284部:地図
*****
岐阜城、奥御殿。
留守居を勤める塚本小大膳が、庭池の鯉に餌やりに行こうとした奇妙丸を捕まえて世間話を始める。
「奇妙丸様! お早いですね。いや~、この爺は戦場に出ていないと気持ちの張りが感じられぬのです。最近めっきり足腰が弱った気がしているのですが」
爺がブツブツ文句を言いながら、壁に掛けた三間の長さのある練習用槍を手に取る。
「はっはっは、爺の身体が弱ったなど、冗談にしかきこえぬぞ?」
実際、練習用とはいえ重さは本物並みの大槍を片手で軽々と振り回している。
「余生短い爺は、今生の思い出に殿の上洛に付いて行きたかったで御座る」
「爺はまだまだ死ぬような器ではないぞ、父上は爺を信頼しているから、岐阜に残したのではないかな」
「そうで御座いますか? いやぁ~殿様の命とあれば、仕方ありませんなぁ」
小大膳は、満更でもない顔をしている。
「二月末に出発されてから、長々と京都に滞在されて何をされているかと思えば、「名物狩り」とかいう日本中に知れ渡る悪名高い振る舞い。殿様は貴族にでもなりたいのでしょうか?」
武辺者で知られる塚本小大膳にとって、信長が武を疎かにすることは残念なのだろう。
「爺には茶道具の価値が分かりませぬが、所詮、使い捨てる道具に何の価値があるのでしょうか、私なら子孫を養える土地の方が良いですが」
ここ最近の信長が京都で公家衆と交わって優雅な遊びをしているようにしか見えない行動に、無骨な爺は疑問をもっている様子だ。
「富裕層を圧迫する印象が、貧困する庶民の不満を和らげる。政治の為に必要なのだと思うぞ」
「なるほど! そうでしたか、それならばこの爺にも判りやすい。正しいことだと私も思います」
得心がいって、晴れやかな笑顔になる小大膳。
「それに道具の価値は、武人が魂をかける名刀の様に、茶道具もその製作者や辿って来た歴史が大切なのだと思う」
「確かに製作者も重要ですね、それに所有者の変遷などですかね」
「うむ。将軍が愛した道具なら、使ってみたいと思う人情だな」
剣豪将軍・義輝は、畳に足利家所蔵の刀数十本を突き立て、三好三人衆の軍勢を迎え撃ち、刃こぼれしては刀を替えて最後の時刻まで奮戦したという。
「刀剣ならば気持ちは分かります。爺は殿様を誤解していたようです」
「誤解が解けて良かった」
笑顔になる奇妙丸。
そこへ、奇蝶御前がやって来た。
「おはよう、奇妙丸」
「母上、おはようございます」
「もっと近くに来て、顔を良く見せておくれ」
「はい。母上」
「こうして、朝から言葉を交わせるというのは幸せなことだの」
「はい。母上の居る所が私の帰るところだと実感しました」
「嬉しい事をいってくれる」
「湖北では、良く遇してもらえたのかい?」
奇蝶御前も織田家と浅井家の関係を気にかけている。兄・斎藤義龍の正室は浅井亮政の娘でもあり、斎藤家と浅井家の間にも浅からぬ縁がある。
「はい。清水谷には温泉なども有り、寛げました。於市殿と於茶々は元気です」
朝妻に避難した二人の事は、母を心配させるので今は黙っていよう。
「皆が健やかなのが、私の幸せです」
「有難うございます」
「そうそう、二人ともこちらへ」
奇蝶御前が手を叩いて奥御殿から人を呼ぶ。廊下の奥から良く見覚えのある侍女がやって来た。
「おおっ。久しぶりではないか。二人とも大人になった感じがするな」
近江日野の冬姫の所から、池田お仙とお久の姉妹が戻っていたのだ。
「「奇妙丸様、お久しぶりです」」
二人の声が唱和する。さすが姉妹だ。
「使いで来たのか?」
「いえ、冬姫様の所から戻ることになりました。姫のお傍に居たかったのですが、私達姉妹が蒲生家に居る事は人質に等しいということで、冬姫様は人質となるのは自分一人で良いと・・」
「そうか」
大名同士の婚姻は、家中の者達も巻き込むので複雑なことになる。
心配そうな奇妙丸に、お仙が補足する。
「於妙殿は今も冬姫様の傍にお仕えしています」
「そうか、於妙殿がいれば安心だな。それに冬姫も寂しくはないだろう」
冬姫が周りに心許せるような女友達とも言える存在がなく、ひとりになることが無くて良かったと思う。
*****
「皆さま、おはようございます」
そこへ色の白い青年が静かに現れる。
「半兵衛、早い出仕であるな」と感心する奇蝶御前。
振り返る奇妙丸。
「はい、若様が特別に、近くの屋敷を用意して下さったので」
奇蝶が、そうなのか?と表情で奇妙丸に確認する。
「於八の隣の屋敷です」
奇蝶に応える奇妙丸。
「奇妙丸の信頼の証。半兵衛、岐阜城を乗っ取る出ないぞ!」
奇蝶御前は、半兵衛相手に少し不用心ではないかと感じた。
「これは痛いお言葉。私、ようやく人生を懸けるべき主君が見つかりましたから、もうあのような暴走は致しませぬ」
「人生を懸ける主君とは、我が殿(信長)のことか?」
「奇妙丸様に御座います。信長様の覇業はいずれ、余程のことがなければ達成されるでしょう。私はその後の奇妙丸様の治世に懸けて見たいのです」
「どのようにして?」
「私が精魂込めて、奇妙丸様を名君に育て上げてみせます。今日も一刻も早く若様の傍に出仕しようと思い参りました」
「半兵衛、それは大きな野望だの」
「ええ、竹中半兵衛重治の野望に御座います」
ホッホッホッホと、口を隠しながら笑う奇蝶御前。
「奇妙丸、半兵衛殿に見込まれたぞ。これから大変じゃの」
ハッハッハッハと、半兵衛と奇蝶を見比べながら照れ笑いする奇妙丸。
「それがしとの約束も果たして貰わねばなりません」
頭巾を被った巨漢が廊下の奥から現れる。
「誰かと思えば楽呂左衛門か、久しいの。それにすっかり武士言葉が板についた」
奇蝶御前が笑って話しかける。
「これは奇蝶様、御無礼いたしました」
頭巾をはずす呂左衛門。
「奇妙丸様には、私と一緒に西洋世界へも船出して頂かなくては」
「うむ。その約束もある。何年かかるか判らぬが、目標に向かって全力で駆け抜けよう」
「私も、お供いたします」と話に乗る半兵衛。
楽呂左衛門に半兵衛までも廊下に片膝をついて、奇妙丸に頭を下げる。
その様子を微笑ましげに見守る奇蝶御前。
「奇妙丸が成長して帰って来るのが、我は嬉しいぞ」
*****
そこへ、奇妙丸の傍衆達が続々と集い始める。
「若様、お早うございます」
庭先に集う傍衆達。
「三吉、於八、正九郎、於勝、於九、甚七郎、新太郎、お主等も来たか全員揃ったな」
周囲を見渡してから、庭へと声を掛ける。
「桜、いるか?」
「はいっ」
桜が何処からともなく庭先に現れた。
「お早う、桜」と奇蝶御前。慌ててお辞儀する桜。
「桜、鯉の餌やりを頼む」
「はい」
桜に餌籠を渡し、転じて奇蝶御前にお辞儀する奇妙丸。
「それでは、母上。打ち合わせをして参ります」
「はい。行ってらっしゃい」
奇妙丸は、全員を引き連れて部屋へと戻って行く。奇蝶は一行を静かに見送った。
「桜、あとで私の部屋に」と奇蝶御前が桜に声を掛ける。
「はいっ」と笑顔で答える桜と、桜に笑顔を向ける池田姉妹だった。
*****
奇妙丸の間。
「爺、現状の武将配置を教えてくれるか、半兵衛殿にも現況を知っておいて貰いたい」
「分かりました。それでは地図を」
「うむ」
奇妙丸の合図で、隣の部屋から巨大な絵図面が運び出され、部屋の中央に広げて並べられた。
絵図には美濃国の各城が記されている。
http://17453.mitemin.net/i245969/
http://17453.mitemin.net/i245864/
(*1)
(*1)小説用の1570年現況図です(フィクションです)。佐和山に入るまでの丹羽長秀の所領や、蜂屋頼隆、金森長近についても同じく悩んでいます。美濃出とされる蜂屋氏の本貫地、金森氏の本貫地など地縁を優先して配置されると考えました。
今週は地図作製にもえたで御座る。




