261部:清水谷
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北近江の小谷山と清水谷。
小説版ということで地名の文字を入れてみました(屋敷と書くと画数多いので「磯野丸」等としました。フイクション入ってます)。
小谷城清水谷、大手門付近。
領主の帰還に、領民の多くがそれぞれの仕事の手を休めて街道まで出迎えに来ていた。
於市御前、茶々姫へも街道から迎えの声が送られている。城下の若い村娘達は、於市御前を一目見ようと、集まってきている様子だ。農民士族の違いなく於市御前の行列を追いかけるように移動する。
於市が着る小袖の見事に染められた柄や、花びらの刺繍に、集まった娘達は興味がある様子だ。女性版の傾奇風衣装に娘達ばかりではなく民衆も関心を持っている。
奇妙丸と、その傍衆達の紫直垂で統一された衣装にも注目が集まっている。まるで街道が花道のように賑わい、行列側も民衆の熱気に圧倒され、於市御前の周辺に殺到する民衆を制する大野木土佐守の兵士達は、怪我をしないように手加減して押し返す。力の調整に大変そうだ。
岐阜城内にいる時は、普通の姿の様に感じるなじみの衣服も、織田領内を出れば民衆からこれほどの関心をもたれているのだと気付き奇妙丸も驚いた。
長政は、すこぶる上機嫌で、にこやかに手を振っている。
(長政殿への民衆の支持も凄いが、どうやら於市御前は小谷でも大人気の様だな)
於市姫は尾張に居たことから、平安京の頃の小野小町という絶世の美女に匹敵するとも言われていた。その美女が、信長が演出した傾奇調の着物を身にまとうので、いやがおうでも目が惹きつけられた。民衆が、於市御前の一挙手一頭足に関心を持っているのは明らかだった。
「大手門を抜けると、谷の奥まで真っ直ぐの大手道があるのですね」
整然と整備された新しい屋敷群の設計は、京極家が工夫を凝らしてきた城下町からの伝統の上に成り立ち、清州の様な拡張に拡張を繰り返された雑然さは無い様に感じる。
「右手に磯野丹波守の屋敷兼曲輪が、その背後の高所にあるのは出丸と繋がり、これを磯野丸と呼んでいる」
奇妙丸に自慢の城を説明し始める長政。
「あの大手道の奥にある塔の立つ曲輪は?」
「気になるかな?」
「仏塔や石灯籠も見えますが」
「下から、三田村の曲輪、三田村丸」
三田村は浅井家の勇将として有名だ。山頂へと至る大事な所を任されているのだろう。
「中段に城の水源、水の手を守る大野木土佐守の、曲輪兼屋敷の大野木丸」
「私が担当しています」と秀俊。
「頂き部分には、修験道の信仰地兼修行場として六坊曲輪を用意してある」
「修行と祈りの場ですか?」
「伊吹山は、役小角様の入山で昔から修験道が盛んなのでな、湖北の山々は修行の場となっている。小谷の一つの坊で百人は収容できるぞ。いずれ小谷山が修験道の総本山となって、ここから北陸道、東海道、東山道へと修験者が旅立つのだ」
長政は小谷の地を修験者が経由していくことで全国区へと知名度をあげて、小谷山参りを興こす夢があるようだ。
(そういえば修験総本山、聖護院門跡様は前関白・近衛前久の御舎弟だった気がするが、前久殿は都を追われて・・、大丈夫だろうか?)
話を聞いていると、於市御前も良く御坊まで参拝しに行くらしい。
「民衆の祈りの場でもあります。それに、一日六回法螺貝が吹き鳴らされて正確な時刻も知ることができます」
「それは、岐阜城には無い機能ですね。しかし山伏達が、城内に居ると言うのは他国に情報が漏れるのでは?」
「実入りも大きいのでな。情報が早く入るという事は、常に敵対者の先手を打つことが出来る」
「なるほど」
「六坊まで行かなくとも、中腹には観音堂や、徳昌寺も城内に入っている」
「では、城下の民衆も自由に参拝することが出来るのですね」
「うむ」
(浅井家の民衆との距離感の近さは、このような繋がりもあるのだな」
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清水谷最深部、浅井館の大広間。
長政が、城下に集住している主だった領主達に帰城したことと、奇妙丸が来訪したことを知らせ、続々と館に家臣達がやって来た。
7歳になる京極小法師が上座に座る。その母である浅井於慶御前(久政娘)が小法師の隣にいる。
一段降りて、広間の右手に浅井 下野守久政、長政親子とその家族、左手に奇妙丸達の座席が用意されていた。
「隠居の久政で御座る」まず、久政が奇妙丸に挨拶した。
・・・・久政は、この時44歳。織田家の中では瀧川一益や明智光秀とほぼ同世代だ。まだまだ武将として活躍できる年齢である。久政は天文年間に主である京極高広(高延)と敵対し、更に、京極高吉(高慶)を担ぐ六角義賢との戦いに連敗したため六角家に降り、正室である阿古ノ方を人質に出し六角家の傘下となった。それ以来、湖北の暮らしを安定させる為に内政面で努力し、領民と共に汗をかき、水利を整備し、長政が成人して小谷に帰還する頃には戦乱で荒廃した湖北三郡を豊かな土地へと復活させていた。
しかし、家臣団はいつまでも六角家の下にいることを良しとせず独立を勝ち取るため、竹生島に参拝に出掛けた久政の帰城を拒み、久政をそのまま島に隠居させて長政を擁立した。数年後、長政が帰還を要請するが久政は断る。
妻・阿古が竹生島まで迎えに行き渋る久政を説得して、ようやく小谷城に帰ったのだった。
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