281部:金華山、金花山
岐阜城。
かつて山頂三ノ丸に斎藤道三が建造した物見楼閣を解体し、新たに七層の主櫓楼閣(*1)を建造している。
これは信長が光秀の献策を用いて、「天主閣」と名付けた。
二ノ丸、一ノ丸にも五層の副櫓楼閣が同時に建立され、山頂三ノ丸を本丸と改め、一ノ丸は三ノ丸と呼称を改めた。
岐阜城改築の大工総官には、義昭により禁裏修繕の幕府宮大工棟梁からはずされた衛門宗久が、信長により抜擢された。
・・・・足利義昭が「禁裏御大工総官」に幕府大工総官家の衛門宗定を指名したが、信長は末弟の衛門宗久の大工の腕前をかっていた。衛門宗久は信長の期待に応えるべく、そして自身の職人としての尊厳を懸け、美濃・尾張の宮大工を統括して渾身の建造物群を構築している(*2)。
山頂で繰り広げられる工事を見上げながら、奇妙丸一行は金華山山麓にある本丸御殿に入城した。
・・・・この本丸御殿は山頂の天主が本丸館となれば、信長家族は山頂へと移り、御殿は岐阜政庁となることが決められている。
(この山を、半兵衛殿達がたった16人で攻略したわけか)
一緒に入城する、竹中党を振り返り、恐るべき16人と緊張する。
「どうして、この山は金華山とも言うのだろう?」
そこで、於勝が素朴な疑問を呟いた。
「この金華山は、平城帝の孫、在原業平の兄・行平(818~893)が陸奥の金花山から金を持ち帰り、途中ここに置いて帰ったという、その故事から金華山と呼ばれるらしい」
元・信長弓衆の山田勝盛は、古くからの由来を信長の傍に居た時に聞いて知っている。
続けて竹中半兵衛が話し始めた。
「私の調べたところでは、陸奥の金花山は牝鹿半島の山のことです。聖武帝の時、陸奥守となった百済王敬服が、現地の丸子連が見つけた陸奥金花山の鉱脈のことを知り、大陸の技術で金鉱脈から掘り出し製錬して、天平21年(749年)大仏建立の為の黄金を献上したという話があります」
「行平の時代よりも百年ほど古い話ですね」
「語り継がれる中で、なにかの事情で在原行平ということになったのでしょう」
やはり半兵衛は、なんでも探求せずにはいられない学者肌の人物の様だ。
「おそらく、丸子連の絡む金花山の話はそれよりも更に古い」
「なんと?!!」
「丸子連等が黄金を掘った時、山頂に国常立命・海童神・金山毘古命の三柱を、山腹に金山毘売命を祀ったといいます。金山姫とは「金大神」に通じる神でしょう。
そして美濃金華山の麓にある金神社の社伝によれば、五十瓊敷入彦命は、垂仁帝の命により奥州を平定したが、その功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて三野(美濃)の地で討たれ、弟の大足彦命は景行帝となります。
景行帝の娘で、五十瓊敷入彦命の妃である渟熨斗姫命がその地を訪れ、五十瓊敷入彦命を慰霊しつつ生涯を終え、その間、私財を投じて町の発展に寄与したことから、後に「財をもたらす神」として祀られるようになったといい、そこから「金大神」と呼ばれて信仰されるようになったと伝える。金大神とは陸奥の丸子連の崇拝した神でしょう」
「なるほど」
「そして丸子連は、景行帝の皇子である小碓皇子、日本武尊のことですが、皇子の東征に従った大伴氏の一族が丸子連を称したと言います」
「ほうほう」
「おそらく、丸子連が陸奥に土着し、陸奥牝鹿ばかりでなく秋田男鹿の金花山の開発にも関わり、各地に金花山の名を遺したのではないでしょうか。そして、惣領の大伴氏が陸奥の開発に従事していましたが、藤原氏の時代に大伴氏の功績が歴史から消されたと推測されます」
「流石、半兵衛殿だ」
黙って話を聞いている武藤喜兵衛。半兵衛から目立ちすぎると言われたのを気にしている訳ではないが、奇妙丸一行に馴染んで岐阜城入城も果たしている。
「大伴家持(718~785)が産金を祝して、〝天皇の御代栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く”
という長歌を作り、黄金山と呼ばれるようになり、後に金花山・金華山と呼ばれるようになったといいます」
「大伴家持卿は、陸奥按察使鎮守府将軍兼、持節征東将軍をつとめたという・・」
奇妙丸が記憶を辿る。
「大伴家最初の征東将軍か・・」
そう呟いて、伴ノ桜をみる勝盛。
「天皇の御代栄えんと 東なる 陸奥の山奥に黄金の花が咲く」
正九郎が、家持の詩を繰り返す。
「大仏建立に深く関わっていたのは大伴氏だったのかもしれませんね。美濃金華山にも、古の歴史の断片が残されているのですね」
「そうです、奇妙丸殿!」
竹中半兵衛は、自分と同じ結論に至った奇妙丸の推理力に満足げだ。
「〝わが大君 諸人を誘ひ給へ 良きことを 始め給ひて 黄金かも 楽しくあらむと おほほしく 下悩ますに 鳥が鳴く 東の国の 陸奥の を谷ある山に 黄金ありと 申し給へれ 御心を” 家持卿の長歌です」
詩を詠む半兵衛の声は、涼し気に良く通る。
「大仏を造るぞ という聖武帝の呼びかけに応え、帝の求める黄金仏の為に、大伴家の八咫烏が、黄金のありかをお知らせしたということでしょうか?」
「その通りです、奇妙丸様!」
奇妙丸の推理に再び合格の太鼓判を押す半兵衛だった。
褒められる奇妙丸を見て、於八に於勝もなぜか鼻が高い。
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「母上。戻りました!」
「お帰り奇妙丸。供の人数がまた増えたのではないですか?」
「はいっ、竹中一党が我勢に加わって下さいました」
半兵衛が奇蝶御前の前に進み出て跪く。
「竹中半兵衛重治に御座いまする」
深く一礼してから、奇蝶御前を見上げる。
「半兵衛殿か、そちが我が父(斎藤道三入道)が光秀とともに美濃の逸材と評した男か」
「道三様が、そのようなことを?」
「将来が楽しみだと手紙に記されていた。それに、父が勧めて伊賀伊賀守(安藤守就)が娘婿としたとか」
「はい。有難きお心遣いを頂きました。おかげさまで我が義兄弟が増えました。相婿には遠藤盛枝(のち慶隆)や、まだお会いしたことがありませぬが山内猪右衛門(一豊)がおります」
(林家にやっかいになっていた山内猪右衛門か、覚えがある)
信長が林秀貞の献策を聞き入れ、安藤家と岩倉山内家の縁を結ぶことを了承し尾張と美濃の絆を深めた。一行は山内猪右衛門に会った記憶があるので、世間は狭いものだと思う。
「家が血の絆によって繋がっていくことは、次の世代の為に良い事です」
「竹中家も、いずれ織田家と縁を結べればと願っております」
「奇妙丸の子供世代になればそのような話も自然に起きましょう」
「そうですね。奇妙丸様に期待しております」
「私は半兵衛殿が奇妙丸の良き師となってくれることを期待していますよ」
「奇蝶様にそう言って頂けて光栄です。この半兵衛の命の尽きるまで奇妙丸様に忠節を誓いましょう」
「有難う、半兵衛」
傍らで静かに話を聞いていた奇妙丸は鳥肌が立っていた。
戦国時代最高の策士が、命尽きるまで自分に仕えたいと言ってくれているのだ、これほど栄誉なことはない。
塚本小大膳も奇蝶の後ろで満足げに頷いていた。
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(*1)小説のみの造語です。
(*2)衛門による岐阜城改修はフィクションです。




