369部:落窪の合戦
織田軍本陣。
「六角軍本陣の動きはありません」
息子:信栄の報告を受けて、自然木を利用した簡易的な物見櫓に登り、川向こうの笠原に陣取る六角軍の旗をみる。そして、野洲河原にて展開される柴田軍の激闘をみる信盛。
「一進一退。膠着しているな」
「大軍を相手に、柴田殿はよく頑張っています」
「戦場で矢玉を恐れず指揮する姿が、やはり奴(勝家)には似合っているな」
都にて、直垂を着て、威儀を正している姿は、昔から勝家を知る信盛には、やはり違うと思う。
いつまでも勇者:柴田権六であり続けて欲しいものだ。
長光寺城には本拠地防衛のための守備兵が1500と、兵たちの家族である尾張や美濃から移住した老若男女婦女子が1000程。
信盛の頭の中では、消耗した柴田隊を収容しての、落窪から長光寺までの撤退戦の筋書きが計算され始めた。
「大将、森の向こうで、何か異変が起きています」
信栄が六角家本陣のある方向の異変に気が付いた。
「なに?」
織田軍の本陣が、六角軍の後方の異変に気付いたころ、六角軍の中でも慌ただしく伝令が動き始めた。
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六角本陣、笠原。
「奇襲! 後方から奇襲!」
「なんだと?!」
急速に浮足立つ六角軍。
「織田軍の襲撃、襲撃ぃ!」
蒲生忠三郎が岐阜城からの援軍を先導し、美濃と近江の最短距離を進み、遭遇した六角方の草草は片っ端から打ち取ってここまで進んで来ていた。
「森長可、推参」
先行して疲労していた蒲生隊に替わり、森長可率いる兼山衆・東美濃衆が、兵力五千の六角本陣に突撃する。
「見張りは何をしていた!」
義治が叫ぶ。
「甲賀衆、失態だぞ!」
義賢は甲賀のお頭達を叱咤する。
「御屋形様、申し訳ございません」
甲賀衆達も柴田軍との合戦に注力していたため、完全に虚をつかれた表情だ。
六角軍は油断していた背後を突かれて、陣営の切り返しが間に合わない。
「森? 鯰江の森か? 裏切りか?」
「違います、あの旗は美濃兼山の森です!」
諸国に通じた伊賀の者が答える。
「ならば、森三左可成が来たか?」
「奴は京都の境、宇佐山城のはず」
「では本人はおらず、旗印だけの威嚇だな」
義治が安堵の表情を浮かべる。
義治は「鬼三左」と異名を轟かす森可成を恐れていた。柴田・森・佐久間が揃ってしまえば戦場の優位が覆ってしまうかもしれない。可成が居ないのならば恐れるに足りないだろう。
だが、戦場に出現したのは森軍だけではなかった。
「蒲生忠三郎、見参!!」
乱れた装備を整え一休みした蒲生軍が、森軍に負けじと、すぐに六角本陣にむけて突撃を始めた。
「大変です、蒲生が、蒲生の旗です」
「うぬぬぬ、裏切り者が出てきおったか」
かつて六角家の戦奉行として名を馳せた蒲生家の裏切りに、義賢は心底腹を立てている。
「今までの引き立てを仇で返しおって、賢秀は刺し違えても討ってやる」
忠三郎の父、蒲生賢秀は六角義賢から一字偏諱を貰っている親密な間柄だった。
「森、蒲生の軍、その数千以上かと」
「うぬぬぬぬー」
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「「わああああ」」
陣幕の外で喚声が聞こえる。
「何事?」煩いと怒りの表情の義賢。
そこへ佐々木家の家紋が入った幕を切り裂いて、一騎の騎馬武者が躍り出た。
「楚葉矢の剣に決闘を申し込む」
血まみれになり、鎧が朱色に染まった森長可だった。
義賢の旗本衆が御屋形様を守ろうと長可を取り囲む形で迎撃にあたる。
「これが我が槍! 人間無骨だああああああーーーー!」
槍を受け止めようと出した刀を折り、鎧を貫いて旗本が宙に跳ね上がる。
「ひいいー」
無骨の尋常ならざる切れ味に戦慄する旗本衆。
義治の傍衆は、六角親子を守ろうと円陣を作る。
「にげろぉーーー」
義治が長可に怯えて、傍衆を顧みず支城:石部城めがけて来た道を走り出した。
「殿、退却をー」
陣形が崩れたので御屋形様(義賢)にも退却してもらおうと旗本衆の叫びが交錯する。
「御屋形様、ここわ我らが!」
傍衆が義賢の愛馬を曳いてくる。
「うむ。おのれぇ蒲生に森。覚えておれ!」
捨て台詞を遺し、義賢は馬上の人となった。
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落窪の郷。
「今が勝機だっ!!」
信盛の頭の中から撤退の二文字は消えた。
「馬曳けー! 乱入するぞ!」
「本陣は?!」
「勝ってから片付けよ!」
「「お おおおおー」」
信盛の前向きな言葉に勝利を確信する将兵たち。
「佐久間隊、突撃――――――!!!」
本陣を放置して、佐久間隊は柴田軍の加勢に向かった。
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「掛かれー! 掛かれー! 勝利を殿に!」
六角軍の中を、無人の野の如く引き裂いていく勝家。
「我は勝豊様家臣:徳永寿昌、主に代わりて三雲三郎左衛門、打ち取ったりー! 一番首だー!!」
敵の主将である三雲賢持を、勝家の養子:勝豊の家老となった寿昌が打ち取った。
勢いに乗る柴田軍。
「我は美濃の徳山秀現、高野瀬美作、打ち取ったりー!」
続けて、西美濃にて勝家の与力となった徳山が、力尽きた高野瀬を打ち取った。
「三雲賢持、戦死!」
六角軍の伝令が訃報を知らせる。
「高野瀬殿戦死!」
味方に次々と絶望的な連絡が届く。
「退け!退けー!乾、永原殿に退却を伝えよー!本陣にて合流だ!」
息子:賢持を討たれた三雲定持が、これ以上の前線の維持は困難とみて退却を命じたが、後方で本陣の崩壊は始まっており、この決断は時既に遅かった。
「「退却だー」」
織田軍に追い立てられて、混乱の境地に至った六角軍。
前線で奮闘した兵士たちは、この後の撤退戦にて、さらに地獄をみることになった。
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六角軍6000兵は、軍監:三雲定持の退却の号令と共に全軍総崩れとなった。
「我が軍の勝利ぞ!!」
「勝ったぞおおーーーー!!」
六角軍は三雲定持、三雲成持親子はじめ。高野瀬美作守。永原遠江守重久といった譜代の重臣達。六角軍に与力した伊賀衆、甲賀衆のお頭達が多数打ち取られた。
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安土城
「柴田・佐久間軍の大勝利、六角軍の首七百八十!!」
中川重政は、柴田軍勝利の速報を聞いて青ざめる。ここまで早く決着が着くとは想像もしていなかった。
「まずいぞー」
動揺する中川家の頭領達。
「我らは琵琶湖湖上の海賊衆を相手にせねばならなかったのだ、柴田を援軍出来なかったのは理由がある」
兄のことを励まそうとする津田信任。
「それにすぐそこの観音寺城を一揆に奪われるわけにはいかぬからな」
「うむ、そうだな。観音寺城も守備せねばならぬ。致し方なかったな」
兄弟は、何かと理由を考えて、自分達の中で後詰にいかなかった行いを正当化した。
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