343部:九里(くのり)守山合戦
近江国、守山城
稲葉伊予入道一鉄斎、勘右衛門重通、右京亮貞通父子は、近江守山城下町の郊外に布陣し、観音寺城を占拠した斎藤内蔵助利三の連絡を待っていた。
稲葉軍は街道筋の拠点確保のため、六角牢人軍よりも先に近江国守山城に入ろうとしたが、既に牢人一揆が城を占拠し、城下の市街地も一揆衆により完全支配されている。
一鉄の長男・稲葉重通が、一鉄嫡男で弟の貞通に城内の様子を伝える。
・・・・稲葉家では土岐家の家督相続争いの教訓から、後継ぎが早くから決められていた。
庶腹の重通は武術に優れたなかなかの武将だが、家を相続するのは正室腹の貞通だった。
「六角一揆の首謀者は、南近江にその人ありと言われた、九里三郎左衛門のようだ」
・・・・・・・・・・・近江、久里氏。九里氏は本郷城の城主。鎌倉時代から六角家に仕え、六角家の一族の有力者・伊庭氏の執事として権勢を誇る。南近江の九里村を支配し、室町時代には六角氏の代官・伊庭氏の又代官を務めた。今から47年前の1523年には、当主・九里高雄が主・伊庭貞隆とともに、伊庭氏の勢力を抑えようとした守護・六角氏と戦い戦死している。九里三郎左衛門は、六角重臣の永田氏の出身だが、近江の名門を再興するために婿養子となって家名を継承していた。
守山城の楼閣から、稲葉軍の動きを見る三郎左衛門。
「九里氏の底力を見せよ!皆の衆!!」
「「おう!!」」
再び六角家が南近江に君臨する千載一遇の機会と、六角牢人衆の団結は強い。
九里氏の旗をみて、城方が既に万全の備えであるとみる稲葉伊予入道。
城を攻めては味方に被害が多数出ると読んだ稲葉親子は、敵軍を郊外へと誘導する為、近くの“へそ村”に放火し煙を挙げ、更に、守山城下町の南口より侵入し、城下に焼き入れようとした。
ところが、城下から南口へと九里軍が押し出してくる。
「我らの城下に、勝手なことはさせぬ!」
士気も人数も優勢とみて、城から打って出た九里軍。
稲葉伊予父子の軍勢との間に小競り合いが起き、それが更に拡大していき、本格的な合戦が始まった・・・。
勢いのある九里軍の予想以上の攻撃に、戦線の維持が厳しくなる稲葉軍。
南口から既に一里は敗走し、
庶兄の重通、嫡男の貞通の備えが敗れ、入道一鉄斎の本軍まで、九里軍は迫る勢いをみせる。
そこへ、戦煙の黒煙が城下を焦がす混乱に乗じて、守山城から見えない場所で野洲川を渡河してきた観音寺城の織田方軍が、城下町を迂回しながら戦場に現れ、南口から戦場まで間延びした状態になった九里軍の横合いを突いた。
「永原越前守重康見参、織田方に加勢する!」
「おお、援軍か!」
九里軍の背後の軍勢の乱れを察知する伊予入道。
「永田刑部少輔景弘、見参!」
・・・・・景弘は、九里三郎左衛門の実弟で、兄が名門・九里家を相続したことを誇りに思っていたが、父・備中入道賢弘とともに早くに主君・六角義治を見限っていた。
「九里三郎の弟は織田方だぞ、弟が裏切ったぞ!!!」
九里軍に精神的な動揺が走る。景弘は六角家を見限り織田方となっていたが、兄の三郎左衛門が挙兵すれば、兄に従うのではないかと周囲は考えていた。
さらに、鯰尾の兜を被った武者が先頭に立つ一団が、九里軍の本軍に向って迷わずに突進してくる。
「蒲生忠三郎、美濃衆に御味方いたす!」
「蒲生が来たー?!」
近江衆の中では日野蒲生氏は旧六角家の戦奉行の血筋として恐れられている。日頃から良く知る旧知の元六角家臣団の多くが、越前表での敗報を聞いても、織田方についている事実をみて、九里軍の士気が落ちる。
近江守山合戦は、稲葉軍が逆転し、九里三郎左衛門は弟の永田刑部少輔の軍に降伏し、織田の軍門に降った。
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守山城郊外のお寺、稲葉伊予入道の本陣。
織田方の諸将が集合し、九里軍の首実検が行われる。
「利三は来ていないのか?」
伊予入道から尋ねられる忠三郎。
「利三殿は六角義治の動きに備え観音寺に残られました。我同僚の後藤喜三郎、布施藤九郎殿は、斎藤利三殿とともに観音寺城の守備を」
(奴は、自分で来ると言っていたはずだが・・、はて?)
斎藤利三は、わが娘婿でもあり、いの一番に稲葉軍と合流するのが筋ではないかと考える。
稲葉一門であるはずの利三の動きに、不信感を覚える入道。
「が、まあ、よかろう」
旧斎藤守護家の貴種だ。稲葉家から出て行かれても困るのでここは見逃すことにしてやろうと思う。
「しかし、蒲生殿。よくぞ援軍に来てくれた。戦場での働きは実にお見事でしたぞ、義父上・信長様もきっと満足されるであろう」
満面の笑みで、忠三郎の手を握る一鉄だ。
忠三郎は、歴戦の老将に認められたことに、はにかむのだった。
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