311部:山科楽呂左衛門
斎藤利三軍。
利三が佐ケ坂山砦から引き連れてきた手勢は二千兵だ。これ以上の人数になると行軍に時間がかかるので精鋭の兵ばかりを率いてきた。
そこへ、隠密の黒川衆のひとりが姉妹奪還の失敗を連絡するために現れたので、進軍を止め兵士たちを休ませる。
「奇妙丸の手下に奇襲されただと」
「はい、加勢も加わりまして不利に」
「うーむ。どうせ、お主たちは我らの手勢とばれている。姉妹を返せと私が直談判してみるか・・」
「この先に、奇妙丸の手勢が五百ほどで陣を張っている様子です」
「では、そこへ向かおう」
「はいっ」
「お主たちは、高賀山に潜んで待て。この先、神女継承の儀式がいつおこなわれるか分らぬからな」
「ははっ」
しばしの休憩の後、斎藤軍は再び進撃を始めた。
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楽呂左衛門の本陣。
「桜、ご苦労だったな」
呂左衛門が労う。
「お出迎え有難うございます」
「奇妙丸様が心配していたぞ、行動するときは事前に報告したほうが良いだろう」
「すいません。反省しています」
「だが、無事でよかった。お主たちも頑張ったな、それにお客人も良く戦っていただけた」
呂左衛門の言葉に照れた様子の惟宗。
「これもご縁ですから」
「あのぅ」
お慶姫が惟宗の旅人姿に疑問を感じて尋ねる。
「貴方は、織田家の方ではないのですか?」
「はい、越中富山の薬売りでございます。旅の途中で縛られた二人をお助けしました縁で、このご陣営に」
「てっきり、隠密の方の変装だと思っていました」
「あははははは」
「ハッハッハッ、当たらずとも遠からずってとこじゃないかい?」
武藤喜兵衛も話に加わってきた。
「隠密じゃないですよ、ただの薬売りです」
喜兵衛は、三枝館落城のもしもの時のため、白武者衆に囲まれて屋外にて待機することになっていた。
武田家の人間を落城の憂き目に巻き込むわけにはいかないという奇妙丸の配慮だった。
喜兵衛としては、居残りする半兵衛と離れることは少々不満であったが、三枝館防衛の戦いを外から客観的にみることができるかもしれないと、考え直して白武者たちと行動を共にしていた。
「総員、警戒!!」
副将の森高次が、全部隊に向かって号令する。
「来たか」
姉妹を追って、斎藤利三の軍勢が、こちらを警戒しながら近寄ってくる。そして、鉄砲の射程圏ギリギリかという距離で全軍が停止した。槍先は臨戦態勢でこちらに向けられている。
楽呂左衛門の手勢は二百ばかりだが、それ以上の人数にみえるように陣幕で虚陣を張っている。
両軍がにらみ合う中、斎藤利三が騎馬一騎にて前に進み出て、こちらに向かってくる。
「撃つな、同じ織田家の斎藤内蔵助利三だ。」
白武者衆三段の備えの中を進む利三。
(こいつら、侮れない程の数の鉄砲を持っているぞ、それにあれはなんだ、見たことがない最新式ではないか・・・)
衆人監視の中、本陣にたどりつき、馬を降りて大将らしき鎧具足の武将の前に進む。
本陣の白武者衆の視線の先には、二人の巨躯の武将が向き合っていた。
「お初にお目にかかる。異国の武将というのは、其方のことだったか。私は西美濃三人衆の稲葉家の陣代・斎藤内蔵助利三と申す。この先の小野大山城を信長公から預かっている」
(腕っぷしが強そうだ)
と上から下までじっくりと異人武将を観察する。
「丁寧なごあいさつ有難うございます。まだ言葉がわからぬところがあるので、副将の森高次も立ち会います」
隣に立つ森高次と視線を交わし、頷く利三。
(近江の名門・鯰江家の分家、本家が六角義治を匿ったせいで尾張での立場が危うくなったと聞いていたが、そうか奇妙丸付きとなっていたか)
「私は、織田奇妙丸様の家臣、楽呂左衛門。都の山科言継卿から楽の姓を与えられました」
「山科、楽呂左門」
言葉に出して反芻する。
「して、ご用は?」
「うむ、ほかでもない。楽殿、ここの高賀の姫が、貴殿の陣に二人舞い込んでおりませぬか?」
「我々が、暴漢から保護しておりますが」
呂左衛門は隠すつもりはない。
(我々のことを暴漢といったか)
「彼女たちは、足利将軍家直臣の明智十兵衛光秀殿の実の娘でござる。我々が保護することを頼まれておりますゆえ、渡していただくわけには参りませぬか」
将軍の権威を盾に正論で押す利三。
「今、奇妙丸様の居る三枝の居館が、賊に攻撃されているのです。我らに加勢して共に賊を追い払って下されれば、のちほど、奇妙丸様のご判断も頂けましょう」
「!」
(森が実質の大将でこやつは飾りかと思っていたが。この異国人、まともなことを言う。今はごまかして後回しにするつもりだな)
利三は、この異人が知力も侮れないものではないかと思い、一筋縄ではいかないかもと警戒し始める。
「森殿も同様のご意見か?」
「同じ」
腕組しながら利三を睨みつける老将。
副官の老将ならば将軍の権威に畏怖することもあるかと話をふってみたが、そう生易しくはない様子だ。
「う~む」
(ならば切り伏せるか・・誰がやったかは、しらを切ればよい)
と互いの人数と武器の質について利三の頭の中で算盤が弾かれる。
「ちょっと、いいかい?」
「何やつ?」
利三が、声がした方向を、目を細くして横睨みする。
「俺は武田家家臣の武藤喜兵衛」
「武藤!あの武藤?」
(武藤喜兵衛といえば信玄の近習上がりで「信玄の両眼」と呼ばれる側近中の側近の片割れ。真田槍弾正の息子)
「名前はご存知のようで助かった。利三さん、あんた信長公に、街道警護のために小野大山城を任されたと言ってたね」
「うむ」
「我が武田家は、将軍様の下、織田家とも同盟関係を結んでいて、甲州の三枝は武田家とも主従関係にある」
「うむ」
「ここは、将軍様の名のもとに三枝家を襲う賊を、追い払うのが仕事なんじゃないのかい?」
「それは道理。確かにな」
「それじゃあ、我々の先陣に立って、館を囲む賊を追っ払ってくれ」
「成程な、武藤殿。我々が先陣か、これは面白い」
「やるのかい、やんないのかい?」
武藤と斎藤の間に一瞬緊張した空気が漂う。
「甲州に戻られたら・・、武田入道信玄公によろしくとお伝えくだされ」
「了解した」利三の言葉にニヤリとして応える喜兵衛。
利三もニヤリと笑う。
呂左衛門に向き直り頷いてから、踵を返し馬に乗り、平然と自分の陣地に帰ってゆく。
その背中を見送ってから、
「武藤殿」と、呂左衛門が後ろに下がろうとする武藤を呼び止めた。
「カタジケナイ」
「同じ釜の飯を頂いたからな。いいってことだ。戦いぶり見せてもらうぜ」
「うむ」
と笑って頷く呂左衛門。
「タケダ シンゲンか・・」
斎藤利三が気にするほどの、喜兵衛の主・武田信玄とはどんな人物なのだろうとも思う呂左衛門だった。
姉妹を追ってきた斎藤軍だったが、利三の帰陣とともに今度は三枝館を包囲する長屋軍に向かって動きだした。
突然の攻撃先の変更だが、斎藤家の兵士たちの中でも、白武者衆の先陣を務め長屋軍を攻撃することに異論は出ないようだ。
利三の指揮の下に、一枚岩の軍団。
彼の将才は疑う余地がないということだろう。
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