264部:藤堂
清水谷、城塞内。
長政と於市御前が付けてくれた浅井家の家来に案内されて、清水谷の客館に戻る奇妙丸一行。
浅井の両藤堂家の者達が、奇妙丸一行の警護に付き添っている。
風呂を案内してくれた藤堂高虎の父は、藤堂白雲斎虎高(元、三井虎高)といって55歳の老人だ。坂田郡の小土豪・藤堂忠高の娘婿となって西藤堂家の当主をしている。若い頃にいろいろと苦労をしてきた様子で、奇妙丸一行に対してとても優しく接してくれる。
虎高は南近江三井氏の出身で、若年の頃に近江から甲斐に行き、甲斐守護・武田信虎(武田信玄の父)の家臣となり「虎」の字を賜るほどの有能な武将だった。しかし、武田家臣団の中でも他国者ということで譜代のものから立身を嫉妬されて、生きづらくなって近江に戻って来たところを、広く人材を求める長政が採用したという。
(ここでも、武田家と縁のある方と出会えるとは、世間は広いようで狭いものだな)
谷中央の通りは武家だけでなく、修験者や一般人も山頂部の御坊参拝の為に往来している。参拝者は西側の大手門を抜けてこの道を通る。この大手通りには身分の分け隔てがない。そこが織田家の都市設計と違う処だ。
熱田や岐阜城では身分により通ってよい門が細かく整理されている。そのため身分間による諍いが起きる事件は少ないが、個別門に対する町人の評価は門を通る際に自分の分際を弁える事になると、それほど評判が良くない。
信長は、自分が能力を認めた者は、その地位を引き立てるが、自分が認めないものには身の程を弁えよと徹底的に身分差を教え込もうとしていた。その、設定された“身分の壁を乗り越える向上心”を、人として持つようにすることを領民に求めたのだ。出生は天に与えられるが、その後のすべては向上心と競争で勝ち取るものである。
言葉の少ない信長だが、政策によってその思想を民に伝えようとしていた。織田家の中では瀧川一益や、木下秀吉の生きざまこそ民衆の手本だった。
「立派な六坊ですね」
通りから山頂を見上げる一行。
「いずれ太平の世になれば、六坊は京極家の上平寺城の伽藍よりも大規模なものとなりましょう、そして、聖護院が北近江にお越しになり鎮座されることになれば、伊吹護国寺(伊吹山の四ケ寺)にも劣らぬ坊になりましょう」
「楽しみですね。長政殿は何を目指されているのでしょうか?」
「いずれ、浅井家の血に連なる者が“聖護院の宗主”の地位に着かれることになれば、小谷は第二の高野山へと発展する可能性があります。そして、京都鎮守の比叡山から、更に“鬼門”方向を鎮守する護国小谷山として重きを置かれる事になった暁には、大津湊から今浜湊(後に長浜湊)への湖上交通が、更に盛んになることでしょう(*1)」
「なるほど“小谷詣で(もうで)”が定着すれば、淀川から琵琶湖へ上り今浜に向かう水運も更に盛んになりますね」
池田正九郎は、一族の故地である摂津との地理関係が解るので、淀川から京都を抜け、琵琶湖を通って、若狭国までの壮大な交通路を思い描くことが出来た。
「瀬戸内海と日本海を結ぶ運河を統べる近江宗教国家ですか、壮大ですね」
(信長様の宗教を統べる政策の一助になるかもしれないな)と楽観的に考える正九郎。信長が京都新二条城普請の際に僧侶を皆殺しにしたいくらいだと罵倒したことは有名な話だ。
「運河か、正九郎は上手いことを言うな」
表現力に感心する。
「瀬戸の玄関口は石山本願寺、最深部を小谷山六御坊で抑えるというのは、京都守護を考える上でも理想的かもしれませんね」
於八は、風呂の中で長政の言っていた大坂石山御坊のことを思い出した。
「そう思います」
「ここの修験者の方はどう思われているのでしょう?」
「そうだな、聞いてみよう!」と早速行動する。
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大手道を修験者姿で行き来する人の中から、ひと際大柄で人目を惹く人物を奇妙丸は呼び止めた。
「あの? もし、 我々は織田家の者ですが、少しお話を伺っても宜しいか?」
奇妙丸を見て歩みを止める修験者。
「如何されましたかな? 拙者は、宮部善祥坊と言います」
「宮部殿は、どちらから、おいでになられたのですか?」
「比叡山に属し修行しておりましたが、比叡山の現状があまりにも堕落しているので、修行の場に相応しくないと考え、こちらに参りました」
「比叡山が、堕落ですか?」
「聖と俗が表裏なのは致し方の無い事ですが、比叡山の麓は快楽を貪る山坊主達が昼間から酒を飲んで跋扈し、稚児・美女を侍らせ、僧の姿を借りた悪鬼の巣窟となっております」
「宮部殿は、実際にその様子を見てこられたのですね」
「はい。役ノ小角様、伝教大師・最澄様の様に、己に厳しい試練を課して御仏の心に近づこうと日々修行を重ねているのは、山頂に居る一部の聖僧だけです。他は汚れきっている。不浄の地になりつつあります。私は嫌悪さえ覚えます」
「不浄の地ですか」
「ここは、新興の御坊ゆえ、穢れない祈りの力で良い方向に向かうと信じています。第二の叡山へと発展するべく、私も尽くしたいと思っています」
「なるほど、頑張って下さい」
「織田家の皆様も、我々の活動を御支援下され」
「判りました。しっかりと覚えておきましょう」
比叡山の状況は噂では耳にしていたが、修験者の口からそのような話を聞くと、世も末ではないかという思いが沸き起こる。長政も仏教界に歯がゆい思いを抱いて、小谷山に聖地を移すことを考えているのかもしれない。
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白雲斎と世間話をしながら大手道を歩く。彼は相手の立場に立ち分かりやすく説明してくれているのでとても話が面白い。彼が優秀な人材なのは明らかだ。白雲斎を失った武田家は大きな損失だろうと思う。
戦国の世、本当に恐ろしいのは男の嫉妬である。一人で何かを成し遂げることができる異能異端の人物は、一人では何もできない凡人の脅威になるからだ。能力のある者が突出しすぎると、周りの小者が徒党を組み、よってたかって潰しにかかることがある。
また、家の力になる有能な家臣を守れないのは当主の人としての力量の足りなさでもある。本来、上に立つものは家の宝である異能者を手厚く保護し、最大限能力の発揮できる場所を作るべきであるし、小者は自分達が異能者に寄りそい協力する事で、その異能が生み出す利益を自分達が享受できる事を知るべきである。
信長は、家臣団たちにその道理を植え付けようと心を砕いてもいた。讒言する者がいれば、必ず両者を同じ立場に並べ、競争させてお互いの能力差を確かめ合わせる。両者の納得の上で、上下関係を構築するように心がけていた。まれに、自分の能力の限界を認めたくないとの思いから凶行に及ぶ輩もいるが・・。
(常に競争の立場にいるのは、織田家の継承者である自分も同じだ)
やがて武田家当主の信虎が、息子の晴信(のち信玄入道)により国を追い出されたことからも、家臣団を制御できなかった彼の失策は明らかだろう。
(長政殿は、藤堂家に迎えた彼らをこれから引き立てようと考えているのかもしれないな)
藤堂家の中で、高虎の様な有能な若者が育っていることがその証だろう。
「そうでした奇妙丸様、この谷の奥には岩屋があるのですが、ご覧になられますか?」
「大野木殿が言っていた岩屋のことですか?」
「おそらく。昔から地元の者が祈りを捧げる聖なる場所です」
「それでは、是非に」
せっかくの機会なので、古からの聖地というところも見ておきたい。
白雲斎・虎高に呼ばれ案内してくれるのは、東の藤堂家当主、藤堂良隆の婿養子、藤堂九郎左衛門嘉房という人物だ。嘉房も白雲斎と同じで藤堂家に養子入りしていた。同じような境遇なので二人は協力して浅井家に忠勤している。
彼は近江守護代家・多賀氏の血に繋がる人物で、多賀氏は古代豪族の流れを汲む家系でもあり、近江の岩屋信仰にも詳しいとのことで案内の適任者とされた。
*****
嘉房に案内されて、清水谷の奥へと入ってゆく。
「ここが小谷山の岩屋か」
静かな森の中に、突然陽の光が差し込む広場が広がり、眼前に大きな岩壁が広がった。
「これが岩屋・・・」
一行の面々が岩屋の巨石を見上げては感嘆の声をあげる。神が造ったとしか思えぬような造形に神秘を感じる。
「そうです。あの岩には裂け目があり、その中を通り抜けた先には、洞窟が現れます」
二つに割れた巨岩には大きな注連縄が巻き付けられている
「城内に居るとは思えぬような、俗世とは別世界にいるような神聖な空気が感じられる場所ですね」
巨岩に囲まれていると、小谷山は浅井姫命という女神の造った山だというのが本当の様に思えてくる。
「不思議な巨岩ですね」
「天の岩戸の様だな」口々に感想を述べる。
(女護島の岩屋を思い出すな)
嘉房が岩屋の主の名を告げる。
「阿古様は、此処で領民の為に良く祈りを捧げておられます。今も岩屋の中におられる様ですね」
岩屋の前には祠と番屋があり、そこに修験者たちが松明を焚いて、阿古御前の祈りが終わるまで待機しているのだった。
「この奥の洞窟の中に、阿古様がおられるのですか」
「民に慕われておられます」
「不思議な力を持っておられるのですか?」
「阿古様が祈ると、雨乞いや、病気が改善すると言われています」
「そうなのですね」
(玉色姫と似た所があるのだな)
民の為に祈りを捧げ、洞窟の奥に居るという阿古御前を尊敬する一行だった。
(*1)浅井家は滅亡してしまったので、実際の所はどのように戦国時代を切り抜けて行こうとしていたのかは謎ですが、浅井家三代の残した、小谷山の遺構から、浅井家の展望を推測してみました。
京都では戦乱で焼失した聖護院の行き先が決まらず難儀をしていたような状況なのと、門跡の母系で若狭国の武田家の重臣・粟屋家とも結びついている事から、戦国大名との縁戚関係も可能性があるかもしれないと想像してみました。フィクションです。




