243部:瀧川一益
細汲湊。
吉川兄弟の安宅船に送られて、奇妙丸一行は細汲湊にやって来た。湊は、志摩国の答志湊とともに南伊勢における瀧川水軍の拠点となっている。
奇妙丸は、後見人でもある伊勢番頭役の瀧川一益に会って、今回の伊勢統一を労い、志摩国の様子を伝えて尾張に帰国する予定だ。
奇妙丸の船の来港を聞いた一益は、波止場まで出迎えに来ていた。
「師匠殿!」
船に架けられた矢板橋を駆け降りて、一益の前に降り立つ奇妙丸。
一益も気心の知れた奇妙丸の前では温和な表情だ。
「お元気そうですね、志摩国の件ではご迷惑をかけております」
「武田家が両職の甘利・板垣を派遣してくれたおかげで、なんとか戦争にならずに収拾することが出来そうだ。英虞七人衆は武田家を介して従ってくれた」
奇妙丸の話に頷く一益。
「私の所へは、武田の武藤と出浦が挨拶に来ましたよ。その後は彼らは上洛した様です。そうそう、京都で大変なことが起きたのですよ」
一益が大変というからには余程のことだ。
「何も噂を聞いていないが、父上がどうかしたのか?」
「信長様が、公方様と喧嘩別れして岐阜に戻られたそうです」
「なんと!?」
「何故、そのような事に?」
と、於八が話しに加わって、一益に説明を求める。奇妙丸の乳兄弟である於八も一益の弟子だったので、師匠に対して物怖じしていない。
「公方が、幕府機構を復活させようと、色々と動いていらした様子で、幕府役人達に所領を与えようとしておられるのです。そして、我ら織田家が戦で勝ち取った所領を、奉公衆達に返上せよという話が持ち上がりまして、信長様が怒られたのです」
「それは、恩賞で配分した土地もあるし、従来の持ち主に戻せと言われても無理があるな」
父上でなくても、領地を持つ当事者達は当然怒るだろう。命を懸けて上洛軍に参加したのに、すぐに返せと言われては、やるやる詐欺だ。
「そうなのです。そして正親町帝も、信長様が朝廷に保障したり寄進した所領が幕府によって没収されるのではないかと心配されて、信長様の下に確認の使者を派遣されたとか」
「深刻だな」
朝廷も将軍のやる事に迷惑されるだろう。
「急いで尾張に戻られた方が宜しいかと」一益は信長の次の行動を予測している。
「分かった」
また遠征となれば、父からの呼び出しがあるかもしれない。急ぐのであれば陸路よりも海路進んだ方が早いだろう。
「吉川殿よいか?」振り返って吉川兄弟を見る。
「一度乗った船です。お任せ下され」吉川平助が即座に応える。兄弟達は、すっかり織田家の一員になったつもりだ。
「借りが大きくなるな」
「構いませんよ」
ハッハッハッハ! 吉川兄弟の明るい笑い声が、深刻な雰囲気を吹き飛ばした。
こうして、細汲湊で食料の補給がてら休憩をして、尾張に向けて出発することになる。
「津島を目指し出港します」
奇妙丸に声を掛ける平助。
「頼む!」
櫂が降ろされ、太鼓が響く。
「帆を張れー!」
桟橋では、瀧川一益達が船団を見送っている。
吉川兄弟の安宅船が、次々と帆を張って津島目指して動き始めた。
第32話 完




