239部:鯨肉
「国友銃槍改、撃ち貫く!」
於八が鯨に目掛けて石火銛を放った。
ザッパアアアン!!
鯨が引き起こした波しぶきが、浜に居る人々に降りかかる。
「ひぃいいいい」
於勝を吸い込もうとした先頭の一番大きな鯨は、於八の放った銛先が当たり、大きく跳び跳ねて砂浜でもがいている。
大鯨について来た二頭の鯨も砂浜の浅瀬に乗り上げてしまった。
板垣信安や山田勝盛も驚いてやって来た。
「鯨?!」
「浜にあがってしまったな…」
服部政友が目測で大きさを検討している。
「七、八(14.4m程)間あるか? 巨大だな」
虎松と与平次は近くで見る鯨に興奮している。
「でか!!」
「全身ずぶぬれだよ」
於八の放った石火銛が鯨の頭部の急所を捉え突き貫けて、於勝は飲み込まれずに済んだようだ。
於勝は砂浜に転がっていた。
鯨の吸引からなんとか逃れきったが、体力を使い果たして動けなくなっている。
於勝に駆け寄り、助け起こす奇妙丸。
「大丈夫か、於勝?」
「くっ、喰われるかと思いました」
「於勝が餌になるところだった」
「目を付けた相手(於勝)が悪かったですね、ハハッ」
ひきった笑顔の於勝。
「食えるのかな?」と虎松が鯨に近づく。
大鯨は動かなくなっていた。於八の石火銛が見事に急所に当たったようだ。
「鯨は無駄になる部位はありませんよ。漁師たちにも大変重宝されるものです」
大湊の吉川兄弟が、大いに鯨の素晴らしさを解説する。
しばらくして、鯨が乗り上げたことに気付き、近隣の漁師達が集まってきた。
「これは、たいしたもんだ!」
「海神様からの贈り物だ!」
「寄り鯨(座礁鯨)だな、ありがてえ!」
鯨一頭で、七か村の食糧が十分賄えると言われる。
「鯨油は一頭で三百樽は取れるな」
鯨油は、灯火にも使えるので、都の貴族達にも重宝される。
松姫が漁師に問う。
「鯨が浜にうちあげられることなど、よくあるのですか?」
「そうあることではありません」
二見の村長も杖をついてやって来た。
「寄り鯨が来ることは、ほとんどないですな」
鯨が打ち上げられたのは何十年ぶりかのことだ。
鯨はその髭から尾まで、すべてが活用できる漁村にとっては有難い生き物だった。
「肉は食用に、鯨油は食用と灯火用、睾丸は薬用などに、臓物や骨は肥料用に、ヒゲは箒や、砥ぎ道具に使えますから、捨てる部分はまったくないですよ」
「鯨肉の塩漬、鯨油の採取、骨粕の処理といった加工処理に、一日三百人は必要ですな」
周辺の村々からどんどん人が集まり、余りに増えたので警備の兵が近くに寄るのを止めに入り、遠巻きながら物珍しげに見ている。
動かすには充分に人手は足りそうだ。
近隣各村の村長たちが代表して、奇妙丸と松姫に挨拶に来る。
「鯨を任せても良いか? 報酬ははずむ」
「もちろんでございます。これで、豊かな年越しが出来まする」
「それは良かった、海神様に感謝だな」
「恵んでくれた神様を、お祭りしないと」村長達が集まり話し合っている。
濱に打ち上げられた鯨は、漁村まで運ばれる事になる。
織田と武田家の幟を掲げて、鯨に紅白の紐が巻かれる。
お祭りのように周りで太鼓や鐘を打ち鳴らしながら、村人が綱を引っ張る。鯨が船に乗せられて次々と村へ運ばれた。
丁度、三頭いるので、武田、織田、近隣の村々へと三等分することにした。
そして、周辺から集まった漁師の指導で、織田・武田の侍衆達が解体し、皆で分けることになった。織田・武田の初めての共同作業だ。
「保存はきくのでしょうか?」
肉の鮮度の心配をする松姫。
「干物にすれば長持ちするので持って帰れますよ」
二見の村長が代表して答える。
「良かった」
甲斐へ良い土産ができたと喜ぶ松姫。
「父上も喜びそうだ。我らの分も干物にしてもらえるか」
「お任せを」
奇妙丸は岐阜や、尾張、三河の協力者達になった人々にも配ろうと思う。
父も美濃衆、近江衆や畿内の協力者へ用立てが必要かもしれない。
「それでは、充分お肉がありますので、皆様に振る舞って余った分を御土産用に致しましょう」
漁村の村長が手早く指示して、部位ごとに肉の処理先を分けにかかる。
「あとは我々に任せて下され」
「うん。楽しみにしているぞ」
こうして、於勝を追いかけて砂浜に引き上げられた鯨たちは、二見浦だけでは人手が足りず、大湊や浜七郷の各漁村からも漁師たちが手伝いに来て加工された。
・・・・後日。この鯨肉は、織田家一族に配布されたばかりでなく、信長によって京都の朝廷にも献上されることになった(*1)。
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(1)永禄13(1570)年一月十三日、織田信長、禁裏へ鯨を献上。献上された鯨肉は貴族の各家に分配された。山科言継が日記に記す。




