263部:小谷の湯
浅井館、客間。
於市御前が、奇妙丸達の案内を買って出ている。於市の付け家老・藤掛三河守長勝が、用事の際は対応してくれるという。また、浅井の両藤と呼ばれる東・西藤堂家の者が滞在中の世話係(兼監視役)として奇妙丸一行に付けられた。
「小谷城には水源ばかりでなく、温泉の湧いている場所もあります。浅井家が管理整備していますので温泉でゆっくりと旅の疲れを癒して下さい」
「伯母上、お心遣い有難うございます」
「奇妙丸殿、少し宜しいですか?」
「はい?」
於市が奇妙丸の隣まで来て小声で話す。
(「お傍衆の一番後ろにいる無口な子は女の子じゃありませんか?何か事情があるのなら、ここは私に近いものしかおりませんから安心して下さい」)
(「於市様、鋭いです。分かりました。お庭番の伴ノ桜といいます」)
「それでは、お話しても良いのですね」
「はい。お任せいたします」
「奇妙丸殿の傍衆のそこの貴方、ちょっと」
於市が桜を呼び寄せる。
「奇妙丸殿から聞きました。貴方、男性の装いをしているけど女の子でしょう?」
「はい」と消え入りそうな声で返事する。
(失敗しました。まだまだ修行が足りない)
桜は出来るだけ気配を消して目立たない様にしていたが、於市御前は桜の存在に気付いていたようだ。
「離れに女風呂があるので、私と一緒に入りましょう」
「有難うございます」
於市御前が奇妙丸にニコリと微笑んでから、桜の手を曳いて連れて出て行った。
伴ノ衆も各々変装し、遠巻きに奇妙丸一行について城下に潜入している。
今回は、六角家が潜伏する甲賀にも近いので伴ノ衆は常に臨戦態勢だ。
「じゃあ、おれもそっちに」と森於勝がついてゆこうとするが、
「「おいっ」」と池田正九郎と梶原於八にすかさず突っ込まれて止められた。
藤堂家の若者達に案内されて、奇妙丸達は小谷山の天然温泉を頂くことになった。
風呂屋敷は男湯と女湯に分れており、湯船は建物の中にある木風呂と、屋外にある山肌近くの岩風呂があるという。
木風呂は琵琶湖で漁に使われていて廃船になった船がそのまま転用され、源泉からお湯がひかれている。
「趣のある良い風呂だな」と浴場の演出に感動する正九郎。信長の小姓時代に遠征先で数々の風呂に入ってきたが、この趣向は体験していない。
藤堂家の若者から一人、皆を案内するために浴場へも一緒に入る。於八、於勝は既に裸になって入口で待機している。
「早いな、お前たち」
「常に先陣を勤めるつもりです!」
「うむ」
「若様と御一緒するのは久々ですね」
「そうだな、広い風呂は久々だ」
皆、ガチャガチャと音を立てながら大事な刀に衣服を巻いて置く。風呂で奇襲に合い討たれる事もあるので、着替え部屋まで身を守るものを持って入っていた。
奇妙丸一行が入る間は、藤堂家の者が外で一般の入浴者を規制するというので、一応は信頼するつもりでいる。
「勝盛殿がこの中では一番ガタイ(身体)が良いな」
父の馬廻として多くの戦場で経験を積み重ねてきたのだ、実戦で鍛えられた重厚さがある。
「奇妙丸様も良く鍛えておられると、皆申しておりましたぞ」
「猿冠者・秀吉殿事件ですね!」
於勝があの騒ぎを思い出して笑い出した。
「悪夢だ」額に手をあてる。
「奇妙丸様の黒歴史ですね」
於八もカラカラと笑いだす。
「お主達の裏切り忘れぬぞ!」
ハッハッハッハ!
雑談をかわしながら、最初は木の湯船につかった。
「この船風呂は、15人以上入っても余るな」
「元々これは、箕浦湊で造られた丸子船と言います」
「側壁に丸太がそのまま使われているが、材質は何なのだ?」
「高野槇が使われています」
「槇の木か」
「槇は槇でも、年月を経た大木であり、芯が赤味の上質なものは、紀伊の高野山周辺や東美濃、信濃の木曽あたりでしか入手できない貴重なものなので「コウヤマキ」と呼ぶのです。それより西国のものは、ただの槇の木です」
「そのような違いがあるのだな」
「土と水、陽あたりや風向き、育つ環境が違いますから。違いといえば、箕浦と堅田では丸子船の構造が違います」
「そうなのか?」
「箕浦水軍と堅田水軍は、古くから近江の制海権を争う宿敵同士なので、何事につけ競い合ううちに船が独自の進化をしました。
共通する基本構造は、船首には体当たり用の鉄冠、船首側面板には銅板を張った(カスガイ)、船同士の衝突や乗揚げの際に、船首部分の材のヒビ割れ防止をしています、側面にはぶつけられた時に大破しないように丸太を半分にしたもの(オモ木)を取り付け、背後にも相手を威嚇するような突起を造りだして四方万全の備えを持ちます」
「成程、それで反りがイカツイのか。銅板を貼るのは面白いなぁ、相手を圧倒しようとして互いに高め合ってきたのか」
「ええ、それに部材のへりの反り具合や、長さも見栄を張って長大になってきています。見栄えも重視されている様子です」
「それは、見栄の張り合いで、痛いな」と於八。
「謎進化だ」於勝も同意している。
「戦争に備えて造船技術が向上する。あまり良い事ではありませんが」と若者は困惑した表情だ。
「うむ(心根は優しい人物のようだ)。しかし、それがあることで抑止力にもなるのではないか?」
「威嚇するということですか、そうですね、成程」
若者は、奇妙丸の返した言葉に納得した様子だ。
「お主は物知りだな。名はなんという?」
「藤堂与右衛門 高虎と申します」
「同世代と思ったが、もう元服しておるのか。ならば名前を覚えておくぞ」
「はいっ!」
隣にいた於勝が立ち上がる。
「俺は森家の次男、森勝法師。 天下一の武将になる男だ!よろしくな!」と手を差し出す。
(於勝のほうが、どうみても年下にみえるが、まあ於勝だから良いだろう・・)
於勝は与右衛門に何か通じるところを感じたらしい。与右衛門もニコリと笑って握手する。
「私は梶原家の嫡男、梶原八郎丸と申します。お見知りおきを」
(於八の八郎丸という名を、時々忘れそうになるな、気を付けよう)
於八も藤堂と握手を交わした。そして勝盛と弓衆達も続き、藤堂は握手責めにあっている。
続いて、奇妙丸達は源泉に近い露天の岩風呂へと移動した。
「温泉の湯は最高だな~」
「コウヤマキ風呂も良かったですが、空が見えるのも良いですね」
「小谷城は、金玉の地ですね~」
「金玉かぁ~」
空を見上げて、ほぼ湯に浮いている状態の奇妙丸達。
そこへ、奇妙丸達が丁度居ると聞いて、長政も露天風呂にやって来た。
「皆ノ衆、裸の付き合いで御座る!」
「長政殿!」
長政の登場に、気の緩んでいた者はあわてて坐りなおした。
長政は25歳、父・信長の一回り近く年下だ。まだまだ若い当主だが15歳の鮮烈な初陣から十年間、数々の戦に勝利し自信が漲っている。
(佐々殿や前田殿と似た雰囲気がある。裸姿でも風格があるな)
「先程も皆で言っていたのですが、小谷城は最高の立地条件にありますね」
長政は、居城を褒められて満更でもない様子だ。
「そうでしょうとも。数万の軍勢が寄せて来ても、この長政 破れる気がせん」
「長政様に籠城されてしまったら、攻める側は五万兵以上は必要ですね」と於勝が冗談ではあるが物騒な事を言う。
「うむ。それだけの兵力を遠征先で通年維持できる戦国大名はいまい」長政は不敵に笑う。
「東の小田原、西の小谷城と呼べそうですね」於八が東日本の名城に並ぶと褒めた。
「西にはまだまだ凄い城があるぞ、三好家の誇る飯盛山城や、石山本願寺の大坂御坊、堺の町城、別所の三木城、何れも侮れぬ」
「そんなに沢山、長政殿の認める城があるのですか?!」
うむ。と頷く長政。長政は六坊に来る修験者から、各城の立地の特徴や、備えの様子も聞き知っている様子だ。
「だが、温泉を備える城は、そう無いと思うがな。
ここは、兵士たちが戦いの傷を癒す湯治の場にもなり、こうして、皆で入って裸で話し合う事もできる、浅井家と家臣領民を結ぶ対話の場でもある」
「昔からの湯治場なのですか?」
「そうだ。昔からずっとある。この露天風呂は開放的過ぎて、熊が湯に浸かっているのを知らずに一緒に入った事もある」
ハッハッハッハ!
「長政殿は風呂にも武勇伝があるのですね」
「奇妙丸殿、温泉は大切な資源だぞ。古くは陸奥の湯庄司・佐藤家や、伊予国湯築城の河野家。温泉を抑える者は戦を制するのだ」
「なるほど。勉強になります」
(鉱物資源ばかりでなく、民衆に癒しを提供できる温泉も、領民の生活には欠かせないものなのだ。色々なものが詰まった小谷城は刺激がある)
「来て良かった・・」と感想を漏らす奇妙丸だった。
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「男湯は賑やかですね」
於市御前が林の向こうの男湯から聞こえる笑い声を気にする。
於市の湯治には、茶々や侍女たちも一緒に風呂場に入って来る。
於市は産後、よく温泉に浸かりに来ているそうだ。
子供を産んだとはいえ、体形は変わっていないらしく侍女たちは御市を褒め称えている。桜も御市の美しさに見惚れてしまったほどだ。
「女湯には白蛇がでると聞きました」
「先程、玄関で床下に入って行く白い尾っぽを見ました!」
「ホホホ。桜は運が良いですね。蛇が挨拶に出て来たのでしょう」
「神様なのですか?」
「ええ。この温泉の守り神だそうです」
「面白い所ですね」
「湯治の湯です。肩まで使って旅の疲れを癒しましょう」
「はい」
「丁度良い湯かげんでしょう?」
「はい。地中から湧く湯というのは不思議です」
「神様のおめぐみですよ」
「そうですね」
湯に浸かって足を延ばす桜。
「茶々姫様、そんなに慌てて出ては転げますよ」
茶々が侍女達の中を駆け回る。
大人しく湯に浸かっていられない茶々に、周囲は困っているようだ。侍女が多く待機しているのは、茶々をいつでも確保できるように備えている為でもある様子だ。
ドボーン!
桜の傍に飛び込んできた茶々。しぶきが桜を直撃する。手拭で顔を拭うが口の中に少し湯が入った。
(鉄っぽい味がします)
「御免ね、お姉ちゃん」
虎松や与平次も風呂では騒がしいので、此のての事故には慣れている。
「大丈夫ですよ」
「茶々、人様にご迷惑をかけると、伊吹三郎に攫われますよ!」
「御免なさい」
反省して小さくなる茶々。
「伊吹三郎とは?」
「伊吹山に住んでいる巨人の事です」
「巨人ですか?!」
湖北にも巨人の伝説があると知り、志摩国のダイダラボッチを思い出す桜。
「伊吹三郎の息子、伊吹童子は神通力を使い、空を飛んで酒呑童子になったといいますよ」
「酒呑童子と云えば、丹波大江山の鬼?!」
思わず茶々の両肩を掴む。
「巨人は本当に居るから、いい子にしていましょうね!」
「うん!」
茶々は、巨人にも鬼にもそれほど恐れを抱いていない様子だ。
志摩ノ国に劣らず、近江にもいろいろな伝説があるのだと思う桜だった。
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