257部:伊吹山
北国脇往還道。
「あちらの方向には、三島(夜叉ケ)池と三島神社があり、そこは清盛公の頃(平安末)に佐々木秀義が領主でした。近江源氏・佐々木氏の発祥地です」
山田勝盛が、南西方向を指差して説明する。
「それが今の六角家と、京極家に繋がるのですね」
池田正九郎は家によく立ち寄る佐々内蔵助から聞いて、佐々木氏の系譜を知っている。
「佐々木氏は、近江を本拠に出雲や飛騨の大領主となったのだから大したものだ」
六角氏は敵ではあるが、於勝は普通に感心している。
「しかし、佐々木氏も、近江の古族である我々、浅井氏、多賀氏、阿閉氏等の協力がなければ近江を抑えることはできません」
長政は、京極家の首根っこを抑えて湖北を支配しているのだ。
「成程、古代氏族との協力関係のもとに近江源氏は栄えて来たのですね」
奇妙丸は、近江国は武士団以外にも宗教寺院など様々な勢力がそれぞれの理由をもって割拠するため支配の難しい国だと思う。
「しかし、どうして六角と京極に分かれたのでしょう?」
何故、分散する結果となってしまったのか疑問に思う於八。
「大きくなりすぎたので、将軍が力を弱める為に両家を割ったのだ」
大雑把ではあるが、判り易く返す長政。
「なるほど」
「京極に比べ六角氏は、十年ほど前は三好家を圧倒した事もあるほどの大大名だったと聞きますが?」次は正九郎が質問する。
「確かに、その情勢を見て上杉謙信入道殿や信長殿も上洛されていた」
六角氏の強さを認める長政。かつては浅井家も六角氏の傘下だった。
「三好家と張り合う程の六角家を討ち破った長政殿は、初陣されてからは連戦連勝、その活躍は鬼神の如く、当代随一の名将ですね!」
奇妙丸が、尊敬の眼差しで長政を見る。
「いやいや、私など運の良い猪武者です。美濃には、軍略では私が足元に及ばぬ将がいますよ」
「どなたでしょう?」
「稲葉一鉄入道殿?」於八が手を挙げる。
「伊賀伊賀守殿じゃないですか?」於勝もあとにつづく。
「違う。もっと若い武将だ」と笑う長政。
「あっ!分かりました。竹中半兵衛重虎(のち重治)殿では?」
「当たりだ!」
最後にあてた正九郎が得意げに万歳する。
夜話でするような武勇伝の話だが、織田家の領内から出て、自領に戻ったことで長政も気が緩んだ様子だった。
奇妙丸も、これを機に叔父・長政ともっと親しくなりたい。
「今は竹中殿の噂を耳にしませんが、どちらにおられるのでしょう?」
奇妙丸が質問する。伝説の名将の行方は奇妙丸も気になっていた。織田家が岐阜城を奪取してからも、稲葉山奪取の前科がある竹中半兵衛を警戒して岐阜城はつねに防衛体制だった。
「伊吹山山中の何処かに庵を設けておられるとか。庵がどこにあるか詳細は分かりませんが、仙人の様に天下の動向を見られているやもしれぬ」
この一帯の領主である長政が、伊吹山のことには一番詳しい。
「長政様が恐れる方は伊吹山に」と伊吹山を見上げる奇妙丸。
・・・伊吹山、日本武尊が命を失くす原因となった場所でもある。その山頂は標高1400m近くあり、古くから霊山として崇められた。古事記では「伊服阜能山」、日本書紀では「五十葺山」あるいは「膽吹山」と記される。日本武尊と争った伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、人前に現れるときの化身は、古事記では「大きな白猪」、日本書紀では「大蛇」だと記される。役小角により山岳信仰と修験道が結び付けられ伊吹山の南側に弥高寺、大平寺、長尾寺、観音寺が次々と建立され、四寺を合わせて伊吹護国寺として隆盛した。しかし戦乱により京極氏により城郭として改造され、兵火により失われていった。
奇妙丸の腕の中に居る茶々は、話を聞くうちにウトウトし始めていた。
「茶々も疲れて来たか、何処かで休息しますかな?」
長政が父親らしく、手を伸ばして茶々の頭をなでる。
「前方から武士団がやって参ります!」
勝盛が振り返って長政と奇妙丸に前方の異変を伝える。
「心配ない! あの目結の旗印、あれは大野木土佐守の軍勢。浅井軍の迎えがきた様です」
母衣を背負った若武者が、長政の傍まで単騎で抜け出し、馬をとばしてきた。
「長政様、お迎えに参上いたしました!」
「御苦労!」
茶々を抱いている奇妙丸に気付く秀俊。
「大野木土佐守秀俊に御座います。浅井家旗頭筆頭を勤めております」
「大野木は佐々木氏庶流の流れで、我が軍の侍大将の筆頭を勤めています。堀秀村には中山道を、秀俊は北国脇街道の入口を管理している」
(尾張大野木城の城主は塙殿だが、由緒があるのだろうか?
そういえば佐々殿も佐々木後裔だと称されていたな、尾張に大挙移住した佐々木氏があるのかもしれぬ・・)
縁を感じつつ挨拶する奇妙丸。
「大野木殿、茶々様がこの通りだ。この近隣に、どこか休むところはありますか?」
奇妙丸が秀俊に相談する。
「それならば、この先の上平寺が木陰もありよろしかろうと」
一行は大野木秀俊の案内で、伊吹山の麓の上平寺に向かった。
・・・永正(1504年以降)の頃、近江守護となった京極高清が、標高700m程の尾根にある上平寺を城に改造し、麓に守護所となる居館を置いて、京極家の本拠地とした。家臣団の内紛に、六角氏や斎藤氏と争った兵火により大半が焼けて廃城となったが、樋口直房が一部を改修し、規模は小さいながら刈安城を置いた。
「あそこには、近江守護・京極高清公が居た京極館と上平寺城跡があります」
長政が指さす。
「上平寺の奥には伊富岐社があり、そこの祭神には(気吹雄)多多美彦という神様が祭られています」
大野木秀俊が補足説明する。
「多多美ですか? 製鉄の多々良に関わる神様なのでしょうね。鎌倉幕府の頃に佐々木氏は、良質の砂鉄を産出する国を頼朝公から与えられ製鉄を支配していたと聞きます」
製鉄と佐々木氏は切り離せないと思っている池田正九郎。愛刀は備前大包平だ。
「備前で生まれた多くの名刀も、この地の刀工が移住して生み出したものかもしれませんね」
佐々木氏と多くの名刀に思いを馳せてみる一行だ。
「古には、この伊吹山が、浅井山の神と抗争していたそうです」於市御前が伊吹山の伝説を奇妙丸達に語る。
「遥か遥か昔の事ですか?」
「ええ、伊吹山と浅井山が背比べをして、浅井山に負けた伊吹山が、怒って剣で浅井山の首を斬り、琵琶湖の中に落ちた頭が、海に沈む際泡音がツフツフ(都布都布)と鳴ったので、「つふふ(都布夫)嶋」という。そして、長い年月の間に簡略化されて竹生島と呼ばれる様になったと言います」
「その伝説は、深い意味がありそうですね。古代に伊吹と浅井は同族ながら対立する関係にあったということでしょうか?」
「それを指しているのかもしれません」於市御前も近江に来て地元の伝説が気になっていた。
「そうそう、伊吹山には、竹中殿が難を避けて潜んでいると聞きますが、本当に手掛かりさえつかめません。怖しい方だ」大野木秀俊が、お手上げだという表情で長政を見る。
長政に命令されて伊吹山の山中を捜索したのだろう。
「長政殿も怖れる竹中半兵衛は、さしずめ気吹雄命の生まれ変わりでしょうか」
奇妙丸は竹中半兵衛に会ってみたいと思う。
「伝説の中では、伊吹山の山神様は、日本武尊をも毒気にあて敗北させたと言いますから、相当の神威を持つ神様ですね」
於八が『記紀』で読んだ神話を思い出す。
「全く。近江の民衆の大多数は、伊吹山を崇拝しているが、我ら浅井家は浅井山の頭という竹生島を信仰している。浅井家の氏神である都久夫須麻神社は島にあるのですよ」
長政が浅井家の氏神について語り始めた。
近江の土豪の多くが伊吹山を信仰することに対して、浅井家は竹生島を崇拝するという。対極の関係にある様で面白い現象だ。
「私は、浅井も伊吹も元々は兄妹神。分かれる前は、古代氏族の息長氏の神だと考えている」
近江の豪族である長政ならではの衝撃発言だった。
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