308部:戦雲
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美濃:佐ケ坂山砦
・・ここは、白山街道の入り口となる峠に造られた関所的な役割を果たす砦だ。
稲葉家の女婿である斎藤利三が飛騨方面への足掛かりの支城としている。この先には、稲葉家一門の一柳家等の西美濃三人衆に縁のある武家が、街道沿いに拠点を構え、北美濃の警備を行っていた。
「殿様、失礼いたします」
斎藤利三と密談する光秀の下に、姉妹の世話役となった藤田伝五がやってきたのだ。
伝五は部屋に入る際、戸を閉める前に周囲の様子を注意深く見渡し、物音もたてず襖戸を閉めた。
「姫達の様子はどうだ?」
光秀が、正面にいる斎藤利三から視線をはずして伝五に問う。
「お二人とも城内の六角堂にて瞑想されています。何処にいようと民衆の為に高賀山への祈りは欠かすことはできぬと。流石、落ち着いておられます」
「そうか。満足いくまで祈らせてやってくれ」
「はっ」
神女を継承する巫女として育てられた姫達が、自分から積極的に動き回ることは無いと、ここにいる誰もが思っていた。
実娘のことなのだが、受け答えする光秀の表情は仮面のように変化がない。それほど興味はない様子だ。
「奇妙丸殿と三枝殿、他に山岸と長屋。これから、どのように他の勢力を対処されますか?」
話を元に戻し、今後の方針を聞く利三。
「そうだな、郡上郡の両遠藤家は武田に通じようとしているようだが、こちらは無視してよいだろう」
再び利三と向き合う。
「長屋家は飛騨の姉小路につこうとしています。それに長屋家は三枝に襲撃を懸けるようす。また、山岸軍も、三枝の神洞の館にむかっておるようです」
周囲の現況を説明する利三。
「美濃三人衆は将軍様、いえ光秀様に従うと・・」
光秀に報告する利三にむかって、光秀が目線を合わせる。
「目付(旗頭)の柴田勝家、金森長近には気取られぬよう、三人衆の方々には通信のやりとりを注意せよと」
「はい、伝えておきます」
「長屋、山岸、三枝の争いの後、我が軍で残った家を叩けばおとなしく降伏するだろう」
「東美濃は森、丹羽が不在の折。我らの後背に不穏分子はおらぬ」
「高賀山を抑えること。すべては我々に有利な状況に動いておりますな」
頷く光秀。
「奇妙丸殿は如何なされますか?姫達を返せといってくるやもしれませぬが・・・」
「なに、利口そうではあるが所詮は世間知らずの坊、上手く言いくるめられるだろう。親と子が再開を望んでいるのだと適当にあしらっておけばよいだろう。姫達は明日にでもお主の本拠地の大山城へと移動させよう。頼んだぞ。」
「はっ」
「私は、京に戻る」
「「ははっ」」
光秀の腹心たちが深く頭を下げて最敬礼をする間に、光秀の姿は部屋から居なくなっていた。
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高賀山山中。
三枝家の屋敷がみえる。
「何やら篝火が焚かれ、松明がしきりに動いている。三枝の館は物々しい雰囲気だな。こちらの襲撃の情報が漏れたのか?」
山岸作之丞光重が、傍らの板取木地衆頭目・小椋ノ雉六郎に聞く。
山岸光重にとっては奇妙丸達が明智党とことを構えようとしている事情は分からないので疑心暗鬼となっている。
「どうでしょうね。この谷間の雰囲気、近隣の山中に殺気が充満している気配かもしれません」
光重に返事した小栗ノ雉六郎は、木地師の中でも主に山間部の樵を専門とする者達をひきつれる頭目だ。大木を鋸で引き切ることを生業としているので、特に上半身の筋骨逞しい者ばかりで、侍に比べて、肩を異様にいからせている姿はまるで山鬼の集団の様だ。
それに、切り出した丸太を里まで運び出すこともしているので健脚でもあり、木地衆は一日に山林を懸けること十里(42Km余)と常人離れした脚力を誇る。その機動力は森の中では隠密をも凌駕する場合がある。
「私もみよう」
山岸お貞が、神輿から降り、崖近くまで歩いていき大きく突出している岩屋に立つ。
「私が感じるのは、何やら得体の知れぬ気がひとつ。我が姫達の気配は感じられぬな・・」
(愛しき十兵衛様の為に、私が神器を手に入れ、高賀神女にならねば)
目を閉じて黙り込んだお貞を心配して、声をかける光重。
「お貞様」
「まて、あちら片知山の山上。おびただしい殺気を感じる。雉六郎の申す通りだ」
山岸軍が陣取る尾根の向かい側の尾根上に、木々の間からちらちらと松明の灯が見える。それは無数の数にも見える。
「峠を越えて南下してきた様子。あれは長屋の軍勢では?」
雉六郎の推理に、お貞が頷く。
「山の異様な雰囲気は長屋の奴らのせいか」
山岸光重が、より高い岩屋に登り身を乗り出して山頂を観察する。
「いや、それだけではない。高賀寺法蓮坊の率いる僧兵も加わっておるようだ」
お貞が眼を閉じたまま光重に伝える。
「それならば見積もって三千兵というところでしょうか。数でこちらが劣勢です」
山岸軍は、山岸家の兵千と、板取木地衆の五百の精鋭で構成されている。
「そうですね、ここは長屋と三枝の経過をみて、漁夫の利をえるとしましょう」
お貞の言葉に皆頷いた。
山岸党の結束は固く、お貞の言葉に異議を唱える者はいない。
高賀三家のうち、昔からずっと余所者扱いされてきた山岸の家から高賀神女を輩出することは、
木地の血を引く者達の長年の悲願だ。
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片知山の尾根。
長屋久内。
「高きに登りて低きをみるは勢い既に破竹。我らの気勢、天にも届かんとはこのことだな」
「三枝の屋敷内の様子が慌ただしい。奴らは戦の準備をしているようです」
「やはり奴ら、こちらを攻撃してくるつもりだったのだな、こちらが先手を打てて正解だった」
「数では有利なはず。一気に攻め落としましょう」
「いや、神女となる姫達に危害を加える訳にはいかん。ここは人数で脅して引き渡す様に交渉するとしよう」
「では、使者を送り、こちらの軍勢の勢いをみせるために松明と幟を全山に掲げましょう」
「よし、久兵衛。使者に立ってくれ」
長屋久内は、信頼する従兄弟の久兵衛に交渉の使者を任せる。
「ははっ、お任せあれっ」
「では、山中の布陣は法蓮坊殿にお任せしよう」
振り返って話しかけた相手は、僧とは思えぬ巨漢の男・荒法師の法蓮坊だ。
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六角堂内。
お良姫が、姉のお慶姫の肩にもたれかかる。
「父とはああいう冷たいものなのでしょうか」
お慶姫は、お良姫の頭をなでながら答える。
「貴方も感じましたか」
「はい。深い闇の様な御心が。私達はどうしてこのような境遇に」
「私達はこの地域の象徴、何千年も前から続く山神の器となる者の家にうまれてしまったのですよ」
「逃げ出したい・・」
「逃げても、このように見つけ出されて閉じ込められるだけ・・」
誰か自分達を開放してくれないものだろうかという思いが込み上げてくる。
その中で、奇妙丸達の笑顔が浮かんだ。
「奇妙丸様達は心配しているんじゃないでしょうか」
「桜さん、友達になりたかったな」
「うん、もっとお話しがしたかった」
落ち込んで静かになる二人に、そっと戸を叩く小さな物音が聴こえた。
”トントン”
「何か音がしませんか?」
お良姫が姉に尋ねる。
お慶姫が立ち上がって窓の中扉を開け、格子から覗く。
「しっ」
桜が口に人差し指をあてて、(静かに)と即す。
「驚いた。桜、こんな処まできてくれたのね」
「お守りすると約束しましたから」
「ありがとう」
桜の言葉を嬉しく思う二人。
「ついてきてもらえますか」
「ええ、ここは私達の居場所ではありませんから」
お慶姫が立ち上がる。
「お付きの人達は?」
「大丈夫、あの人たちは高賀の信奉者、私達の事で危害は加えられないでしょう。高賀山にきっとやって来てくれますから」
「わかりました、では」
「でも、私達の歩みでは、すぐに追手に追いつかれて桜に迷惑をかけてしまうのでは・・」
「我らの術に大凧飛びという技がございます。それならば、この山城からも容易に、ただ風が吹くのをまたねばなりません・・」
「風が吹けばよいのですか?」
「はい」
「それならば、私達なら、風をおこせます」
「ええ??」
今度は桜が、口をあけて驚きの表情でお慶を見つめることになる。
「では、大凧の準備をしてくださいませ」
お慶姫は自信ありげだ。
姉妹を信じようと決め、「はい」と桜は頷ずいた。
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