287部:傍衆談義
岐阜城、奥御殿。奇蝶御前の間。
奇蝶御前と共に客人や侍女たちが居た。まず奇蝶にお辞儀する桜。奇蝶は優しい眼差しで桜に応える。
「桜、久しぶり」
池田姉妹も、桜の事を待っていた。
「冬姫様はお元気ですか?」開口一番、気になっていたことを聞く桜。
「ええ。蒲生家の方々があれこれと姫を気遣って頂いているのが分かります、皆様、お優しいです。弟・亀千代殿を除いては・・」
「あっ。あの方ですか?」
津島祭りの時に、冬姫に纏わりついてしつこかった弟を思い出した。
「ええ、でも忠三郎(鶴千代)殿が、しっかりと守られているので。姫も、いつも通りの笑顔をすっかり取り戻されていますよ」
「そうだな、私も姫に会う事ができたが、元気そうだった」
「於高様」
森家の長女・於高姫も、奇蝶御前から岐阜城に呼ばれ、奥御殿に滞在していた。
「今は、坂井於高となった」
「お嫁入りされたのでしたね」
・・・信長の肝煎で、森家の長女・於高と、坂井家の長男・久蔵尚恒の婚姻が進められた。織田家の重臣両職である森可成と坂井政尚が何かにつけて対立する為、信長も困り、両家を縁組することで絆を強くし家臣団の分裂を防ごうとしたのだった。
「うむ、尚恒殿の妻となった。婚礼のお披露目の際には、冬姫様が来て下さった」
「とても綺麗だったわ、於高ノ方様」
奇蝶御前の侍女から、於高と同世代くらいの綺麗な女性が発言した。
「その呼ばれ方は、まだ妙な感じだな」於高も笑顔で応える。どうやら親しい知り合いの様子だ。
「こちらのお方は?」
「梶原於八の姉、お正です。桜さん宜しくね」自己紹介するお正(後に奇妙丸馬廻衆の誰かの妻)。
「お正さん?!八郎丸(於八)殿にお姉さんが?」
「まあ、やはり話していなかったのですね」
「ええ、一度もそのようなことは」
「昔はあんなに私の後をついて回っていたくせに」
「姉離れ出来ていないと揶揄われるのが嫌なのだろう」
「私は構わないのに~」
ハッハッハッハ!
於高の豪快な笑いと、侍女たちのクスクス笑いが起こる。
・・・・信長の正室・奇蝶御前の下には、稲葉山城攻略の前後に多くの小大名や豪族(商人武士)らの子女が人質として預けられた。美濃国の政局の安定を見て、人質は一旦解放される。
奇蝶が預かっていた美濃国の子女たちも人質身分からは解放されたが、その後、城を後にして実家に戻るとするか、そのまま城に出仕するかは自由意志となった。
奇蝶御前の所への「奉公」と称して岐阜城に留まる者もいた。
両親から「残れ」と命令される場合もあった。子女達にとっては一族の惣領からの意向でもある。奥に努める子女達の「つて」を得て一族の誰かが武士として織田家の中で重職に抜擢されるための裏技の手段でもあった。
それは、家臣達にとっては君主・信長からの信頼を勝ち得る為の方法で、子女たちは家名・家運を背負って岐阜城の奥の仕事を支えているのだ。
「それでは、他の方々も桜に紹介しておきましょう。皆さん自己紹介を」と侍女達を促す奇蝶御前。
「金森長近の長女・お央に御座います」
・・・金森長近は斎藤道三の娘婿で、信長とは相婿・義理の兄弟の関係だ。奇蝶御前にとっては実の娘の様な感覚だ。
「次女のお智に御座います」
奇妙丸の傍衆、金森甚七郎とは兄弟姉妹である。
「稲葉家のお通と申します」
次に稲葉入道一鉄の娘達が挨拶する。
・・・稲葉良通の姉は斎藤道三の側室であり、その女性は奇蝶御前にとっては義理の母となる。奇蝶は稲葉一族の娘達も、自分の娘の様に思っている。
「次女のお香」
「三女のお里です」
「稲葉家は御姉妹が多いのですね」
「一鉄殿のご兄弟が多く戦場で戦死されましたので、惣領の良通殿が皆養女として引き取り養育されたのです」
「お見知りおきを」
丁寧に桜にお辞儀する稲葉姉妹。その後も、次々と侍女たちが自己紹介をした。
皆、奇蝶御前の下に奉公に上がることになった美濃の諸侯・豪商の娘達だ。
変わりどころでは、奇蝶御前の妹が嫁入りした京都所司代(幕府政所執事・山城守護)家・伊勢貞良の娘・お恵が、諸国流浪の末に保護されて出仕していたことだ。
「桜のことは私達が既に紹介しているわ」最後に池田姉妹が伝える。
「忍びの修行をされたとは思えぬ可憐な雰囲気をお持ちですね」
稲葉家の長女、お通が桜に話しかけてきた。
「可愛いけど、腕は私達の中でも一流よ」とお久。
「剣の腕前はお妙さんの方が才があると思います」
遠慮がちに応える桜。
「お妙は、お酒も強いしね」お仙は、お妙に飲み比べで負けたことが悔しい記憶として残っている。
「私は、お酒は無理です」
桜はお酒を受け付けない体質だった。
「今度お祭りの時に、女子の皆で宴会をしましょう」
奇蝶御前の提案だ。そういえば、岐阜城下の祭りの日が近い。今年は「お祭り男子」茶筅丸が南伊勢へと移ってしまったので、どうなることだろうと思う桜。
「時間のある時に私達にも忍びの技を教えてください」
「私達も何れは嫁入りした家の奥を守らなければなりませんから」
金森の娘たちが桜に忍術の教授を請う。金森家は南近江の地名を冠するだけあり、姉妹も多少の忍術の心得はあるのだが、本格的に学んできた桜の忍道とは性質が違う。
「簡単な護身術程度でしたら」
「よろしくね、桜さん」しっかりとお辞儀する金森姉妹。甚七郎からも桜の腕前は聞いているのだろう。
「桜達も色々な経験をしてきたみたいですね」奇蝶御前が桜の所作を観察しながら呟く。迷い猫の様に警戒心を解かなかった以前よりも、確かに根を下ろした様に堂々として見える。
「はい」
「それに、近江から戻って来た皆の表情を見て、逞しくなった様な気がしました」
「桜はどう思います?」
「身近にいた為か、いつもと変わらなく思いますが・・」
そこから、奇妙丸傍衆達の話に花が咲いた。
「男らしい顔つきになって来たと小大膳殿も言っていましたね」とお久が口火を切る。
「於勝は少しいい男になったわね」お仙。
「奇妙丸様が凛々しくなられたと思います」とお正。
それぞれが、自由に話し始める。
「私は於勝殿が好みの男子です」そう言い放った稲葉家のお通に振り返る池田姉妹。
「ちょっと乱暴だし、お調子者だからお勧めしないですわ」とお仙。
お仙の言葉に反論するように、
「明るい方だと思いますけど」と金森家のお央も、於勝を好印象だと口にする。
お仙は動揺したように、口がぱくぱくと開くが言葉が出ていない。
「お妙は、三吉殿を気に入っていた様子だったわ」話題を変えるお久。
「生駒殿は冷静な感じがしますね」と三吉の印象を語る於高。
「私は正九郎殿が良い男子だと思います、いつも凛とされていて」と池田姉妹を意識しながら話す、稲葉家の次女・お香。
「えー、正九郎は辞めときなさい」とお久。
「あー見えて、馬鹿なとこがあるのよ」続くお仙。姉妹揃ってなぜか否定的だ。
「そうなのですか?」と正九郎が気になるお香だ。
「それでは、於八殿は?」と金森家の次女・お智。
弟の話題になり、聞き耳をたてるお正。
「時々、両腕を組んで瞑想されるようなお姿を見ます」と稲葉のお里。
「確かに、難しい顔をしますね」と姉であるお正もそう思う。
「うふふ、何を考えているか分からないところがあるけど、いつも一歩引いて周りを見ていて、お傍衆達の長男の様な器の大きさを感じますよ」
娘達の話す様子を見ていた奇蝶御前も、お傍衆達の話題に乗る。
(いずれ、この子達の良い嫁ぎ先を私が探して、仲介してあげましょう)と秘かに思う奇蝶だ。
「桜はどう思う?」
「そうですね、でも皆さん奇妙丸様一筋という感じです」
奇妙丸主従の絆は固いと思う桜。
「桜はどの人が好み?」桜に突っ込んだ話をふるお仙。
「はあ、私は別に・・」
「桜は男兄弟が一杯いるから、麻痺しちゃって男を意識しないのかもね?」と於高が評する。
「私は奇妙丸様を刺客からお守りするのが使命ですから」
「そうね、桜は奇妙丸の傍にいて、しっかりと見てくれればいいわ」
「はいっ」
奇蝶御前の頼みに、元気よく返事する桜だった。
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