感を、自分も追体験することになる気がする。
********
甲斐国、躑躅ケ崎館。
「奇妙丸様、緊張されていますか」
「ええ、これからあの信玄公にご挨拶するのですから(から笑い)」
「私にとっては、良き父上です。きっと奇妙丸様にも良き義父となって下さいますでしょう」
「うん」
と松姫に頷き、覚悟を決めて、広間へと向かう。
武田家御親類衆(一門衆)が奇妙丸を出迎える。
諏訪勝頼は奇妙丸の11歳年長だ。背後には信濃衆の跡部勝資、跡部昌忠が控える。奇妙丸を見る勝頼の目つきは鋭い。
隣の仁科盛信は松姫と血の繋がりがある実兄だ。幾分笑みを浮かべて奇妙丸を見ている。
次に御親類衆の松尾信是、一条信龍・信就親子、河窪信実・信俊親子。武田信豊、望月信永兄弟、武田信友。準一門の穴山信君、小山田信茂が紹介される。
甲州武者といえば、山国の田舎にて荒々しき印象があるが、ここにいる武将たちは洗練された都の雰囲気も併せ持つ。畿内にでても違和感はないであろう。
ようやくたどり着いた正面の上座には、非常に容姿の良く似た二人の人物が座っている。
いったい、どちらが信玄公だろうか。
松姫が奇妙丸に何か言おうとすると、勝頼が手で制して止めた。
奇妙丸は進み出て失礼のないように両方に挨拶をする。
「婿殿、ようお越しになられた。良い顔つきだ。よく父上に似ているそうだな」
右側の人物が話し始めた。
「はい、若い頃にうり二つだと、宿老達からは言われます」
「父上とお主の性格はどうじゃ? 似ておるのか?」
左側の人物が話す。声も瓜二つだ。
「性格は測りかねますが、父のような修羅場を掻い潜っていないので、古参の者達からは目つきが違うとは言われます」
「なるほど。お主の性格は、普請現場の者達は一同に良いと言っていた。松姫からも聞いている。ところで、父上は人間五十年という幸若舞は、まだ踊っておられるのか?」
「!」
「昔、尾張から流れてきた和尚に聞いたことがあるのだ」
今度は右側の人物が話す。
「時々、節目の時に踊られます」
「そうか、昔から変わらぬところがあるのか」
なんと答えてよいか迷う。
「奇妙丸殿に、父上の真似を所望してよいか?」
屈託のない笑顔で頼む。
「!!」
自分は舞の役者ではないが、断って不興を買うのも問題だ。
「わかりました。それでは見よう見まねですが、至らぬところはお許しください。ところで信玄公はどちらが本物ですか?」
「「当ててみよ!」」と声が重複する。
両者をまじまじと見比べる。
右側の人物、左側の人物、両者とも戦国武将として圧倒的な雰囲気をまとっている。
柴田勝家の醸す雰囲気でいかにもといった剛毅な感じは右側、柔和ながら固い意志を秘めている様な感じは左側。丹羽長秀が老齢になればこのような渋い男という感じだろうか。
大工の話から想像すると柔和な印象の方が信玄入道ではないか?いやしかし、甲斐の虎と怖れられる戦国武将が一人で普請現場を巡るのもおかしい。やはり右側の人物が・・
しかし右側の人は父・信長と雰囲気がまた違う。大名とは、もっと何かを背負っている様な・・。
「そちら様では?」
(おおぅ) 家臣団の感嘆の息が聞こえる
「どうしてそう思ったのだ?」
右側の人物が落胆の表情で聞く。
「ご両者とも重厚な深みを感じましたが、多くを背負った雰囲気が左側の方にはありました」
「そうじゃ、儂が信玄入道じゃ」
信玄は奇妙丸から理由を聞いて嬉しそうだった。
「信廉は、もう少し真似の芸道を究めねばならぬな、
男たる者、何事も究極まで極めてこそ、人生の道が完成すというものだ
婿殿に一発で見破られる様では、儂が飛び加藤か風魔に寝首を掻かれる」
「面目ない。兄上を究めます」
英雄面の信廉が、小さくなって申し訳なさそうに頭を掻く姿に、場が和む。
「それでは、私も今できる芸道の精一杯ということで、父から学んだ幸若舞を舞わせていただきます」
「うむ、精一杯演じてみよ」
その言葉を受けて、立ち上がる奇妙丸。
「しばし準備を」
冬姫から貰った道具を、梶原平八と伴ノ桜が用意し、装着を手伝う。
「いよぉー」という発声から、
奇妙丸は武田家重臣一同の前で堂々と舞った。
**********
奇妙丸の見事な舞に、感動したものもあり、武田一門衆の中では素直に松姫と奇妙丸の婚姻を祝す雰囲気が形成された。
信玄入道が「見事!杯をとらせる」と言い、奇妙丸を傍に呼んだ。
諏訪四郎勝頼も、奇妙丸の傍にかけつけ、「婿殿、一杯!」、と祝い酒を一献勧める。
続けて、山科の夫婦が一門衆の注目を浴び、経歴の説明と共に併せて何か芸をすることになった。
準備の間に全員の前にお膳が用意され、食事をしながら、改めて織田と武田のものが交互に出し物を披露するということになった。
「我が娘を頼んだぞ、松姫のことはこれから新館御料人と呼ぼう。よいな」
「「ははー」」
ほろ酔いながら平伏する一同。
「それでは、皆あとは自由に。儂は婿殿と話がある、婿殿、松姫も儂の部屋にて話そう」
そう言って立ち上がった信玄と一緒に、信廉も立ち上がった。
館の中では二人で動く。隠密対策の為、武田家にとってはこれが普通のことなのだった。
*********
オマージュです。




