280部:仕官
遠藤直経の勧誘を受けた半兵衛の様子を、そっと見守る奇妙丸。
「堀家の樋口殿にはお世話になりもうした。それに、長政殿にも静かな隠居時間を頂き、誠に有り難かったとお伝え下され」
やんわりと、浅井家への仕官を断った半兵衛。
「そうですか・・」
浅井家に芽はないのかと、残念そうな直経。
そして、半兵衛が奇妙丸の前へと進み出る。
「織田奇妙丸殿、改めてご挨拶申し上げる。私は竹中半兵衛と申します。初対面でぶしつけながら、奇妙丸殿にお伺いしたいことがあるのですが」
注目を集める半兵衛だが、彼の関心はすでに別の所にあったようだ。
半兵衛は先程からの奇妙丸達の一行のやりとりを興味深げに見ていた。
「そちらの、奇妙丸殿にお仕えするこの南蛮人侍殿は一体?」
奇妙丸の横に立つ白鎧の武者を、しげしげと見る半兵衛。
半兵衛殿も南蛮人の侍を見るのは初めてだろう。
「彼は、呂左衛門と言います」
呂左衛門としては、日本人の好奇心には随分と慣れたが、内面までを見透かそうとする目で自分を見るこの若者はなんだ? といった具合である。
「呂左衛門は印度国の更に西の伊太利亜国から、南蛮船に乗って2年間の航海を重ねてやって来たのです」
奇妙丸が呂左衛門の説明をする。
「伊太利亜国?、私の聞いたことのない国です。 面白い! 実に、面白い! 世界は広いのですね」
半兵衛の白い顔が、興奮し薄らと赤味を帯びてきているのがわかった。
「奇妙丸殿の所に詳しい世界地図は御座いますか?」
「呂左衛門が献上してくれたものがあります。岐阜城にあるのですが、ご覧になられますか?」
「それは、是非見せて頂きたい。有り難い」
「半兵衛殿に喜んで頂けて良かった。ところで呂左衛門、試作船はもう完成したのか?」
「船の建造は、服部政友殿が弥富勢を動員して引き継いでくれています。五月上旬には完成することが出来ると思います」
「それは、楽しみだな」
南蛮人武将とのやり取りを、興味深げに見る半兵衛。
半兵衛をあきらめきれずにいた遠藤直経は、気を取り直して、新しい条件を提示する。
「半兵衛殿、それではこの遠藤直経の兄弟分にならないか、一族と変わりない待遇を約束する」
直経としては、最高級の待遇で持って半兵衛を繋ぎ留めたい。
「決めました!」
涼しげな声で直経に答える半兵衛。
「おお!それでは私と一緒に清水谷に」
一気に期待が膨れ上がる直経。
「いえ」と半兵衛は否定する。
「この半兵衛、名前を重虎から重治と改めます」
遠藤直経の問いとは別の答えを言う。
「は???」となる遠藤。
「虎から政治の治に改名されると、その真意は?」
武藤喜兵衛が半兵衛に尋ねる。
「この乱世を治め、天下の静謐が百年、いや千年続く治世を創造したいと思いました」
改名の真意を語り出す半兵衛。
奇妙丸は半兵衛の言葉に、
半兵衛が天下人への道を自ら駆け上がるつもりなのか?と一瞬思うが、それはあり得ないと考え直す。
それでは、織田家へ、父・信長に仕えたいということなのだろうか?
「美濃攻略の際、父・信長が再三使者を立てて勧誘されたらしいが、竹中殿はもう世には出られぬ様子だと嘆いておりましたのですが、織田家に出仕されるということですか?」
半兵衛が重い腰を上げるのかと思う奇妙丸。
「それからも、秀吉殿が二回ほど訪ねて来られたのですが、三顧の礼はいらないとお断り申した」
「秀吉殿も来ていたのですか?」
「どうですか、私は奇妙丸様の傍に御仕えできますか?」
「えええ?!」と驚く一同。
「半兵衛殿が織田家に?」
「ええ、織田家というよりも奇妙丸殿、いや、奇妙丸様の家臣となりたいのですが」
「本当ですか?」
「武士に二言は御座らぬ」
竹中半兵衛の望む仕官先は織田家だが、奇妙丸の直属を望んでいるようだった。
奇妙丸にとっては青天の霹靂である。
「私が、仕えてみたいと直感的に思ったのは貴方だ!」
「それは光栄で御座いますが・・」
(父や、秀吉はなんというだろう? 面目を失わないだろうか)
半兵衛は、奇妙丸にとっては九歳年長の武将だ。
「分かりました。父には私の軍略の師として織田家に来て頂くということで報告いたしましょう」
(あの竹中半兵衛殿が織田家に馬を繋いだというだけでも大きな宣伝になるはず。父も許してくれるだろう)
「大丈夫。きっと旨く行きます」と半兵衛は太鼓判を押す。
(武田のものにならぬなら殺してしまおうと思った危険人物だが、これで排除するのは難しいな)
喜兵衛は、主への手土産が増えず残念だが、武田家の婿である奇妙丸直属ということなので納得する。
「喜兵衛殿は、どうやって竹中殿の庵を見付ける事が出来たのですか?」
発見することが難しいとされた半兵衛の庵にどうやって辿り着いたのだろうと思う奇妙丸。
「蛇の道は蛇、と言いますか、信濃望月氏は近江の望月と同族でして、近江のことはいろいろと」
「成程、情報が入って来るのですね」
(むぅ、この地の豪族・今井だな、余計な事を)
軍監・遠藤直経は、在地の豪族衆の中でも今井秀形を真っ先に疑う。今井家の当主・定清は味方によって暗殺されていた。息子の秀形が武田方に情報漏えいしていたならば、やはり今井家の忠誠心は疑わねばという思いだ。
「しかし、私の後を朝倉の敦賀衆もついて来てしまったようです。申し訳ない」
半兵衛に頭を下げる喜兵衛。
「武藤殿は才気が溢れすぎて目立ちすぎるのでしょう、気をつけられよ」嗜める半兵衛。
「肝に銘じます」
一目置く半兵衛に言われた言葉なので、喜兵衛は重く受け止めた。
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南近江、百々の駐屯緒に引き上げる浅井軍。
遠藤直経の与力である片桐市正が、直経に進言する。
・・・・片桐市正(のち且元)は、小谷山の南の谷、須賀屋谷の豪族・片桐直貞の息子だ。須賀屋谷には温泉があり、片桐氏はこれを経営しているので、浅井家中でも裕福な一族である。市正は幼少の頃から番台で金銭のやり取りを見ており、銭の計算を得意としている。
「直経様、朝倉敦賀衆はどうされますか?」
「退散したのだ、捨て置け」
「それでは奇妙丸殿をこのまま見送るのですか? それに竹中半兵衛も同行していますが」
「・・・・」
無言の直経。
反応が無いので聴こえていないのかと思い表情を覗き込む。
「直経様?」
「奇妙丸殿を見て、儂には当家の先が見えてしまったわい」
溜息をつく直経に、片桐が抗議する。
「勇者・遠藤殿ともあろう方が何を諦めたようなことを申されるのですか?」
「かつて、私が長政様に信長を暗殺することを進言したが、殿は却下された。今、天下の趨勢が織田家に傾きつつあるときに、今更織田家を裏切ってどうする?」
「では、直経様は、浅井家の覇業はもう諦められたと?」
「戦国を終わらせる英雄は織田信長に間違いあるまい。そして天下の継承者である奇妙丸殿のところには自然と人が集まる」
「あの竹中半兵衛が、奇妙丸殿に付くと行動を起こしたのだ。奇妙丸殿の器量、間違いあるまい」
「我が主・長政殿は誰よりも若い。私は長政様こそ天下を統べる方と見込んでおりますが・・」
奇妙丸が長政を越える英雄だとは、市正にはまだ思えなかった。
直経は何も答えず馬に身を任せる。やはりこれからは織田家を一途に支持していこうと、孫作たち一族の為に思いを固めるのだった。
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