234部:鳥羽城
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泊浦、鳥羽城。
・・・・鳥羽氏を支配下に置いた九鬼嘉隆が拠点としている。海に突き出た岬の先端、河川や波の開析により土砂が削られ、独立した島状の地形となった丘陵を利用して築かれた城である。町側に掘られた堀に満潮時には汐が流れ込み、陸地から切り離されるため、ほぼ海上にある城だ。
そのため、海に面する石垣に船の発着場が設けられ「海城」と呼べるような形態をしている。このような天然要害の地形を利用することから、城の規模は小さいながら橘(鳥羽)氏の根拠地だった。志摩13人衆の首領となった鳥羽氏は陸地の支配も目指し、鳥羽城を出て内陸の日和山(*1)に高城城と取手山砦を築き、全山を日和山城として、そちらに本拠地を移して志摩国を睥睨していた。
南志摩の波切城主・九鬼嘉隆は永禄元年(1558)年に、的矢湾の豪族・千賀種親を追い出し南志摩に支配力を拡げるが、伊勢・志摩の両国には九鬼嘉隆の台頭を喜ばぬ勢力が居た。
永禄三年(1560)年伊勢国司・北畠具教が、北志摩の鳥羽成忠や小浜景隆を支援して波切湊を本拠にする波切九鬼氏を叩く。嘉隆は尾張に亡命した。是により北志摩の海賊衆が優勢となった。
嘉隆は、九鬼家討滅の働きをした北畠氏に対しては強い反感を持っていたので、永禄11(1568)年、伊勢北畠氏と関係の悪化した鳥羽家を支援する形で志摩に返り咲き、鳥羽氏の婿となって志摩国内に拠点を得た。今度は小浜氏が志摩国から逃亡したが、すぐに武田の家臣として志摩に戻って来た。
嘉隆は、北畠の先兵であった小浜氏の赦免という織田奇妙丸の処置が不満だ。しかし、同盟国・武田家傘下となった小浜氏を表立って討滅することは出来ない。
嘉隆には信念がある。
「我らの先祖の地を取り戻さねば・・」
それに、信長からは「切り取り次第の許可を得た」と思っていた嘉隆は、奇妙丸の許した武田氏の介入が不服である。
九鬼光隆も、良く状況を理解し見守っている。
「今は答志和具湊と田城城、それに鳥羽氏を傘下に加えた事で妥協すべきだ。いつか機会は訪れる。奇妙丸殿に武田にも話をつけてもらって、我ら先祖の墓と菩提寺を保護して頂ければ宜しかろう」
「そうだな、奴らが武田方に着いても、いつかまた敵対する事もあるかもしれぬという事だ」
「そうなれば、大湊奉行となった津田一安殿とも、いつか対決することになるやも知れぬ」
光隆が未来を推測する。
・・・・津田一安は、織田一族ながら、信長の尾張統一戦争の時に敵対した勢力に属していた為、出奔して甲斐武田家に一時出仕していた。信長と信玄入道殿同盟が成った事により、尾張への帰還が許され信長に出仕している。現在は信長と信玄入道の取次役を務めている為、信長に重用され、今回の伊勢の仕置きで大湊の代官職を得たのだった。
「そうだな、奴は武田に近すぎる」同意する嘉隆。
「我らは瀧川一益殿との関係を最優先しよう」
伊勢侵攻の総大将を勤め、仕置きにより伊勢番頭となった一益を嘉隆は重く見ている。それは光隆も同様で、二人の意見が一致した。
「俺たちが推すのは津田一安よりも瀧川一益だ」
九鬼兄弟は、伊勢支配をめぐる織田家重臣の派閥争いも見据えていた。
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鳥羽城の湊へ、奇妙丸の乗る九鬼澄隆の軍船と、武田松姫の乗る友野二郎右衛門の安宅船が入港する。
波止場には九鬼嘉隆、光隆兄弟と、一族になった鳥羽監物成忠、鳥羽主水宗忠親子が出迎える。
「織田奇妙丸様、武田松姫様よくぞお越し頂きました」
「出迎え有難う。松姫と武田の皆さんが福を持ってきてくれましたよ」
奇妙丸が松姫の紹介がてら、元気よく四人に挨拶する。
「何を恍けた事を」
嘉隆が、奇妙丸の第一声が気にいらず思わず口走った。
「ああ?」
奇妙丸と松姫の護衛をするために先に波止場に降りていた川尻が、嘉隆の声に気付き、聞き返す。
「お前今何といった?」奇妙丸の後ろに居た於勝も、地獄耳で聞き取り頭に血を登らせている。
「何が悪い?」と開き直る嘉隆。
「おいっ」と嘉隆の言葉に焦り遮る光隆。先程の二人の打ち合わせが台無しだ。
川尻と於勝が、奇妙丸と松姫の前に進み出て、嘉隆を囲もうとする。
松姫の表情が曇る。
「まった、まった、私が何か気に障ることを言ったか?」
何故、嘉隆が自分の言葉を否定するのか解らない。
「武田が来て我らが得をすることはない! 志摩国は我らが全て切り取るつもりでいたのだ」
なるほど、と合点のいった奇妙丸。
「まず、話を聞いてくれ。友野殿は、志摩の海賊衆にもうけ話をもってきてくれたのだぞ」
「ほう?」
嘉隆達が友野をジロリと見る。
「私は木綿の原料や、茜、胡麻、米などを扱っております。これらを日本各地の湊に運んで頂ける方を探しています。売り上げ次第で運賃を弾みますぞ、決して損はさせませぬ」
「なるほど」
と光隆。
「確かに、武田領内の特産品を一手に扱う事となれば、巨額の利益を得る事ができるやもしれぬ。戦の無い時に良い収入となるな」
光隆は、友野の言葉に理解を示し、嘉隆を見る。
「これぞ、共存共栄に御座いまする」
にんまりと愛嬌のある表情の友野。
しかし、嘉隆は憮然とした表情のままだ。
「お主は戦争を続けたいのか?」
奇妙丸の表情からも笑顔が消え、やや厳しい声で、嘉隆の本意を尋ねる。
嘉隆は腕組みをして、眉間に筋を刻んでいる。
「仕方がないか」
波切の本領を取り戻したいが、信長の切り取り次第という言葉の効力も、武田の介入が始まるまでだったか、と自分に言い聞かせる。
結果的には、それまでになんとかできなかった自分が悪いということだ。
嘉隆は、奇妙丸から視線をそらし天を仰いだ。
(*1)日和山とは、全国各地の漁村の近くにあり漁師達が、その日の漁に出かけるか出かけないか天候を見分ける目印としていた山を日和山と呼んでいた。鳥羽日和山は近隣漁村から厚く信仰される山でもあり、そこを抑える事で鳥羽ばかりでなく志摩の盟主であることを鳥羽氏は具現化していた。




