318部:姉妹
高賀神社本殿前。
織田奇妙丸軍は、斎藤利三軍と、高賀姉妹を守護する三枝・武田軍が合流し、蓮華峯寺に集結していた。斎藤利三軍は、三枝館にて長屋軍を破り、追撃し、高賀渓谷にて長屋軍と僧兵を殲滅させた連戦の疲労が蓄積しているので、出浦出羽守が手配し新たに合流した武田軍の前に沈黙するしか無かった。
それでも、斎藤利三は、姉妹を譲り受けて本拠地・小野大山城への撤収を考えている。
奇妙丸軍に迎えられた姉妹は、先に清めの儀式を経て高賀神社本殿に参拝し、神前にて今回の兵乱により神殿前を汚したことを謝罪し、神魂の怒りを鎮める儀式をおこなっている。奇妙丸達は神霊への謝罪を姉妹たちに託し、神殿前で姉妹の神事が終了するのを待っていた。
奇妙丸にだけ聞こえるように半兵衛が身を乗り出して耳打ちする。
「戦力の減じた長屋家は、しばらく放置してもよろしいのではないでしょうか」
竹中半兵衛の意見に頷く奇妙丸。ここへ来る途中、高賀渓谷の凄惨な状況を検分して来たが、戦に勝ったとはいえ、この事態を止めることは出来なかったのかと自問自答していた。
「長屋家は、朝倉方に走ることはないだろうか・・」
世の情勢を鑑みて、越前国の太守・朝倉義景が上洛を拒否したことにより、信長と義景の関係は悪化し、朝倉家と国境付近は、一触即発の緊張した状況にある。
「その時は金森殿や原殿が、長屋家を美濃から追い出すでしょう。領地が手に入り織田家にとっては利」
「そうか」
美濃の支配を強化する為、地縁の強い旧領主を一掃して、直轄地的な地域を増やしていくことは重要だ。
「これから我々が、姉妹を警護しながら白山に向かうのであれば、郡上郡の遠藤家の領内を通ることになります」
「そうだな、此処からならば、高賀山の頂を上り峰稚児神社に参拝し、本宮に出て、新宮を経て郡上八幡に出る順路だろうか」
本殿の扉がギイと少し開き、姉妹の付き人達が縁側に出てきた。
そこで話は打ち切られる。
付き人達によって、本殿の正面の大きな扉が静々と開けられた。
「巫女様のおなりー」
金冠と勾玉の首飾り、真珠の腕輪をして真榊と鈴をそれぞれ構え、神女姿に正装した姉妹が奥から現れた。
「お待ちしていましたよ」
赤の緋袴と金色の糸で竜王の刺繍が入った純白の舞衣を羽織った姿は清潔で、姉妹の神々しい美しさを一層深めている。
「それでは、次は奥ノ宮、峰稚児神社に参拝しましょうか」
奇妙丸が尋ねる。
「そうですね。その前に、奇妙丸様の馬に括り付けている袋から、不思議な霊力を感じるのですが」
「これですか?
そうだ、忘れていた、今取り出します。皆、大鹿毛から降ろすのを手伝ってくれ」
傍衆達が、大鹿毛に取り付けてある袋をとり外し、於八が袋から持ち上げた。
「見た目より遥かに重いし、ただの石ではありませんね」
半兵衛は、この石について、明らかに普通の岩石とは異なるものを感じ取る。
「これは、於勝殿が求めていたものですね」
お慶姫が石を真榊で指した。
「え?」於勝が驚く。
「これは星の欠片に間違いはありません。ただ、於勝殿の兄上に、北からの暗雲が迫っております。ここは一刻も早く関に向かい、於勝殿の本懐を遂げられることが肝要です」
(兄に危機が迫っている? 誠か、しかし、奇妙丸様の傍に仕える任務が・・)
お慶姫の言葉に動揺する於勝。
「急いで、届けてください」
お良姫も真剣な目で於勝に訴える。
奇妙丸も、何かを感じ取っていた。
(父・信長は、上洛に従わない若狭の武藤友益を、幕府軍の武威を見せる為に先ず討伐すると言っていた。森親子は父上の討伐軍に従軍している。もしや於勝の兄上が危機にさらされるのやもしれぬ)
「於勝、暇を使わす。急ぎ関に向かい、関ノ兼定殿に会え、それから、お主の兄に星の欠片からできた武器を届けるが良い」
「有難うございます!」
「於九、それに大島殿、於勝についていってやってくれ」
「「ははっ!」」
森於勝に一族の森於九、そして大島光成が関へと帰還することとなった。
「それから、皆に申し伝えることがある!」
奇妙丸が拝殿前の階段に上がり、居並ぶ者達を見渡す。
「利三殿、姉妹は明智光秀殿のご息女で間違いないな?」
「はい」
(奇妙丸はここで姉妹を自分に返す気でいるのか?)
いぶかしげに思う利三。
(まあ、政治的には、今後の織田と明智の関係を安寧とするためにも妥協案として悪くない。奇妙丸は忖度というものをしっかりと心得ているようだ)
などと先読みして感心もする。ここは自分も少し下手に出て、快く姉妹を託されようと思う。
「姉妹の父・明智光秀殿は、我が母・奇蝶御前の従兄にあたる。光秀殿は我が外叔父であり、母系をたどればいわば我らは親族」
「確かに、そうですな」
頷く利三。
「明智殿の血を引くお慶姫、お良姫は、私にとってはかけがえのない従姉妹でもある。
そこで、私から父に頼んで二人を織田家に正式に迎え、我が姉妹としたい」
「「ええ!?」」
「二人を信長様の養女にするというお考えで?」
半兵衛が確認する。
「うむ、父次第だが、大丈夫だと思う」
「それは・・・」
と、お慶姫が何かを訴えようとする。
二人はともに、初めて会った時から奇妙丸を異性として意識したのだが、奇妙丸からは自分たちは、異性としては見られていなかったのだろうか。
お婆様の予言の通りに確かに奇妙丸との縁は深まるが、兄弟姉妹では自分が想像していたこととは違う。
織田家に迎えられるのはありがたいことだが、もっと違う形であったならばと寂しくなる。
または、自分達が明智家から縁を切るための方便であってほしい。
奇妙丸の言葉に驚き、拳に力が入る利三。
(それでは、姉妹には誰も手がだせぬことになるではないか!)
竹中半兵衛、武藤喜兵衛、楽呂左衛門、森高次、山田勝盛が振り返って、利三を見る。
「流石、織田家嫡男の織田奇妙丸様。ご聡明なお仕置きです」
その言葉とは裏腹に、奇妙丸の悪知恵に翻弄されたと思い、耳を真っ赤に染める内蔵助利三。
奇妙丸の判断が、姉妹の運命を幸福なものへとするのか、誰にも先のことはわからなかった。
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高賀神社を出て山頂へと出発する奇妙丸軍。
先陣は三枝武田衆、中陣に黒武者衆と傍衆達、後陣には白武者衆が続く。
斎藤軍は高賀神社に残り、戦後処理の復興事業と、周辺の住民の慰撫と治安維持を託されている。
利三も、ここは無理をせずに、信長の姉妹への判断を見てから、どう対処するべきかを光秀と共に図ろうと考えた。
「姉妹をこのまま行かせるのですか?」
腹心の那波和泉守が、利三に尋ねる。
「是非もない」
ここは奇妙丸にしてやられた。いつかこのことを後悔させてやろうと復讐を誓う。
やられたらやり返すことが利三の主義だ。
姉妹が織田家に組み込まれたならば、あとは信長から婚姻の許可を得て、一味の誰かが貰い受ける必要がある。
姫を妻に迎えるならば、信長に忠誠を誓い家臣となり織田家中にて抜群の手柄を立て見込まれるか、外様家臣として力をつけて入婿に迎えられるほど名を上げねばならないだろう。
「忌々しいことだ」
これからの面倒さを想像して、思わず本音が口に出る利三だった。




