265部:京極
夜の清水谷。大手門は、扉が固く閉ざされ出入りが制限されている。
奇妙丸達は、来客用の別館を与えられて清水谷内に宿泊している。屋敷の周囲は藤堂家の者達が夜も警護についていた。
夜半、奇妙丸の部屋を訪ねるひとりの少年がいた。
「失礼いたします。小法師です」
・・・・・京極小法師は、京極家の惣領・高吉の嫡男である。母は浅井久政の娘である於慶御前で、小法師は小谷城で誕生した。浅井家の親族でもあり、清水谷の内にいれば安全という事で、谷内での行動は特に制限されてはいなかった。
「小法師殿?(京極殿か?) 入られよ」
そっと襖が開き、昼間大広間で会った小法師が入ってきた。
「父・高吉が山頂の京極丸で臥せっておりますので、私が代行としてご挨拶に伺いました。昼間はお話しできる時間もなく、御非礼お許しください」
「お気になさらず。小法師殿は、お幾つになられたのですか?」
「七歳に御座います」
(どうやら、小法師殿は父上から堅苦しいまでの礼儀作法を叩きこまれている様子だ)
「小法師殿、そのように畏まれなくて良いですよ」
「信長様は、義昭公に副将軍と指名されたお方。それに奇妙丸様は義昭公の御猶子となられ斯波家の家督と源氏長者をも手にするお方、我ら四職家よりも格上に御座います」
父・信長は旧権威(斯波)を戴き天道(天下の政道)への筋道を立てて大名と也、政治を行ってきた。そして、公儀(主君)が間違った治世を行うならば、道を正す為に追放し、更に上位の旧権威(足利将軍)を戴いて名誉と権力を得てきた。
その繰り返しで足利幕府を左右する地位まで登り詰めた。
今や信長の権力(富と名声と軍事力)は、四職、管領、副将軍を凌ぎ、将軍をも凌駕しつつある。
最近、改まった態度で接される事が多くなってきたので、織田家の地位上昇を肌に感じる機会が多くなった。
(京極家も、格式を重んじなければ名族の権威を失うので、嫌でも織田家を尊重しなければならなくなってきているのだ.
日本人は家門への依存があるのでこのしがらみから脱却できなくなるのだな。
生まれながらに身分の高い者は、下の者に最初から地位は決まっているのだから諦めろというが、赤松円心入道、楠木正成公は最初から身分が高いわけではなかった。それに斎藤道三入道、織田弾正忠信秀、戦国に名を刻んだ者は、つまらない壁をことごとく破壊してきた。
織田家の中では、父・信長が引き継いだ能力主義により、一益や秀吉のような流れ者が能力を発揮して続々と昇進していく。これは民衆に重くのしかかっていた生まれながらの身分という伝統を振り払う、新しいうねりとなるかもしれぬ。
私も、一益や秀吉に負けぬ何かを身に付けねば、彼らの上に立つ資格はない・・。
父は上に立つために誰よりも努力している。無能が我ままの理不尽をふりまわしていきがっているのではない。自己鍛錬の上に天道の筋を通しているから、一益や秀吉の様な優秀な人材がついてくるのだ。私も命の限り努力し続けなければ、彼らや父を超えることは出来ぬ)
「奇妙丸様は、これからのご予定は?」
「御領内を見学させて頂き、岐阜に戻るつもりですが」
「信長様からの書状に、父の入洛が要請されていたのですが、父は山頂にある京極丸を出る事が出来ませぬ」
「そうなのですか」
「父は、私に代理を務めるように言うのですが、私が従える事が出来る家来衆は、この城にはおりませぬ。奇妙丸様、私を信長様の下へ連れて行ってはもらえないでしょうか?」
「父は常楽寺にしばらく用事があるはず。お送りすることは可能ですが、長政殿に相談してみなければなりませんね」
「よろしくお願い致します」
「それでは、もう夜も遅い。小法師殿もこの客館で休んで明るくなってから館に戻られてはどうかな?」
「有難うございます」
緊張が解けて、小法師は眠くなってきたようだ。奇妙丸が呼んだ傍衆達に案内されて、客館の一室へと引き上げて行った。
(小法師殿も、外の世界を見てみたいのかもしれないな)
*****
深夜。
((ブゥオオオオオーーー!!))
清水谷に、多数の法螺貝の音が鳴り響く。大手門南傍の磯野丸の方から、非常時に鳴らされるという鐘が連打される。
「法螺貝の音の後に、鐘の音? どうしたのだ、ただ事ではない様だが?」
そこへ正九郎が駆け込んでくる。
「若様、山頂で何か異変が起きた様子です」
「小法師殿もこちらへ呼ぶのだ」
「はい!」
(家臣団の誰かが、浅井家に反乱したのだろうか?)
奇妙丸が縁側に出ると、中庭には一行の者が参集してきていた。
「全員居るか?」
「はい。欠けた者はいない様です」
正九郎が小法師を起こして、奇妙丸の傍まで連れて来た。
「非常事態の様だ、味方打ちが起きるやもしれぬ、全員備えよ!。」
「「はっ、若様」」
個人個人の獲物(武器)は、それぞれ身に抱えている。あとは背負ってきた鎧櫃を開くと、軽装ながら(旅の途中なので簡易的なものだが)、それなりの武具も準備できるようにしていた。
籠手や脛当てを装着する時は、声を掛けてお互いに結び合う。
「於八、俺も冬姫様から防具を貰ったぞ」
「私も冬姫様から追加で頂いた」
「実は私も」と正九郎。
「皆、完全装備だな」
「冬姫と妹達、女中衆が少しづつ縫いつけててくれていたそうです」
「そうか、日々準備をしてくれていたのだな。我らは姫達の思いに守られているのだ」
冬姫達の心遣いに感謝する奇妙丸。
そこへ、藤堂高虎が駆けこんできた。
「館からお出かけにならぬようお願い申し上げる!」
「高虎殿、何事ですか?!」
「山頂付近で山火事が発生したようです。放火かもしれません」
「火事?放火ですか?!」
「今夜は風も静かでしたし、不審火の線が濃厚です」
「六角勢ですか?」
「今、長政様達が確認の為に向われております」
「そうか」
夜が明けるまでは詳しい状況は判らぬ様子だ。奇妙丸一行は非常時に備えたまま不安な夜を過ごすことになった。
*****
翌朝。
浅井長政が傍衆を引き連れて客館へとやって来た。
「お騒がせして相済みませぬ」
「長政殿、どうなされたのですか?」
「京極丸が放火された。六角家の仕業だろう。それに、殺害された死体の痕跡から判断するに、伊賀者でしょう」
「伊賀衆!!」
「京極丸の者達は化け物をみたと言っています。これは妖術で惑わされたのかもしれぬ。それに、岩屋では修験者達が針のような物で刺されて死んでいました。一部はもがき苦しんだ苦悶の表情をしていた。拷問をうけた様だ」
「桜、心当たりはあるか?」
「その殺しの手口ならば、伊賀忍頭領の楯岡道順一派かと」
「知っている。以前、佐和山城の百々(どど)殿が、義賢の命を受けた楯岡に襲撃されたと聞いた。奴の本名は伊賀崎道順といったな」
「父・高吉は大丈夫でしょうか」
「うむ。早めに消し止められたので、無事だった」
「良かった」と安堵の表情の小法師。
「六角は、近江守護職を京極家に取られることを恐れて、伊賀者を使って、高吉・小法師殿の命を狙ったのでしょうか」
「それもあるかもしれぬ」無いとは言い切れない。六角家が存続する以上、これからも小法師の守護を怠る訳にはいかないだろう。
「ならば、小法師殿が清水谷の方にいて良かった」
「他に人さらい目的などは?」
「いや、岩屋が襲われたということは、京極丸は誘導だったのかもしれぬ」
「長政殿が、御神宝があるといっていた場所では? 阿古様が洞窟に籠っておられた様でしたが?」
「母は六坊に引き上げていて無事だった。洞窟は無人になっていたのだ」
「それは良かった」
「浅井の者を火事で誘導し、我々が消化している間に、岩屋を狙い、宝を持って逃げるつもりだったようだが、宝は岩屋には置いていなかったのだ」
「では、浅井家の御神宝狙い?」
「杖と剣は無事だ。しかし神宝を狙うとは・・」
長政が目をつぶって推理する。
「私が、六角家の宝物庫から宝を取り返したことを知っているということは、六角当主直属の忍びだな」
「これから、どうされますか?」
奇妙丸達が長政に協力できることはないのだろうかと思い、長政にどのような対策を講じるつもりか確認する。
「山の方にも警備を万全にするように警戒態勢をひく。そして、小法師の身の安全を優先する。更に、御神宝の警護も万全にしようと思う」
「そうですね」部外者である奇妙丸に打つ手はそれほどない。
カンカンカンカン!
再び、磯野丸の方で警戒の鐘の音が鳴り響く。
「何かあったか?それでは奇妙殿、小法師殿、このまま待機していて下され!」
「承知 仕つった!」
(小法師の上洛の件は少し状況が落ち着いてから切出そう)
足早に去って行く長政を見送って、小法師の肩に手を置く奇妙丸だった。




