354部:琵琶湖六大将
近江国、永原城。
「秀勝、殿(信長)様は?」
中川重政が、同僚の福富秀勝に尋ねる。
「大事な話があるので、大将格の皆さまの到着を持っている。もう少し待たれよ」
信長主力軍を形成する五大将のひとりで西三河衆を率いる佐久間右衛門尉信盛は、既に到着していて、腕組をし、難しい顔をして着座している。
・・・・・織田主力軍。旗頭となる五大将は、
一、森可成「鬼三左」
二、坂井政尚「鬼右近*」
三、佐久間信盛「退き佐久間」
四、柴田勝家「かかれ柴田」
五、瀧川一益「攻め瀧川*」である。
「柴田参りました」
続いて、五大将のひとり尾張衆を率いる柴田修理亮勝家が、周囲の者を圧倒する闘気をまとい現れる。
「家康参りました」
「木下参りました」
あとに続いて、続々と尾張譜代の諸将が入って名乗る。
そして、
「西美濃衆、揃いました」
「東美濃衆、参上つかまつりました」
尾張衆に対面する様に美濃の諸将が着座する。
福富秀勝が、いつものように参陣諸将を見渡し欠員がいないか確認する。
確認し終わった秀勝は、信長の傍衆・菅屋御長、堀久太郎、矢部善七郎に頷いて合図した。
「では、軍議を始めます。殿様におかれましては既にこの場をたたれています。が」
「「なんと!?」」
万見仙千代、大津伝十郎、長谷川竹など側近衆の半分ほどがいないのでいつもと雰囲気が違うとは皆感じていた。その違和感がここにきて、すっきりとした。
「ここに、皆さまへのご指示が書き下されておりますので、読み上げます。殿様のお言葉としてお聞きいただくように」
「う、うむ」
諸将が神妙に構える。
「17日明朝、九里三郎左衛門は、金森の門前で切腹に処する」
「・・・・・・・」
表情を引き締め、静まり返る武将達。
「柴田勝家、蒲生郡浜街道南側を預ける、長光寺城御番役を命じる。与力は蒲生忠三郎の一軍」
「はっ」
(あいかわらずの鬼殿様だ、蒲生の子せがれと、一揆の蜂起するこの地にとどまって土地を切り取ることが褒賞だとはな!しかし、腕鳴らしには調度良い)
「佐久間信盛、野洲郡永原城御番役を命じる。与力は永原、山岡」
「はっ」
(ここから移動しないで済む分、柴田よりは楽な条件か。京都も近いし不足はない)
「中川重政、蒲生郡浜街道北側を預ける、安土山城御番役を命じる。与力は建部に永田」
「はは!」
(我も大名となった。あとは切り取り次第。近江国に初めて所領を持つ織田。いや中川だ)
「森可成、志賀郡宇佐山城御番役を命じる」
森可成は今も宇佐山城の築城作事の奉行を務めここにはいない。
「坂井政尚、志賀郡堅田御番役を命じる。」
坂井も湖北の抑えとして、前線の坂本で陣を張っている。
緊張した秀吉が、喉を鳴らす。
「明智光秀、高島郡田中城の御番役を命じる。以上」
京に居た明智も、浅井反逆の非常事態なので、京都から幕府軍を率い田中城まで出張るように既に命じられていた。
幕府将軍方の旗印を掲げる明智軍に対し、浅井軍もあからさまには攻撃的な手段を講じては来るまいとの読みだ。とりあえず湖北の境界を維持できれば良い。
「この佐久間信盛、家臣団を代表して、信長様に御礼を申し上げまする」
と立ち上がって、信長の代読をした福富秀勝、そして側近衆に頭を下げる。家臣団一同が佐久間信盛に合わせてお辞儀する。
側近衆は、不平や不満を抱えて態度に出す者がいないか、じっくりと観察するのだった。
「それでは、ここにおられぬ森殿、そして坂井殿、明智殿には私から連絡しておきます。解散!!」
信長は、今までに大きな勲功を上げた五将を御番役に任じ、南近江各郡の分郡支配の配置を決めていたのだった。
あとはその土地土地の諸豪が、大人しく御番役に従うかどうかだ。これからは各自の才覚次第である。
「おお~~~~~~~~~~~~」
新しい人事に、喜ぶもの、不安に思うもの。それぞれだ。
「南近江の直轄領を、大将の皆に分配されたぞー」
「領地持ちの大名じゃ」
「中川重政殿は、ついに御宿老の列に並ばれたのだ。うらやましいことよ」
前田と、佐々が同僚の立身出世を祝福する。
「馬廻衆の出世頭だな」
黒幌衆筆頭の川尻秀隆が、目を閉じて腕組している。誰も秀隆には声を駆けれない雰囲気だ。川尻は信長本陣を固める役割が多く、疋壇城攻めに軍功を上げてはいたが、中川重政の方が多く大将首を取っていたので、秀隆なら軍功を挙げて当たり前という雰囲気の中で、印象付ける程の大手柄がなかった。
それに今回、観音寺城にいち早く入り、六角軍の出鼻を挫いた斎藤内蔵助利三や、その寄り親である稲葉家、それに湖西地域を鎮圧した西美濃四人衆に対しても恩賞は宛がわれなかった。
これまで信長に忠節を尽くした年月から見れば、織田信長の下で桶狭間から現在まで、幾多の合戦に駆け付けて、支え続けた柴田・佐久間・森・坂井に恩賞が下ったことは当然である。
また、元黒幌衆筆頭の川尻を差し置いて、新参の自分達が領地を主張することは、差し出がましいことだと、心の憤懣を納得させる。
自分は三河の遠隔地が本拠なので、宛がわれることはないと思ってはいたが少し期待していた徳川家康。
知多の水野家も、誰も褒賞は頂いていないが、三河衆から坂井(酒井)や、石川、高木といったところも今回の若狭の殿軍では大いに勲功をあげた。これに対する恩賞は、のちのちの出世払いというところか。
まずは尾張の譜代優先なのだろう・・。
明智に関しては、浅井に対して有利に望む戦略上の恩賞といったところか。
「それで、信長様は何処におられるのだ」
家康が、福富秀勝に問う。
「それは機密に御座います」
昔の幼き頃と同様に、困った信長殿だ・・。
「我等、三河衆はどうすればよい?」
「我らに託された言葉は、残りの織田兵をまとめて観音寺城に来るようにとのこと」
「そうか、信長様は一足先に観音寺に潜行されたと言う訳なのだな」
「御想像にお任せします」
ニヤリと笑う秀勝。
秀勝は、家康とは津島河口家を通じて旧知の間柄だ。幼い頃には人質の竹千代(家康)と一緒に遊んだこともある。
「お主たち御馬廻の面々はどうするのだ?」
「御馬印をもって供に観音寺城へと向かいます」
「なるほどな」
誰かが信長の影武者的な役割をして、六角の率いる甲賀衆に正確な本陣を割り出させない作戦が遂行されているのだろう。
(将来、参考になるかもしれぬな)
信長のすることには見習うべきところが多い。
「我々の任地は決まった。早速向かおう。よろしいかな佐久間殿」
床几から立ち上がる柴田修理亮勝家。
「そうだな。故郷の水はまだ飲めぬが、琵琶湖の水で茶でも頂くとしよう。はっはっはっはっ」
「では、さらばだ。諸君、達者でな!」
柴田・佐久間の両将は、それぞれの秘書役の者を連れて、新たに自分の傘下となった近江の与力衆への出陣指令を書かせながら自陣に戻っていった。
「木下殿、残念でしたな」
不満顔の秀吉の肩をトンと叩く中川重政。秀吉の傍にいた蜂須賀と、前野もやや不機嫌な表情だ。
「中川殿は見事なご出世。羨ましい限りで御座る」
「なに、都の大衆の前で、信長様は木下殿に城を与えるとおっしゃっていた。次はお主の番よ」
「うむ。それを目指して朝も夜も励みますぞー!!」
「ハッハッハッハッ、なにに励むのやら」
「夜討ち朝駆けは武士の常。ウッキーで御座る!」
織田軍の主力は、永原城を出立し、ぞろぞろと次の目的地・観音寺城へと動き始めた。
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*今はこんな感じで。
*明智光秀の田中入城について。
・・・米田文書の永禄9年は本当なのでしょうか。
明智光秀の田中入城はこの頃だと思いますが・・・。
「本能寺の変」後の明智党狩りを回避するために、
奥付を後から古い時期へと書き直してみたとか・・。
明智と深い付き合いならば、通常、門外不出というか世に出せないものになるはずですし。
なにか、ごまかしてるととれないでしょうか。




