356部:小倉御前
近江国観音寺城、城下町前の関口。
永原城を出発した織田の主力軍が、浜街道の西から、黒の一番大将・川尻秀隆を先鋒にその容貌を表す。
信長旗元馬廻りから選抜された黒幌衆の一番から十参番の大将の中で誰もが実力第一と認める川尻が先鋒を勤めている。黒幌の構成員は与力を従える侍大将身分の者だ。
第二陣は岐阜軍を率いる梶原景久、続いて、信長の義兄弟に当たる西美濃の旗頭で赤の新四番大将・金森長近、そして信長の側近(相談役)としての地位も持つ市橋長利の軍、尾張衆をまとめる信長乳兄弟の池田恒興、信長旗元の本軍を率いる赤の新一番大将・福富秀勝、清洲軍を率いる宿老家の御曹司・林光時、尾張岩倉衆や新参衆を率いる木下秀吉、西三河軍を率いる中条家忠、尾張知多半島を抑える信長の盟友・水野信元、尾張水軍を率いる織田準一門の佐治信方(為興)、同じく三河衆を率いる徳川家康の軍勢が次々と観音寺城に入る。
信長傍衆の中から選抜された赤幌衆は、一番から十番までが初期団員だが、名門子弟の跳ね返りが多く、一番の前田犬千代の罷免や、下位団員の出奔事件などがあり、構成員が次々と代わっている。現在までに選抜された者は十八名になるが、抜けた団員の番号を埋める形で補充されるので、団員番号は重複する。
現在の赤一番は福富平左衛門秀勝だ。
彼らは信長側近に選ばれる富裕の名門家の子息(元人質的な立場の者も多くいる)なので、単騎駆けではなく、いざとなれば最初から家の子郎党を動員できる立場の者達だ。
今回、安土山城主に選ばれた黒の元二番大将・中川重政の率いる軍は、観音寺城の手前にて、軍列から離れて北に向かい、観音寺城の北側・安土山城の任地に向かう。新しい所領の獲得を見込んで、新旗頭・中川重政の下には各軍から身を投じる士卒も多い。新規参入の者は、政務の片腕となる重政の弟・津田信任のところに次々と編入された。
都を出てからの連戦に、消耗の見える兵士達もこの頃には、もうすぐ故郷に帰国できるという気分も高まって幾分元気を取り戻している。
観音寺城から西は、湖岸近くの山崎城の城主・山崎片家が織田家に忠節を尽くし、佐和山城との前線を維持しているという報告が入り、織田主力軍は休息の後、愛智川を渡河し山崎城へと向かうことになる。
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蒲生賢秀の居城・日野城、蒲生氏居館。
大広間の上座に信長が座し、蒲生家の面々がその前に控える。
信長の面前に、蒲生家一族の面々と、六角衆から織田家に出仕替えし蒲生家の与力に付けられた在地の小名や、土豪の親方達が集っている。
日野城下町の外には、与力衆の配下の軍勢が参集していた。
「大森城の布施藤九郎公保に御座います。観音寺城は利三殿に任せ引き揚げてまいりました」
若武者・布施藤九郎が元気に申上する。
「此度の働きご苦労。今後の勲功次第では、我が旗元に加えよう」
「有難き幸せに御座います」
藤九郎は蒲生家の与力から、信長直属の直参衆に引き立てられるかもしれないという言葉に衝撃を受けて感激している。
「佐久良城主、小倉本家の小倉三河守実隆に御座います」
この老将は、蒲生賢秀の叔父にあたり、小倉の惣領家に養子入りしたのだった。
「山本城主、小倉西家の右京亮実治です」
実隆に続き申上する実治。実治は蒲生家に忠節が厚い。
「高野城主、小倉東家の兵庫亮実房の妻、息子・甚五郎にその弟・松千代に御座います」
この若者は、幼き頃に信長に対面していた。
「先年、実房殿には迷惑をかけたな」
・・・・・以前(永禄2年:1559年)信長は、三好長慶や松永久秀の当時最新鋭の新城普請を見学すべく危険を冒して上洛した。その行動を知った斎藤義龍と六角義治は信長暗殺の刺客を放ち、それを掻い潜って帰還した際に、鈴鹿八風峠越を小倉実房に依頼したことがあった。実房はその後、惣領・六角義賢の追及を受け、六角家武者奉行の蒲生定秀が泣く泣く一族の実房を誅殺したのだった。定秀は未亡人となった実房夫人と息子二人を引き取り加護していた。
「もったいないお言葉。息子も大きくなりました」
小倉甚五郎が母・小倉御前の言葉に合わせて平伏する。
(父の仇ともいえる蒲生家で育てられたか・・。不憫よのう・・)
「甚五郎、母と共に峠越えの供をいたせ」
「は⁈ はっ」
「よいか定秀?」
老将・定秀に東小倉家の処置を尋ねる。
「異論ありませぬ」
老将は深々と頭を下げた。
信長は小倉実房夫人と、その子二人を、岐阜城に引き取ることに決めた。
「奇妙丸が兄弟が離れて寂しいだろうからな、良き話し相手になってやってくれ」
「ははっ」
もう一度深く頭を下げる甚五郎。女手で育てた息子の生き方が決まり母御前は感涙していた。
「青地茂綱に御座います」
蒲生賢秀の弟だ。六角家重臣の名家・青地家の養子となっている。
「速水甲津畑の「菅(勘:かん)」六左衛門に御座います」
武者奉行六角家の下で、隠密活動を担ってきた菅一族の長だ。
「現在の六角党の動きは分かるか?」
信長の質問に答える六左衛門。
「六角親子は鯰江城から動く気配はなく何やら策を練っている様子。当方は、岐阜城を発した若・奇妙丸様が、堀秀村殿と不戦条約を結び、菖蒲ケ岳城まで進出されているそうです。磯野の佐和山城は目と鼻の先です」
「愛智川以西の地は、六角牢人衆が我が物顔に跋扈していると聞くが・・」
「確かに愛知川沿いに進出し、浅井方の高宮氏は佐和山城に籠り、山崎氏は久徳氏とともに織田方として山崎山に籠城中。箕作城、和田山、百済寺、多賀氏、目賀多氏といったところが六角勢に加担し、周辺は制圧されています」
大森の布施、久徳氏は反六角として一貫している。特に久徳氏は浅井家陪臣の高宮家と領地をめぐって仲が悪い。
「南近江が維持できているのは、やはり、観音寺城を斎藤内蔵助殿が逸早く抑えたことが大きかったのでしょう」
戦況を分析する蒲生賢秀。自分は内蔵助のような「火中の栗を拾う」派手な動きはまったく思いつかなかったので、今回の件で内蔵助という武将に一目置くようになった。
「内蔵助は面目を立てたな(油断できぬ奴だ)。奇妙丸もあの年齢にしては上々の出来だ。近いうちには織田の主力軍が美濃へと帰還できるだろう」
ここで信長は奇妙丸を絶賛はしなかったが、敗退の報に接して臨機応変に対応した我が息子の将たる器を感じて、内心は大変喜んでいた。次男・三男の鈍重な動きは、養子先の家に気をつかってのものだろうか、もしくは、付け家老の老臣供等が出先の家中を未だ統一出来ていないことの表れだろう・・。
秩序が失われた混乱時にこそ、本領が発揮される武将という者はいる。それは「乱世の奸雄」と呼ばれる人種だ。
(奸:ずるい・わるがしこい意味。信長自身がその分類に含まれるが)
今回の、利三の一連の働きは、結果的には素晴らしいものだが、東美濃の軍監という自分の担当を投げ出し、岐阜に居る奇妙丸の伺いも立てずに、勝手に南近江の拠点へと進行したものだ。
その内心には、織田家に何かあれば独立して、無政府の南近江にて一旗あげようという下心は無かったのだろうか。
信長が最前線の観音寺城に向かうことを警戒したのは、斎藤内蔵助を疑うその部分もある。対面すれば恩賞も給付しなければならないが、恩賞を出す前に内蔵助の内面を見極める必要がある。じらして後のち、何事もなかったように恩賞を出して接することもできる。とりあえず今は放置だ。
未亡人の御前は、のちに信長の〇室に?!




