297部:天王山
「次は巫者が居るという噂の大矢田神社に向かうぞ!」
「「おう!」」
傍衆が奇妙丸の言葉に応じ、前後を固める黒武者衆と白武者衆へ伝令に走る。
黒武者大将・山田三左衛門勝盛が最前列で槍をかかげるのを合図に、織田家の幟が上がり進軍が始まる。
後方では白武者大将・楽呂左衛門が片手を上げるのを合図に騎馬武者達が一斉に馬上の人となる。
「一応、用心にこしたことはない。この先の情勢はどうなのだろうか?」
桜に様子を聞く奇妙丸。
「昨夜のうちに兄たちが先行しているので、何かあれば連絡があると思います」
「うむ、桜は伴ノ衆の合図を見逃さないように注意してくれ」
「はい」
兄達の狼煙や火矢に反応できるように、神経を研ぎ澄ます桜。
「西から、権現山、天王山、誕生山が並んでいるのが見えますね」
案内の大島新八郎光成が傍衆達に聞こえるように示す。
「大矢田は、天王山の麓だ」
半兵衛が、於勝に教えるように言う。
「天王山には、当地の豪族・後藤勘左衛門の城が有ったらしい」
今は没落してしまっているが、後藤氏は美濃守護土岐氏の直臣で越前守・藤原利仁の後裔だ。
長井氏と結んだ氏家直元が派遣した種田氏との抗争に敗れ一族離散した状況だ。
「天王山(標高537m)は霊山でもある」
半兵衛の言葉に、前方の三山を見比べる一行。
「三山が、前山(誕生)・中山(天王)・奥山(権現)と、宗像の辺津・中津・沖津の三島のように神へと至る役割を持っていたのかもしれぬ、それが古代の宗教の形なのかもしれぬ」
奇妙丸が古代人の精神を分析する。
「そういうものなのでしょうか?」
於勝は奇妙丸といろいろな神社を巡ったが、拝殿の配置の局地的な記憶しかなかった為、周辺の神社それぞれが連立して役割を担っているとは思ってもみなかった。
これからは、大きく山々と神社の配置を見るようにしようと思う。
ひょっとしたら複数の山城が連携して敵にあたる際、城の配置術にも通じるものがあるかもしれない。
「神職の話では、大矢田では祭りが催されているようでしたね」
生駒三吉は、知らない土地のお祭りを見ることができると、気分が上がり気味のようだ。
「途中、我らを追い越して先を急いでいた集団も、何か神事をされる方々なのかもしれぬな」
奇妙丸は女性の行き先が気になっていた。
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天王山、大矢田神社門前。
「この神社は、第7代の孝霊天皇の御代の創建だと伝わります」
光成は一度参拝に来たことがある。
「古の帝様だな。孝霊というのは後からの贈り名で、本当の名は大倭根子日子賦斗邇命様だ」
古事記の記載の説明をする奇妙丸。
「后は磯城県主大目の娘・細媛命」
半兵衛がそれを補足説明する。
「磯城は大和国の三輪山周辺のことですよね」
池田正九郎は大和の地理も記憶している。
「大和の帝が、美濃の大矢田天王山を敬っていたのだな」
位置関係からその背景を考える。
「どんな事情があったのでしょうね?」
於八も同じことを考えていた様子だ。
「弘治2年(1556)、後奈良天皇の御世に、美濃全域に斎藤家の親子争いによる兵乱が起こり天王山の伽藍は類火に罹って全山焼失しました。しかし、永禄2年(1559)幕府相番衆となった斎藤義龍が、正親町天皇の命で大矢田牛頭天王社の仮殿を建設したのです」
半兵衛が、道三と義龍が対立した当時の状況を振り返る。
「全山焼失? その前の伽藍とは、どのような?」
「元正天皇の養老2年(718年)、僧・泰澄上人*は篤く天王山を尊仰し、天王山に開基して、広大な堂塔伽藍を建立し「天王山禅定寺」と称しました。
聖武天皇の御信仰も篤く、一山は盛観を極めました」
「また、白山開基の泰澄上人様ですか?」
このところ泰澄上人の名を頻繁に聞くと思う於勝。
「それに気になるのは聖武帝と東国の関わりだ。白山信仰と結びついて、聖武天皇の最も求めた大仏建立の為の黄金が関連するのだろうか」
疑問に思う事を半兵衛に聞く。
「残念ですが奇妙丸様、それは私にも分かりません。この旅の中で確かめてゆく事としましょう」
柔和に微笑む半兵衛。
「そののち、社頭を「大矢田牛頭天王社」と称しました。地元の者は皆、略して大矢田神社と呼んでいるようです」
光成が、現状の説明をする。
「大矢田の地名の由来はなんなのだろう?」
「天ノ若日子様の神話と関連するかもしれませんね。私もよく分かりませんが」
と光成。
致し方あるまいと、周りの景色を眺める。
「この一帯は椛が多いな」
「秋に来ると風情があるでしょうね」
桜も椛が多いことに同意する。
神社に近づくにつれ、賑やかな鐘と太鼓の音が聴こえてきた。
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*泰澄上人 =291部に登場。




