360部:姫武者
浅井領前線基地。佐和山城、本丸。
織田と、六角一揆に備えて臨戦態勢の城主・磯野員昌の下に、西から中山道を織田奇妙丸軍が進軍しているという関所出丸の宮沢帯刀からの伝令が入る。
「織田勢がいよいよ来たか、都に上る増援ならば、ここで我らが食い止めれば今後の戦局に大きな影響を与えるだろう。上洛軍は断固阻止だ」
「それが、東からも観音寺城に織田信長軍が次々と入城していると、琵琶湖の漁師供から連絡が来ております。その数およそ一万兵」
父・員昌に織田軍の動向を報告する息子の右近昌行。
「京都からも引き上げてきたか、いよいよ織田信長公が我らの相手か」
員昌が眉間にしわを作りより一層厳しい表情になる。
「それが、織田の重臣、坂井、森、佐久間、柴田は観音寺には来ておらぬそうです」
右近の言葉に、少し驚く員昌。
「重臣たちは都の守りに置いてきたか。これは、清水谷にもご一報いれたほうがよいかもしれぬ、な・・」
織田信長との決戦の時が近づいてきている。織田家の猛将たちがそれぞれに役割を与えられて分散しているならば、信長を叩くのは容易かもしれない。
「これは天の恵みか」
員昌の与力には、久徳氏と争う高宮氏や、今井家の元家臣だった田那辺、河瀬、島、岩脇等が居る。
自分の役割は、彼らを糾合して織田軍の京都への増援を阻止する。そして、京都からの帰還軍は通行を許さない。
もしくは、出来る限り佐和山城外に織田軍の留まる時間を稼ぎ、浅井の全軍が後詰に来る時間を作り、浅井が織田信長との直接決戦に持ち込める状況を作ること。
それが最も短期間に争乱状態を収束させる一手だろう・・。
「糞六角などの手を借りずとも、男闘呼!員昌が織田軍を止めて見せる」
員昌は、独力で信長軍を佐和山に引き受けるつもりでいた。
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東山道。菖蒲ケ岳~佐和山間。
一路、佐和山麓へと街道を進む武田松姫旅団。この旅団の前方は、武田の家老・駒井昌直が先行する。
奇妙丸軍の中から、武田軍最後尾の兵を率いる松姫付きの川尻下野守吉治に追いついて、騎馬を並べて話しかける者がいた。
「川尻殿、気分はどうだ?」
川尻に話しかけたのは、第二陣の伊勢衆を率いる織田信興だ。
「久々に織田軍に復帰しましたから興奮していますよ」
(信興殿は、自由なお人だ)答えながら思う吉治。
「若のお役に立てるようなので、この信興も松姫を送ってここまで来たかいがあった。こうして、武田軍と旗印を並べて行進しているのは誇らしい気分だ」
「そうですね、浅井勢に、信興殿の率いる伊勢兵の旗を見せつけるというのは重要なことです」
「我らを敵に回せば、伊勢との商売にも滞りがあると、北近江の民も厭戦気分ができよう」
「そうですね、経済的な生活基盤が揺らげば、戦争どころではないですからね」
二人の意見は、戦争は早く終わらせなければということで一致していた。
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奇妙丸の本軍。
「奇妙丸様、私達も松姫様の護衛に加わった方が良いでしょうか?」
先行する武田軍を心配して、奇妙丸に尋ねる佐治新太郎。
「いや、桜がついているから大丈夫だと思う」
「奇妙丸様をお守りしなければ、我々の面目が立たぬ」
新太郎に、焦るなという表情で語りかける金森甚七郎。
「そうだな・・」
「楽呂左衛門勝成も、三左衛門勝盛もいる。それに惟宗宗五郎殿もな」
奇妙丸が振り返って、宗五郎に話しかける。
「乗りかかった船でもありますし。それにお薬代も頂いておりますから」
「越中の漢方薬が手に入るのは、非常にありがたい」
「医術は今の時代、必要ですから」
「武ばかりでなく医の心得も必要なのですね。薬草は主に越中で手に入るものですか」
「いえ、長崎から日本海の航路でもたらされる輸入品や、和泉堺や紀州雑賀から入手するものです」
「そこで交易が成り立っているのですね」
室町幕府の三管領家のひとつ畠山氏が、主要貿易港のある紀伊や和泉、内陸の川湊のある河内や山城、日本海側の湊を持つ能登と越中の斜めに走る帯で、所領を確保しているのは、太平洋と日本海を結ぶ畿内の流通に大きく関わろうという判断だったのだろうか。海外との交易の利権を得るために、幕府の実力者・細川氏や畠山氏が暗闘し世を乱していったのかもしれない。
「南蛮にはもっと珍しい薬もあるとのことで、楽呂左衛門殿と話が出来た道中は非常に有益でした」
白武者を率いる呂左衛門が自分のことが話されていると思ったのか、ニコリと笑って親指で合図する。
「惟宗殿、出来れば我が軍の従軍医師として、織田家に専従していただけぬでしょうか。我が軍には貴殿のような人材が必要です」
空をみて考える宗五郎。
「そうですね。利益がありますし、前向きに検討いたします」
「有難い」
そのやり取りを眺める佐治と金森。
「奇妙丸様は、士を愛される大将になりそうですね」
惟宗と語り合う奇妙丸を見ながら、甚七郎がつぶやく。
「宗五郎が羨ましいのか?」
甚七郎をからかう新太郎。
「うるさい」
軽口に腹を立て、新太郎の馬の尻を蹴飛ばす甚七郎だった。
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浅井家佐和山領、関所。
現在この関を預かる宮沢弾正昌春は、以前、斎藤内蔵助利三に押し通られた件で、出丸本城の父・帯刀員清から酷く責められたため、織田家の者は何人も通さぬよう配下に命じて、厳重に通行人を取り調べていた。
「ここから先は浅井家に関わる者以外、通ることは出来ぬ。引き返されて別の道を通られよ!」
「我等は武田軍、信玄公の譜代家老衆の侍大将の駒井右京進直昌! ここに信玄公の書状も持参している。 佐和山城主・磯野丹波守員昌殿に用がある開門されよ!」
「たとえ信玄公の使いであっても私の一存では判断できぬ。書状は預かるが、ご当主同士の話し合いであれば清水谷の浅井長政公のご判断を仰がねばならぬ。二・三日ここにてご逗留お願いしたい」
列の後方から粛々と二人の姫武者が、城門前までやって来た。松姫と桜だ。
近江で武勇を馳せた「木曾の巴御前」が再来したかの如く勇壮な井出達に浅井の兵士は驚く。
戦国の世とはいえ、大名の姫が武装して騎馬を駆るというのは異例中の異例だろう。
桜が、松姫を守るように一歩前に進み、威圧する目で浅井衆を見回す。
姫武者の勇ましい姿に、流石、武田軍だ。と感嘆した浅井兵達。
「私は武田信玄の娘・武田松姫です! 城主・磯野員昌を今すぐここに呼びなさい!!」
「うっ」
激怒する松姫に驚き狼狽える浅井兵。
「武田をなめているのですか!!!!」
「いっ、いえ。けしてそのようなことは」
「ならば早くしなさい!!!」
松姫の声は張りがあってよく通る。
「はっ、はい!」
松姫の迫力に気圧された宮沢弾正昌春に、伝令を命じられた部下が、騎馬で早急に佐和山城へ向かう。そしてもう一方で、番屋から狼煙をあげて出丸や本城に「火急の用」を知らせる二段の構えだ。




