315部:十一面観音
板取川支流の渓谷。
「ここは何処だ?」
長い間、気を失っていたような気もする。
「わかりません、
川に落ちて、しばらく気を失っていたようです」
「そうか、迂闊だったな。板取川の深瀬にはまってしまったのだな。大鹿毛は? 皆は大丈夫だろうか?」
「銃声は聞こえませんね」
耳を澄ますが、川のせせらぎと鳥の鳴き声がきこえる。桜がここまで運んでくれたようだ。
皆が心配だ。
「立ち上がれますか?」
「うむぅ。少し足を捻ったようだ」
「私の肩におつかまり下さい」
「すまぬ」
長い石段が山中まで続いている。石の階段は苔むしていて年期が感じられる。
どうやら、どこかの神社の敷地に入り込んでしまったようだった。
「ここは矢作神社という神社の様です」
「おお、ここに来る予定だったな。お婆様の失くした神器を探しに、よし、調べて回るか」
「はい」
桜に支えられながら、境内を歩いて回る。
*****
「あそこに祠があります、あそこで休憩を」
祠の背後には、岩から清水が湧き出ている場所がある。
「清い水が湧き出ているな。丁度良かった」
奇妙丸が水をすくい上げて飲んでいる間に、桜が祠の中を確認する。
「十一面観音像か、先ほどは弓を引いてしまったが、ここではお情けを頂く訳か」
手を合わせる奇妙丸。
高賀僧兵が神輿を持ち出してきたが、弓鉄砲をそれにむけてしまったことを詫びる。そして姉妹の為にも神器がみつかりますようにと願う。
「夜も近いです。ここで休みましょう」
「そうか、椅子になるものはないかな。この際、丁度良い高さの石でもあれば」
周りを見渡す二人。
「桜、観音様の台座のこの石・・・、何か変だと思わぬか?」
「そうですね、周りには同じようなものがひとつもない」
近寄って台座を凝視する。
手に取ってみたいと思い、観音様を持ち上げようとする奇妙丸。
「良いのですか?」
「観音様のお導きだとおもう。きっと許してもらえる」
「はい」
「観音様、少し失礼します」
そっと、石を動かす。
「大きさの割に重い。大きさからは考えられぬ重さだ」
「それに変な光沢がありますね」
「鉄、なのか? 鉄の塊のような・・。確かめる方法は、ないだろうか」
腰の刀を抜く奇妙丸。
「貞宗、頼むぞ!」
奇妙丸が小刀で表面に傷をつけてみようとする。
「待ってください!」
「なんだ桜?ほかに方法があるか」
「持ち帰って竹中様にみてもらいましょう」
貞宗なら全てを両断できる気もするが、今の自分の状態では無理かとも思える。
「うーむ。そうだな」
再び石を置いて、十一面観音と向き合う。
「観音様、この石を私に下さい。友が求めるものかもしれないのです。願いのものであったならば、戻って観音様の為に必ず、良い神社と台座を寄進いたします」
「お願いします」
桜も一緒に、観音様に手を合わせる。
「よし!これで良い。於勝に土産ができた!」
「探していたものかもしれませんね」
「観音様の御導きかな。これが必要な石であれば、戻ったら必ず寄進しよう。
それにしても、持ち帰りたいが、今のこの脚の状態では・・」
馬ならば運ぶことができるかもしれないが、大鹿毛とははぐれてしまった。何か目印をつけて置いていこうかと悩む。
「私が大鹿毛を探してきます」
桜が言うや否や跳躍の態勢をとる。
「いや、桜! 待って!」
桜を止めた奇妙丸。
「?」
奇妙丸の声に何事かとおもう桜。
「我らはその、於勝や於八もそうだが、家族のようなものだ。
お互いに心配をかけてはいかんと思っている」
「はぃ」
改まってどうしたのか、一人になることが心細いのかもしれないと弱気な奇妙丸に逆に心配になる。
「だから、単独行動は控えよ。もしものことがあれば、お主の兄の一郎左衛門にも申し訳ない」
「はい。しかし、忍びの家のものは皆、死ぬことは覚悟のうえで奉公しておりますが・・」
「姉妹たちの時もそうだったが、私に言わず、勝手にどこかに行くな。私は誰も失いたくないのだ」
皆が奇妙丸のことを心配する様に、奇妙丸も皆の事を心配してくれているのだと理解する桜。
配下を使い捨てと考えず、温情をかけてくれる主人であることを有り難く思う。
情け深い主ではあるが、これから戦国の世を切り開く中で、知り合った人に情をかけ、失くした時に心は壊れないだろうか。
「申し訳ございません。分かりました。ちゃんとお許しを得てから行動します」
「よし」
「それでは、近くを様子見してまいります」
「分かった。遠くには行くなよ」
「大丈夫です。必ず戻ります」
スッと身軽に姿を消す桜。
「心配ない、か。 私も自分ひとり守れねば、誰も救えぬ。今は足を治すために休ませてもらうか」
”どうか力をお貸しください”
と再び十一面観音を拝む。
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高賀渓谷。
「この谷に、長屋軍は逃げ込んだようです」
斎藤利三の副官・那波和泉守直治。
直治は利三の一族だ。
「よし、包囲してせん滅する」
血まみれの槍を、口を使って器用に手拭いで手に縛り付ける利三。
返り血で朱に染まった表情は赤鬼の様だ。
「降服勧告はしないのですか?」
”窮鼠猫を噛む”という言葉もある。
もう勝利は見えているので、追い込んで必死の反撃をくうとこちらの被害が大きくなる。
「長屋家の戦力は邪魔だ、ここで出来るだけ削りたい。それに我らの大将は織田奇妙丸。
後世の悪名は織田家が被ればよい」
「成程」
「ここまで熱心に追撃したのだ。私は武名を頂こう。見返りは貰わないとな。
三方から火を放って更に追い込むぞ!」
「わかりました」
直治が伝令を招集し、包囲殲滅の手順を伝える。
谷に潜む長屋軍は戦意を完全に消失していた。
谷全体が霧の様な白い煙に包まれ始める。しかし、明らかに木が焼けて焦げる匂いだ。
「火だぁー」
「火がつけられているぞ」
「風上に逃げよ!」
長屋兵は煙の来ない方向へ、生き延びる為に我先にと逃げる。
”パーン”と谷間に銃声が響き、先に逃げた者が打たれた。
「だめだ、風上に織田軍がいるぞ」
「おのれ、織田! 卑劣な! 坊主も殺すのか!」
利三が槍を構える。
「なで斬りだー!!」
「「おう!」」」
利三を先頭に、斎藤軍の本隊が動き始めた。
「織田に情けはないのか!」
長屋軍、高賀僧兵三千人の阿鼻叫喚が谷に響き、池や川の水は人の血で真っ赤に染まった。
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