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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第三十四話(湖北編)『奇妙丸道中記』第四部 於市御前
262/404

262部:浅井家臣団

小谷山の西山麓、清水谷、浅井館大広間。


浅井館に参集した家臣達を紹介する。

「それでは奇妙丸殿、我が家の人物を紹介して行きましょう。皆の者、端から順番に名乗れ」

前列に居並ぶ面々が頭を下げ、左端の者から名乗りを挙げる。

「連枝衆、浅井山城守の跡目を相続しました、長政の弟・浅井玄蕃頭政元に御座います。以後、御見知り置きを」

山城守は亮政の弟で、清水谷内に屋敷地(山城丸)を持つ一門の有力者だった。玄蕃頭は養子*となりその遺産を相続した。

「浅井玄蕃允高信(政澄)。大浦湊代官で御座る」

高信は、久政の奏者だった大和守政信の息子で、城内には玄蕃丸を持っている。

浅井の両玄蕃は、前者が智略、後者が武略を担当し長政を支えている。


「浅井木工助井規、菅浦湊の代官をしています」

湖北の湊、菅浦を抑える浅井一族だ。

 菅浦湊は湖賊の巣窟として有名な湊で、同じく堅田湊の堅田衆と呼ばれる湖賊と、長きに渡って琵琶湖(近淡海ちかつあわうみ)の制海権を争ってきた。菅浦を抑える事は湖北を制するに等しい重要地である。

「親族衆の浅井入道福寿庵惟安に御座る」久政の兄弟で浅井三代に仕える長老格だ。城内に福寿丸という曲輪を持っている。

「奏者の浅井石見守亮親に御座る。私が一門の方々を紹介します」

久政の兄弟・惟政の息子で長政の従兄弟にあたる。浅井亮親が立ち上がって、隣に列する武将達の名を告げる。


「一門御由緒衆の三田村平右衛門尉定頼(浅井一門)、その息子の左衛門尉国定、赤尾美作守清綱(浅井一門)、海津政元(田屋一門・海津湊代官)、井口越前守経親(浅井一門)、阿閉淡路守貞征(浅井準一門)と、息子の孫五郎貞大、丁野ようの若狭守(御由緒家)、中島宗左衛門直頼(丁野一族)」


 三田村家は浅井家と縁戚関係にあり、国貞が坂田郡の雄・今井定清の娘婿となって今井氏の勢力も吸収している。

湖北三湊の海津を抑える田屋氏は明政が亮政の養子だったが、久政と家督を争ったことにより遠縁となり、久政を支持した田屋一族庶流の海津氏が、田屋氏に替わり海津湊を抑え出頭している。明政の養子には田屋(田尾)政高がいる。

赤尾、井口、阿閉は湖北の旧族だ。いずれも古くから浅井家とは織重なる血縁関係で結ばれている。丁野氏は浅井家本貫地を預かる古くからの御由緒家だ。


「次に奏者の脇坂左助秀勝(北の脇坂)で御座います」

 秀勝は、長政の乳兄弟でもあり側近中の側近だ。

譜代家臣の筆頭の脇坂家は、北と南の両脇坂が、輪違いの家紋そのものの様に入れ替わり立ち替わり当主に献身的に仕えて来た。

秀勝が立ち上がる。そして亮親に会釈して、代わって家臣団を紹介する。


「敬称は略させて頂く。左から湖北の旗頭四人衆、東野左馬進政行、磯野丹波守員昌(上坂分家)、雨森弥兵衛尉清貞、海北善右衛門綱親で御座る」


 彼らは浅井家を支える有力な国衆だ。特に海・赤・雨の三家は浅井家代々の軍事的旗頭として武勇名高い。そして東野・磯野は長政の代に入ってから頭角を現した猛将だ。特に東野氏は若狭に所領が近い事もあり、朝倉家との仲介役として北方外交に係る重要な地位にある。


「次に、譜代家老衆!」

脇坂が広間の下座の方を見る。

「遠藤喜右衛門直経(長政の守役)、月ヶ瀬若狭守忠清(井口一門)、千田采女正(関東千葉家の末裔を称する千田氏)、西野丹波守(東野分家)、今井権六秀形(箕浦湊代官)、井戸村左京亮光慶(今井分家蓑浦)、島若狭守秀安(元・今井執事家)、岩脇筑前守定政(元・今井氏家臣)、新庄新三郎直頼(今井分流・朝妻湊代官)、弟の蔵人くろうど直忠は勝野津湊代官にて今は湖西に御座います」

名前を呼ばれた者が、次々とお辞儀をする。


家老衆筆頭の遠藤直経は、清水谷内に遠藤曲輪兼屋敷地を持つ。直経は六角家での人質生活を支え長政の信任が厚く、六角や織田に接する坂田郡の堀領を抑えるために軍監として派遣され前線の重要な役割を担っている。

千田氏は北近江に進出していた平家の後裔*で、平清盛が塩津街道に沿って若狭湾まで運河を造ろうとした縁で湖北に土着した。名家であるので久政の側近として家臣団の中でも一目置かれる地位にある。

今井家は浅井に匹敵する坂田郡の領主だったが、磯野員昌により先代・備中守定清が討たれて解体され、寄子達は浅井家の中に組み込まれている。


「次に先方衆(外様衆)の方々、国友村を管理する野村伯耆守、野村肥後守直隆。浅見対馬守俊成(尾上湊代官)、上坂刑部正信(元・京極氏重臣筆頭家)、堀遠江守秀村(元・京極家の直臣)、安養寺三郎左衛門氏秀、下坂四郎三郎、今村掃部助氏直、弓削六郎左衛門家澄、河毛三河守清允、瓦林弾正(摂津の分家は細川家臣)は今津湊代官にて今は湖西に御座います」


 樋口の寄親である堀秀村は遠江守といった自称官位を冠しているが、これは堀家代々の受領の名乗りで家督の正式継承者という意味がある。秀村は、奇妙丸と同世代の若手武将だ。家を継いだのが幼少であったため陣代が代わりに前線にたっている。遠江守家は国境を隔てて美濃国池田郡の堀秀政とは遠い縁戚関係*にある。

(*坂田郡の堀氏は菅原流、池田郡の堀氏は利仁流とされていますが、敵対関係になったことで母系の流れで系図が別れたと推測しました。堀秀政の旗印が湖北に関わりがありそうな点、次期・長浜城主とされた点、何か由緒があるものと考えています)


 堀の同僚、上坂と浅見、それに今井といった京極家の元・被官衆は、浅井家とは同格だったので、長政の中央集権化に対しては微妙な感情がある。しかし、長政の姉が生んだ京極小法師が上座にあることで、浅井家の京極家執政という立場は揺るぎないものとなっているのだった。これは久政の政略が成功した結果といえよう。


「任地に居る為、此処にいませんが、使者に出ている木村日向守、北近江の塩津湊代官の熊谷大膳、南近江で最前線を守備する高野瀬修理大夫秀隆(元・六角家臣肥田城主)、美濃国境の樋口三郎兵衛直房などがおりまするが、他の者のご紹介は次の機会に」

広間にいる苗字衆の紹介を終えて、脇坂が席につく。


木村日向守は、浅井館の西側に木村丸を持ち、長政に特に信頼を置かれているようである。

(どこかへ使者に出かけているということは、外交を担っているのかもしれないな)


「「奇妙丸殿! 以後、お見知りおきを!」」

浅井家家臣団一同、一斉の唱和とお辞儀に圧倒されつつも浅井家の規律の良さを感じた奇妙丸一行だ。

(流石、六角家に打ち勝ってきただけの事はある)


*****


(*)フィクションです。不明な部分を推測設定していますので、小説内だけのものです。


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