256部:北国脇街道
北国脇往還道、関ケ原。
・・・・北国脇往還道は、またの名を越前街道という。美濃国から最短距離で敦賀湾へと続く街道だ。浅井家は古来この脇道に面する小谷山の麓を本拠地とする豪族だ。長政の祖父・亮政は、海津湊の豪族である田屋氏と結んで琵琶湖北部の水軍を手に入れ、湖北の豪族の中から一歩抜き出た存在となった。久政の代には南近江の六角家と協調し内政に取り組み、湖北の旧族である阿閉氏や井口氏、平井(高島佐々木分流)氏と結んで着々と勢力を蓄えた。そして長政の代には、小谷に城下町を構え、山上には城砦を整備し、京極丸に近江守護家の京極氏を迎え、北近江一円を支配していた。
「ここは昔の不破関を通り過ぎたあたりです」
護衛として先導している山田勝盛が奇妙丸に教える。
「信長様が関所を撤廃されたので、両国の交通が自由になり、浅井家は恩恵を受けていますよ」
浅井長政は鷹狩風の井出達で織田家一行に精神的な圧力を加えないように配慮している。
於市御前も馬に乗り、それに並走している。手綱さばきは見事だ。
奇妙丸の馬上には茶々が抱えられるように同乗している。茶々は景色が見たいと輿を嫌がり、奇妙丸を騎手に指名した。
「旅人としては、関所は無い方が便利ですね」
国境には両守護の関所が一里進むたびにあり、上納金を取られれば旅にもウンザリする事だろう。
「近江と美濃の間に、なぜ、関所が置かれたのですか?」
於勝が長政に質問する。
「律令の時代、坂東は朝廷に従わぬ蝦夷の国だったので。東国との境界として北陸道に愛発関、東海道に鈴鹿関、東山道に不破関の三関が設置されたそうだ」
「三関のうちの一つを初めて越えましたね」
奇妙丸と同じで、於八も関所を越えるのは初めてだ。
「これで畿内入りだ」今回の旅は奇妙丸に同行する池田正九郎。
「ここからが畿内か」畿内という音の響きになぜか嬉しくなる奇妙丸。
「長政様、あれが松尾山城ですか?」
於勝が西南方向の山の頂を指さす。
うむ。と頷いて答える長政。
「(松尾山城)かつては土岐家の執事・富島氏が抑えていた城です」
・・・・松尾山城。美濃と近江の国境、標高300m程の山頂に、富島氏によって応永年間(1394年~1428年)に築かれたと云われる。土岐家の中で斎藤氏が台頭する以前は、富島氏と長江氏が家政を牛耳っていた。
「ここが現在の美濃と近江の国境で御座る」
勝盛が振り返って補足する。
「城主は何方が?」と於八。
「我が与力、堀家の陣代・樋口三郎兵衛直房です」
・・・・堀氏はもともと、多賀神社神職・多賀氏の家来だったが戦乱で多賀氏が没落したことにより、在地領主として頭角を現した。藤原利仁流の武家だ。織田家に出仕する美濃の堀氏(堀秀重・秀政親子)とは同族だった。
家老を勤める樋口氏は坂田郡の土豪で、現在は堀氏の被官となっていた。もともとは中山道に面する信濃国木曽の豪族で、木曽義仲の乳兄弟にして股肱の臣、樋口兼光の後裔と言われている。
「勇将で名前の通る樋口殿ですか?」
池田正九郎は樋口の名を父・恒興から聞いたことがある。六角攻めでは浅井軍も目覚ましい活躍を見せていた。
「帰りは挨拶に寄ろう」古典である『平家物語』に登場する樋口氏に奇妙丸も関心がある。是非ともその後裔に対面してみたい。
「そうしてやって下さい。あちらの方向に東山道を西へと真っすぐ進めば、琵琶湖に面して朝妻湊に行きつきますよ」
於市御前は、美濃と近江が仲良い関係であってほしいと願っている。
「朝妻とは吾妻とかけているのでしょうか?」
於八が素朴な質問をする。
「おそらく古の認識では、都から東への旅の始まりの湊だったのでしょうね。逆に木曽義仲が平家を追い落とした時は、この湊から東国の増援軍が船出したといいますから」
於市御前が教えるように優しく答える。
「木曽殿の軍湊かあ、坊丸に教えたいなあ」奇妙丸が呟く。
「きっと上洛の時に寄られるでしょう」
馬上の武者姿で並走する桜が、奇妙丸に心配ないという表情で答えた。
湊好きの津田坊丸は、信長の傍衆として上洛する予定だ。
「そうだな」
坊丸の傍で、湊の景色に感動している表情を見てみたかったものだが、私は長政殿の小谷城を岐阜城の防衛力強化の為に是非とも見ておきたい、いずれ坊丸と琵琶湖の湊についても語り合おう。
 




