302部:神洞
三枝三郎右衛門とともに神洞村へと進む奇妙丸一行。
三枝の正体も未だ解らないが、ともに旅する事で何か掴めるかも知れぬ。ここは御婆殿の言葉を信じてみよう。
三枝に先導されるままに、奇妙丸とその隊列が続いてゆく。
(三枝は甲斐と通じておるやもしれぬが、奇妙丸殿は松姫様の婚約者。武田方にとっても今後を左右する大事な婿殿。害される心配はないだろう)
奇妙丸の背中を見守る半兵衛。
「半兵衛殿、木地師とはどのような集団なのですか?」
池田正九郎が隣の半兵衛に質問する。
「木地師とは、惟喬親王を祖として、天皇家から山の木々を自由に切ることを許された特権を持っている一団です」
「惟喬親王様ですか?あまり聞き及びませんね」
「平安京の頃のことです。文徳天皇の第一皇子なのですが皇位継承の地位にありながら、当時の権力者・藤原良房の反対で実現できず、太政大臣・藤原良房の自宅で育った惟仁親王が即位し清和天皇となる。応天門の変では伴善男が失脚し、惟喬親王は後ろ盾もなくし、比叡山の麓の小野に隠居された方です」
「いつの世も、ですね」
正九郎は親王を不憫に思う。
「そして、近江愛知川の上流にあたる小椋の里で、轆轤の技術を考案し、里人に教えたといいます」(木地師発祥の地は近江の国、滋賀県東近江市君ケ畑荘と言われる)
「その里人たちの子孫が広がったのですね」
「はい。木地師は生業としてトチやブナ、ケヤキなどから、椀、盆、膳などを作り朝廷へと納めます。彼らは定住の地を持たず、拠点とした山の木々を切り尽くすと新しい森の木々良材を求めて山や谷を越えて移動し、次の山へと移り住む生活を約600年にかけてしていたのです」
「そして美濃の山々にやって来たと」
「そうでしょうね」
三枝が話しに加わる。
「三枝家は古代以来の高賀周辺の名主です。同じく高賀神社の神職を勤める長屋氏は、三枝家から別れ木地師を率いる山岸氏と結びついた一族です。
山岸氏とは、近江小椋から移住した木地師の一族。三家は表面的には親族ですが、精神的には信奉するものも違いますので、三つ巴の関係にあります」
「巴か・・・」
「我ら三者が神女の下に結束した時は、比叡山の僧兵達とも互角に戦い負かしたこともあります」
「それは凄い」
「今は三者の足並みがバラバラ。行く末が案じられます・・」
織田家も一族が争って多くの民衆が苦しんできたという。美濃の地がこのようなことで割れるのは、誰も望んではいないだろう。
行列の後方には、守られるように二つの駕籠が並んで居る。中で休んでいる姉妹姫を心配する奇妙丸だった。
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板取川下流、神洞村。
北西に高賀山が鎮座する。
「三枝殿は、あの高賀山の神職をされているのですか?」
「はい、高賀山を御神体とし、その周りには藤原高光公所縁の六社の神社があります。私の勤める瀧神社もそのひとつです」
「高賀山の伝説とは?」
「はい。高賀山には鵺と呼ばれる邪神が住み着いておりました。それを村上帝の頃に、時の九条右大臣・藤原師輔の八男・藤原高光殿が帝の命で討伐に派遣され、数年かけてやっと退治されたという伝説が伝わっております」
「鵺とは?」
「頭は猿、胴体は虎、尾は蛇の形をした化け物といいます」
「奇妙な生き物がいるものだな」
奇妙丸がさらりと言う。
「化け物を信じられるのですか?」
「志摩に行ってから信じるようになった」
「アッハッハッハ!」
と笑いあう奇妙丸一行に戸惑う三枝と大島光成。
「ところで三枝殿、長屋氏といえば、最近は姉小路氏と昵懇の関係というな」
冷静な半兵衛が話しを続ける。
「先年の畑佐(東)氏の郡上郡侵攻には、我々(三枝・長屋)は中立の立場だったのですが。最近は姉小路殿の一族である田口殿からの贈答もあって急速に誼を深くしているようです」
「ふぅむ」
顎に手をあてて考え込む半兵衛。
「御婆殿はひょっとして三枝家の出身ですか?」
大矢田での様子では、御婆殿と三枝殿の仲は悪い様子ではなかった。
「いえ、残念ながら長屋家に生まれた娘です」
残念ながらと答える三枝。
「高賀山では山ノ神の意志を伝える為、神職家の娘の中から神女がひとり選ばれます。彼女は幼いころから巫者として優れた力をみせ高賀山神社の神女に選ばれました。民衆からは天ノ探女の再来と呼ばれているのです」
「なるほど、高賀山にはそのような風習があるのですね」
「はい。しかし山岸家との間に生まれたお貞が、母を追い落し自らが高賀山の神女となるべく暗躍しはじめたのです」
「何故に母娘で?」
「それは判りませぬが・・。今は山岸家と、長屋家、我が三枝家は、高賀山六社の統括権を巡って正式な神女の御神託を待っているのです」
「正式とは?」
「神女は、天之波羽矢と天ノ麻迦古弓の二つの神器を手にし、高賀山山頂にて神名を賜る就任の儀を執り行った者が、はじめて神女と認められます。佐具利姫様は、お貞殿一派の襲撃により神器の二つをどこかに隠し山を追われた故、今は正式な神女はいませぬ」
「そういうことか・・」
御婆様が神器を探せと言ったことにはやはり意味があった。孫である姉妹の為にも神器を先に手に入れたいと言う御婆殿の思いがあるのかもしれない。
だが、母であるお貞姫の気性が分からないのが不安要素でもある。実の母である御婆殿を襲撃するほどの烈女だ。
実の娘が神女を継承した場合、我が子を手にかけるような真似をしなければよいのだが・・。
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神洞村、三枝家。
四方を堀に囲まれ、前面に馬出し廓を持ち、名主屋敷にしては砦そのものといった呈の館が見える。
正面門の前には見知った顔の男が立っていた。
「いやあ、首を長くしてお待ちしていましたよ」
「武藤殿!」
「御無沙汰いたしております。奇妙丸様」
「岐阜にてごゆっくり休まれているのかと思いました」
ボリボリと頭をかいて半兵衛に近づく喜兵衛。
「いやいや、つれないではありませんか、半兵衛殿。出立するならば一声かけて頂ければ、この武藤喜兵衛即参じまするのに」
「ふふふふ、よく先回りできましたね。驚かされました」
想定の範囲内ではあるが驚いたことにしておく半兵衛。もちろん喜兵衛も心からの言葉とは思っていない。
「飛騨の両面宿儺殿には、我々武田家も手を焼いておりますからね。竹中殿も北美濃の諸豪の動向を気にかけておいでかと推察しました」
狐と狸の化かし合いのようだと二人を比べる楽呂左衛門。
「流石に読みが鋭いですね。喜兵衛殿もただの物見遊山で来られたのではないでしょう?」
「はい。我々(武田家)としては、天ノ探女殿と雉鳴女殿の争いには関心はないのですが、三枝殿の希望に沿うように話を薦めたいと考えていますよ」
神話に例えて、いきなり核心部分にふれる武藤喜兵衛だった。
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