277部:祈り
その夜。
安養寺と新庄は、浅井長政の家臣として織田家に忠節を誓う事を奇妙丸に伝える。奇妙丸は両家を見捨てないで支援することを約束した。
「直頼殿、竹生島を襲撃した伊賀者のことが気になりますが、私は岐阜へと戻ります」
奇妙丸は帰還する意を決したことを直頼に伝えた。
「そうですか、竹生島の事件は浅井玄蕃の手の者が、領国内の各地に指名手配しているので、間もなく捕縛されるでしょう。
奇妙丸様は、信長様が上洛されたのでご留守番をされるのですね」
「うむ。一度岐阜城に戻り、しっかりと父の足元を固めようと思います」
「朝妻からは、天ノ川に沿って登って行くと良いでしょう。更に中仙道を東に進めば岐阜で御座いますよ」
「迷わずに帰れますね。清流と名高い天ノ川の風情も味わって帰りたいと思います」
「御存じかもしれませんが、天の川はその昔・息長川とも言いました。伊吹山と共に歴史のある川です。是非ご覧になって下さい。次は、蛍の季節にもお越し下さることをお勧めします」
・・・・天ノ川(天野川)、またの名を息長川。伊吹山の積雪が解けてできた小沢や、伏流水となった地下水が集まり清流・天ノ川の源流となる。古代、雄略帝の死後に、吉備氏の系統の星川稚宮皇子が母・吉備ノ稚姫と共に、朝妻の地の大蔵(武器庫)を抑えて朝廷に反旗を翻すが、葛城氏の系統の白髪大倭根子皇子(清寧天皇)の派遣した大伴室屋と東漢直 都加(掬)により火を放たれて鎮圧された。そして、後の世には天智帝が大陸出兵に備えて東国から集めた兵馬を鍛えた地であるともいう。天ノ川流域は東西世界を結び、昔から朝廷の軍事拠点として重要視された土地だった。
「有難う。また寄せて頂きますぞ」
「いつでもお越しを!」
自分が成人して上洛する様になれば、度々朝妻を宿とすることになるだろうと想像する。ここで新庄直頼と安養寺氏種に出会えたことは収穫だった。織田家にとっては重要な人材だ。
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翌朝。朝妻城大手門前。
奇妙丸一行を見送りに、城主・新庄直頼の一族はじめ、安養寺に陪臣たち、於市御前と茶々姫も門まで出て来てくれた。
「それでは、於市御前に於茶々、お達者で!」
「はい、奇妙丸殿もご達者で。それに奇蝶御前様に宜しくお伝えください」
「わかりました!」
「桜、またねー」
「はい、茶々姫様!」
於市御前、茶々、新庄直頼、安養寺氏種に見送られて、城門をでた奇妙丸達。
「天ノ川に沿って美濃に戻るぞ!」
「はっ!!」
奇妙丸の掛け声のもと、傍衆と山田勝盛率いる黒武者衆が進軍する。
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醒ケ井付近、泉神社。
「天ノ川か。どうして息長川から、天ノ川とも呼ばれるようになったのでしょうね」
素朴な疑問を於勝があげる。
「星川皇子の様に、名前の通り死んでから星になった人物が沢山いるという意味だろうか、もしくは死んだ人が星の数ほどいるとか・・」
於八が、問いかけに自分の考えで返す。
「それは怖いな」
於勝が悲惨な顔をする。
「天智帝と所縁があるので、天ノ川なのでは?」
「なるほどな」
なんとなく正九郎の意見に、納得する二人。
思うところあって、皆の話に奇妙丸も参加する。
「唐ノ国の書には、古代には北極星を名乗る辰王と呼ばれる王がいたそうだ」
「北辰の辰ですか?」
「うむ。夜空の天体を信仰する王国が、ひょっとしたら太古にあったのかもしれない。天ノ川の名はもっと古くからあるのかもしれぬぞ」
「それは面白いですね」
「唐ノ国の歴史書を手に入れて、心ゆくまで読んで掘り下げてみたいものだ」
「丹羽五郎左衛門殿も、そのようなことを言っておられましたが」
「ははっ、師匠・五郎左衛門殿の受け売りなのだ」
「信長様も唐ノ歴史に凝っておられましたよね」
「うむ。竹中半兵衛殿とも唐国の兵法書について、深く談義したいと申されていた」
「入道信玄公も兵法書を読み込んでおられるようですからね。対等な話をするためには、軍略に通じた人が傍に居る事が重要です」
(皆が一目置く竹中半兵衛は、今は何処に潜んでいるのだろうか・・。このまま世に現れないのは、本当にもったいない)
会ったことの無い男の事を想像して、伊吹山を見上げる奇妙丸達。
「伊吹山の雪を集めた息長川(天ノ川)の流れは雄大だな」
奇妙丸が呟く。
「“鳰鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも” ですね」
正九郎が息長川にゆかりのある万葉集の詩を詠む。
「“息長川に潜る にほ鳥*の息が絶えてしまうとしても わが君に語りたい言葉は尽きることがあろうか、決して尽きることはないだろう” 。でも、にほ鳥とはなんでしょうか」
於八が詩を解説するが、にほ鳥と呼ばれる鳥に関しては知識がない。
「“にほ鳥”とは琵琶湖周辺に住む、カイツブリのことだというぞ」
奇妙丸は、それについても師匠達から習っている。
「かいつぶり、ですか」
「小さな鳥なのだが、水に浮いて泳ぐのが得意で、餌を得る為に息長く潜水することができるそうだ」
「なるほど、それで息長に掛けられているのですね」
「首をすくめた時の模様が日の丸に似ている、特徴ある水鳥だな」
「古代の人々も、自分達の生業と重ねて鳥をみていたかもしれないですね」
「うん。面白いなあ」
(若様と、そして仲間と、いつまでもこうして語らっていたいものだ)
正九郎は、世の中が落ち着かぬ方向に動いている気がして、自分と皆の将来を心配する。
「息長氏は東国の騎馬兵(馬氏)をもって河内国伎人郷にも進出し、日本武尊の孫である杭俣長日子王が治めたそうだ。それゆえ息長氏とその民は、東近江と河内に同じ地名を付けて故郷を想ったのだろう」
「朝妻筑摩の筑摩神社のクマに通じるのですね」
と正九郎は、摂津国に行った事があるので、隣国の河内の様子の想像がつく。
(クマタは、扇状地を流れ九股に分かれる大和川の様子を言葉で表現したものだろう、それが東近江の景色と重なったのかもしれない)
「杭俣に移住した民は息長帯姫(神功皇后)の息子である誉田別(応神帝)の即位や、袁本杼ノ命(継体帝)の即位にも大いに貢献したという」
「息長氏が絶えず朝廷を支えて来たのですね」
「息が長い・・か。伊勢・志摩国の海女達にも関連があるのかもしれぬな」
(名前の由来は古代語か、文字に記される以前の、はるか神代からの歴史が関わるのではないだろうか)
それぞれに自分の生まれた国の過去に思いを馳せる一行。
「この辺りで小休止するか」
神社が見えて来たので、ここで足を休めようと指示を出す。
「ここは、泉神社ですね!」
「泉神社の湧水は有名らしいぞ、日本武尊もここで正気を取り戻されたらしい」
「目覚めの泉と言う事か」
黒武者衆は鳥居傍にある泉の水を、交替に汲んでは馬や自分の喉を潤し、濡らした手拭で額の汗を拭きとっている。
「美味い!! 本当に生き返るぜ!」
正直な於勝を見て笑う勝盛。
ここから湧き出る泉の水は、確かに格別な水だと思う。
鳥居から奥には、神社本殿まで長い石段が続いている。
「行ってみるか」
「皆の衆は、ここで休息していても良いぞ」
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「おう!奇妙丸様、有難うございます!」
石段を上がる奇妙丸に付いて来ようとする傍衆達。
「お前たちも無理しなくても良いぞ」
「いやいや、石段と言えば私でしょう」と於八。
「今、チクリと嫌味を言ったな於八!」と於勝。
「ふっふっふ、福男は私だからな」
「今年は、俺がかっさらってやる!」
桜も岐阜の祭りを思い出す。随分と昔の様にも思える。
「そういえば、もうそろそろの季節だな」
「忘れていたのですか?!」
ハッハッハと、笑ってごまかす奇妙丸。
石段を登り終えると、苔むした古い社殿が見えて来た。この地の領主だった京極家が、特別に保護し長く崇めて来ただけあり、霊威に満ちた厳かな雰囲気がある。
「此処には、豊葦原中津国の王・素戔嗚様と大国主様が祭られているのだな」
奇妙丸を先頭に、傍衆達は横一列となって拝む。
(戦乱を終わらせ、国を導く為に、我らに力をお貸しください)
ここで足利尊氏の盟友、京極入道道誉(佐々木高氏)も、伊吹山の清水で身を清めて同じことを願っていたのかもしれないな・・・。
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*詩の解読ですが、息長川が絶える事はないと思われますので、枕詞となっている「にほ鳥」の長い息を指しているのではないだろうかと思って変えてみました。本当の現代訳とは違いますので、個々で良く検討されてみてください。




