260部:小谷城
北国脇往還道。
上平寺城跡を出て、街道に戻った長政・奇妙丸一行。
東山道と合流するわき道から旅姿の武士がひょっこりと現れた。男は下馬して、手綱を持ちながら頭を下げ、一行が通り過ぎるのを待つ。
「あの男の人相、覚えがあるな」奇妙丸が男に気付く。
「お知り合いですか?」大野木秀俊が奇妙丸に確認する。
うむ。と頷く奇妙丸。
「お主、武田家の者だな?!」
「はい。これは、奇妙丸様! 武田家の武藤喜兵衛です!」
「確かに、覚えているぞ」
互いにニッコリと微笑みあう。
「私、小浜でお会いした後、山城国まで足を延ばして参りました」
「御苦労だったな、山城まで行った成果はあったのか?」
「ええ、もう、いろいろと」
「ふぅむ。気になるなぁ」
「はっはっは、これからの特産品商売の売込みがてら、物見遊山のつもりでしたので、誰に会ったというわけでもないのです」
「そうか」
「奇妙丸様達は、これからどちらに?」
「これから、浅井長政殿の小谷城に窺うつもりだ。武藤殿も一緒に来るか?」
「いえ。行きたいのは山々なのですが、これから伏竜先生(竹中半兵衛殿)に会いに行きたいと思っていまして。皆様、竹中殿の御所在はどちらか判りますか?」
「ハッハッハ、竹中殿は人気だな。彼奴は伊吹山山中の何処かの庵に引きこもっているそうだぞ」
長政が、知っていることはそれだけだと言い切った。
「そうですか、是非、武田家に仕官して頂けないものか、声を掛けてみようと思ったのですが」
(竹中殿は潜まれているのも怖いが、朝倉や六角や三好に仕官されてはやっかいな人物だ。武田家に行ってくれるならば織田家の敵となって刀を交えることもないかな。)
楽観的に考える奇妙丸。
「武藤殿、竹中は優秀なので武田家に加わると武藤殿のご活躍の場が奪われるのではないですかな?」
長政が武藤に返した。
「そうですね、考えておきます。それでは、探しに行って参ります」
「うむ。山中は熊に気を付けてな」
長政の忠告に、悪びれない表情で武藤は返し、一行の一人一人に会釈をして通り過ぎて行った。
「飄々として、どうも掴みきれない人ですね」と於八が武藤を評する。
「気楽な風情ですが、武芸に自信があるからあの余裕なのでしょう」
秀俊も武藤の後ろ姿を見送る。
「我らの周囲に視線を感じた。決して奴一人ではあるまい」と長政。
確かに密偵を多数従えているのかもしれない。
「彼は信玄の両眼とよばれるうちの一人です」奇妙丸が武藤情報を長政に告げる。
「成程、武田家も近江の様子を伺いに来たか」
と呟く長政。
「まさか、都からの帰路で通過しているだけなのでは?」
「奇妙丸殿、信玄入道は虎の心を持つ男。ただで旅をさせているとは思えませぬ。用心されよ」
「はい。御忠告有難うございます、叔父上殿」
長政殿はやはり、常に神経を尖らせているのかと当主の苦労をおもう。
父・信長は観音寺城のすぐ目の前の常楽寺で相撲興行をする余裕を見せているが、暗殺者が紛れ込んでいるかもしれない。大胆すぎる行動に、安全は大丈夫なのだろうかとやや不安を覚える。
(竹中半兵衛、早めに処分しておいた方が良いかもしれぬ)
松尾山城の樋口直房から、半兵衛の隠居先にと願い出があり、それを許し自領に(あわよくば浅井に仕官することもあろうと期待し)置いているが、他家に仕官されるくらいなら、今の内に始末した方が良いかもしれぬと考えた長政だった。
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「あれが小谷城!」
「でかい」
「大きな山だなあ」
感嘆の声を上げる奇妙丸達。
北国脇街道を通るものは横目に小谷城をみながら城下を通る事になる。旅人からすれば山頂から常に監視されている状況でもあり、威圧感も覚える城である。
ここに来るまでに奇妙丸達がみてきたものは、広大な田畑と集落で、村人達は夏に向けて田の耕作と苗代の準備を進めている。浅井氏の家臣は、北近江の村々に居住した地侍(土豪とも呼ばれる)達であった。彼らは、自分の所領に土塁と堀に囲まれた約70m四方の城を村に構え、村人の一部を家臣として、農耕や戦闘に従事させていた。しかし、長政の政策によって平時は所領地を離れ小谷城の屋敷に住み、浅井館に参勤している。大身の者は代官を置いて、自分は小谷城内の屋敷に住む様になっていた。
「小谷山は、北を北東の山田山から流れる河川が囲み、居高山の山麓から流れる川で東と南も区切られるので天然の惣曲輪が完成している。
鬼門(北東)方向が山の搦め手に当たる。山田山と分水嶺の尾根が続き、唯一橋がなくても渡れる場所だが、寺山に大三輪阿弥陀堂を置き鎮守とし、月所丸曲輪を構築して備えは万全なのだ。数万の兵で囲んでも落とす事は無理だろう」
「惣曲輪ですか? 天然の要害なのですね」長政の説明に感心する奇妙丸。
山城の規模は、歴史ある六角氏の観音寺城に決して引けをとるものではないだろう。事実、信長は小谷城攻略に3年の時を要する事となる。
小谷城。
・・・・小谷山は標高約470m。小谷城は小谷山の南尾根筋とその西側斜面に造られた山城で、その小谷山の尾根筋に抱えられる様に清水谷という奥行き10丁(約1㎞)のある小さな谷がある。その最深部には長政達が平時に生活する浅井館がある。山麓の景勝地には寺社が建立され、細く狭い谷の扇状地には侍たちの武家屋敷が並び、侍たちの城下への集住化が進んでいる様子だ。両脇の尾根が途切れた所で、堀と土塁(土盛り)の区画で谷との境界が仕切られている。大手門を出て城下町が広がり、街道前には大谷市が開かれている。
岐阜城の山麓城郭に類する区割りだが、重臣たちの武家屋敷が狭い谷中に取り込まれている点が朝倉家の一乗谷の影響もどこかに受けているのだろう。しかし、その規模は京極高清の遺した上平寺城と京極館に匹敵し、浅井家が京極家に劣らぬ城を築き、領主として抜きんでた存在になるべく城を強化してきたことが判る。特に東の頂の曲輪群の規模は、岐阜城の山頂郭にも劣らないだろう。山頂の尾根筋を石垣で固め、区画整備して城館をより美麗かつ堅固にしている様子が窺えた。
「それに、出丸として虎御前山の砦、支城として東に山本山城、南に横山城がある。小谷城下に攻め入る敵があれば、虎御前山砦攻略に手間取る敵軍を三城が連携して敵を取り囲む。連環の計ができているのだ」
防御には絶対の自信有りという長政の表情だ。
「たしかに、三角形の中に入った敵軍は、相当の被害を蒙ることになるでしょうね」
周囲を見渡して鳥肌の立つ奇妙丸。街道から見上げる小谷城は凶悪な姿だ。
「攻める気力を削がれますね」
「そうであろう」
長政は自城の雄姿に満足気だった。
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