320部:合言葉
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奇妙丸達が峰稚児神社から引き揚げた後、神座近くに二人の人物が姿を現す。
黒川衆の澪と、その仲間だ。
「聞いたか」
「まだ誰も、神器は持っていないそうね」
黒川衆は、神座での奇妙丸達の様子を、風下の草むらで息を潜めて聞いていたのだ。
「矢と弓の二種類だというが、誰かが隠し持っているのだろうか」
「持っていたなら、この場で神女継承の儀式が行われていたはず。やはり無いのでしょう」
姉妹を奪われたので、再び主導権を握るには神器が必要だ。
「そうだな。神器があれば、我々が山岸のお貞様か姉妹のどちらかを神女の座に擁立出来るというのに・・。これから、奇妙丸達を追って山岸家に加勢するか?」
「私達は姉妹の誘拐で正体が知られています。下手に加勢すれば利三様に迷惑が掛かります」
しばし、考え込む二人。
「あのお方(将軍)が、背後にいることも知られてしまうか」
「ここは、殿に(光秀様)にご報告にあがりましょう」
今は織田信長に、将軍・義昭とその側近達が画策していることがばれてはならない。
「うむ」
黒川衆は、風のように高賀を後にする。
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峰稚児神社から尾根伝いに北側斜面に出て、山を下る奇妙丸一行。山道は狭いので二人一組か、一人でしか行軍することができない。行列は長くなり、先頭から後方までの列は伸びきっている
しばらく行軍すると、周囲がいつになく霧深くなってきた。
「山の気象は変わりやすいというが、これは凄いな」
本隊で山が雲に飲み込まれていく様子を眺める奇妙丸。列の先頭は既に雲の中だ。
「しまった、道がわからぬぞ」
先頭を行く武田衆が、前を歩く人の後ろ姿も見えぬほどの視界不良に動揺する。
「集団で遭難か」
後ろを振り返っても、後続する隊列は既に見えない。
「皆、離れるなよ」
武藤喜兵衛は自軍の動揺を抑えるため、声を張り上げて指示を飛ばす。
「そして警戒を怠るな。山賊もいる油断するなよ」
山間部の行軍に慣れた武田衆でも、この濃霧は危険かもしれぬと考え始める。
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「合言葉を決めておいたほうが良いか」
奇妙丸のいる本隊でも同様の状況だ。
「武藤殿からの連絡です。槍弾正、と言えば真田幸綱と答えるようにと」
「合言葉も甲州風だな」
池田正九郎が不安を隠すように陽気に笑う。
「こちらは、織田弾正、といえば桃厳様と返すようにと伝えよ」
奇妙丸は伝令を呼んで、武藤喜兵衛の隊にも織田軍を識別できるように合言葉を伝える。
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先陣の武田衆の前に、林の中から割って入る者がいた。
しかし、濃霧のため突然に列の前に人が出現したように見える。
「お主、誰だ?」
先頭の武者が槍を構え、前方の人影に警戒する。
「・・・・・・・」
「槍弾正!」
「・・・・・・・・・・」
「織田弾正!」
「・・・・・・・・・・・」
返答が返ってこない。
そして鍵字の槍が前列の二人を切り裂いた。
「曲者だ!!」
「襲撃だーーーー」
後列の者が驚いて叫ぶ。
武田衆の後方でも、何者かに突然襲われて、列の各所で戦いが始まる。
「ここでは、鉄砲も撃てない!」
(平場での戦いに慣れると、山岳戦は難しい)
喜兵衛も、敵の人数がつかめない。それに相手は山のことに熟知しているようで、いろんな場所から攻撃を仕掛けてくる。
「山賊に後れをとるなよ!」
刀、槍の打ち合う金属音が行列の各所にて起きる。時折単発的に銃声が響き、山にこだまする。
*******奇妙丸の本隊。
「あぶない!姫!」
佐治新太郎が、槍で賊の獲物を弾き飛ばす。奇妙丸の本隊にも木地衆が直接襲撃を仕掛けてきた。山道に沿って隊列が細くなっているので、相手はけもの道を使って横からも襲撃してくる。
「神器を出せ!」
襲撃者は猪や鹿皮を被り、筋骨たくましく陽に焼けている。雉六郎の率いる隊は、狩猟や樵を生業とするや山の民からなる。まさに獣の様な集団だ。
「無い!」
「嘘をつくな!大人しく神器を出せ!」
熊皮を被る首領・小椋雉六郎とその側近達が、姫やお婆様に要求する。
「神器などない! まだ見つかっておらぬ!」
金森甚七郎が答える。
「嘘をつくな!」
雉六郎が鍵状の刃を向ける。
「ええい、分からずやめっ!」
奇妙丸が、愛刀・貞宗を抜刀し前に出る。
「また会ったな! お主が奇妙丸だな! 次は逃げるなよ!!!」
雉六郎の問いに奇妙丸は答えない。ただ、逃げるなと言われて頭に血が上る。
「手を出すな!」
桜はじめ、周囲の者が割って入ろうとしたが、それを制止して一歩前に出る。
「覚悟――!」
雉六郎の鍵槍が一閃するたび、周囲の樹木が切り倒される。しかし、奇妙丸が恐れずに前に踏み込む。
“キィーーーーン“
「何!」
貞宗が雉六郎の獲物・鉤槍の柄を切断し、鍵部分が宙を飛ぶ。
「おのれぃ!」
雉六郎が残った槍の柄を投げつけ、貞宗で払い落とす奇妙丸に向かって突進し、腰に跳びついた。
「ぐはっ」
奇妙丸と雉六郎は、二人とも山の斜面を勢いよく転がり落ちた。
「奇妙丸様!」
桜達の絶叫が、山にこだました。
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