329部:遠藤盛枝(のち慶隆)
郡上、那比新宮神社。
新宮神社に陣を構える奇妙丸達のところに、遠藤家の当主・盛枝とその娘婿・新兵衛がやってきた。
「奇妙丸殿、郡上までお越しになるなら一言、事前に連絡頂けましたらお迎えに行けたものを・・」
「申し訳ない。いつ頃到着するか予想が立たなかったので」
「いやいや、しかし、このような片田舎まで、よくぞお越しくださいました」
「遠藤殿の治世のおかげで城下町は街道の要衝として東家の頃よりも発展しているときく。是非、勉強させて頂きたい」
「いやいや、それ程でも御座らぬですよ」
盛枝は治世を褒められてまんざらでもない。
「では、ぜひ我が八幡城にお立ち寄り下され」
「それでは、お世話になる。それから、こちらの同行者は我が姉妹のお慶姫と、お良姫だ」
「おお、なんと美しい」
盛枝の視線は、紹介された二人に完全に移ってしまっている。
「姉妹の白山詣でにお力添えを頂きたいのだが」
奇妙丸の言葉に、我に返る盛枝。
「奇妙丸様は白山参りという宗教的な目的のためにこちらまで?
私は、越前朝倉家や飛騨姉小路との関係を心配して、政治的に圧力をかけに来られたのかと思いましたよ」
奇妙丸の顔色を見ながら、ずけずけと物を言う。
「朝倉家との関係も緊張状態ではあるが、遠藤殿が朝倉と結ぶとは考えておらぬ」
「まあそうですね。我が父は、朝倉家の郡上侵入と長い間戦ってきた武者奉行ですから」
今は自分が郡上を牛耳るうえで大儀となる父親の功績を語る盛枝。
同じような立場ながら自分のことは棚上げにして、奇妙丸に対しては、親の七光りだろうと侮っていた。
その態度からも、奇妙丸を美濃国太守の跡継ぎとは心中認めていないのだと、居合わせた誰もが理解した。
「盛枝殿、少し失礼が過ぎるぞ」
と義弟を叱る竹中半兵衛。
「これは、竹中殿。貴方には言わねばならぬことがあった、貴方の稲葉山でのご謀反のせいで、私は従兄弟と戦う羽目になったのですよ。どういうつもりですか」
「我が名を汚した奴を懲らしめただけの話だ。そちらもお互いの膿を出せたのだからよかったではないか」
「まあ・・、雨降って地固まる結果でしたが」
隣の新兵衛は苦笑いだ。
武藤喜兵衛は、その光景を興味深く見守っていた。
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4月28日 越前表。
敦賀の三城を抜くことで想定外の被害が出た織田軍は、金ケ崎城に対しては力攻めを控え、城主・朝倉景恒と和平の交渉を行う。
景恒は信長の降服を受け入れ、夜のうちに金ケ崎城に火をかけて、軍勢を越前に退去させていた。
景恒は織田軍に追撃をかけられぬように。金ヶ崎城の楼閣や、大手門櫓および「渡し橋」を燃やして撤退してしまったため、金ヶ崎城への入城が難しくなった。
信長は復旧工事のため至急、京都「御所作事」に関わっている大工棟梁達に、番匠・鍛冶・丘引ら70余人の工作部隊を金ケ崎まで下向させるようにと、書状を送る。
知らせを受けて、急いで選抜の工作部隊が派遣されたが、到着までの数日、朝倉軍追撃の手を緩めることとなった。
この、橋の復旧作業を待つ間に、敦賀戦の論功行賞を行い、幕府奉行人の諏訪俊郷、松田頼隆、革島一宣の日本海側の湊に於ける「兵船」の調達と、その軍船の敦賀湾への集結の軍功に対して、今後も忠節を尽くせば山城国西岡の知行分を安堵すると通達し、織田軍の実質的勝利を宣伝する。
信長は金ヶ崎城を接収した後は、更に越前の府中へと攻め込むつもりでいる。
差しあたって次の標的は、朝倉方の第2の守り、街道の要衝・木ノ芽峠を抑える「木ノ芽城」だ。
これの先陣は、幕府方の代表・細川藤孝と明智光秀、三河の水野信元と徳川家康(松平元康)が務め、既に出発の命が下されていた。
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4月29日京都。
楽呂左門の芸道の師匠を自負する老翁・山科言継が、越前国に於ける戦況を知るために、京都の織田信長宿所を訪問した。
京都留守衆、信長の台所奉行・島田秀満、佐藤三河守入道、猪子外記入道らが出迎える。
「御所様が大そう心配されておられます。金ヶ崎の戦況を教えてもらえまへんやろか?」
こういう時、言継の人懐こさが発揮される。三人は既によく知った相手なので、心を許して知っていることを話す。
「ええ、軍監の福富秀勝の手紙では、我が軍は若狭国を平定後、越前国に乱入し、金ヶ崎と手筒山の二城を瞬く間に攻略したと。しかし、先鋒を務めた森可成の嫡男・伝兵衛可隆が敵方に深入りして戦死。その軍監・毛利新助秀頼(長秀)も負傷されたと連絡が来ております」
「おお、あの見目麗しい若者が、それは鬼三左殿もさぞかしお嘆きでしょうな」
「ええ、信長様の朝倉家へのお怒りも凄まじく、手筒山と疋壇、両城の朝倉勢六千余は、皆殺しにあったそうです・・」
「おーこわっ、越前はどないなるんやろか・・」
信長を怒らせると数千の命があっという間に散るという事実に驚愕する言継だった。
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