228部:脱出
入り江に現れた海賊船団は、志摩国の南半分を支配する、英虞七人衆と呼ばれる海賊達と、その同盟軍だ。豪族たちはそれぞれ5隻近くの安宅船を持ち勢力の均衡を計っている。
船団は安宅船を旗艦に、関船や早船が周囲を固める。
先頭を進むのは御座湊の御座源四郎と、越賀(小鹿)湊の越賀隼人の連合水軍。
第二陣は船越湊の船越左衛門と、浜島湊の小野田豊後守の連合水軍。
第参陣は甲賀湊の武田雅楽助の武田水軍。
第四陣は国府湊の三浦内膳正と、安乗崎の三浦新介の三浦水軍。
第五陣は和具湊の青山豊前が率いる和具水軍が勤めている。
後方に備える第五陣の和具水軍は、相差湊から出撃してくるかもしれない織田方の伊藤兵夫にも備えている。
的矢湾内からは的屋次郎左衛門の船団が、湾から奇妙丸達の船団を追い立てる為、後方から迫っている。
前面の大艦隊と、後方の的屋船団で、奇妙丸の居る九鬼・吉川連合水軍を挟み撃ちにする作戦が、遂行されていたのだ。
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戦闘速度で九鬼の安宅船が先頭に立ち吉川兄弟の安宅船を率いて、先陣の御座・越賀の海賊船団に向って行く。
御座源四郎が叫ぶ。
「やれっ!沈めてしまえ」
越賀隼人が采配を振る。
「焙烙玉を投げ込めぇーーー」
奇妙丸軍側は、勝盛が叫ぶ。
「火矢を放てー!」鍛えられた弓衆の射程は、火縄銃を凌駕する事もある。
楽呂左衛門が号令しながら、自分の長銃を放つ。
「撃てええ!」
呂左衛門の銃弾は確実に船員を狙い撃ち、焙烙玉が海賊船の船内で転がる。
それでも、海賊達の投げた焙烙玉が海面で炸裂し、爆発音とともに水飛沫をあげる。
船と船が交差し、火薬の臭いが、汐風に乗って漂ってきた。
「次は第二陣だ!」
休む間もなく火矢と銃を撃ち続ける奇妙丸軍。
海賊船団の浜島水軍が、紀伊の海賊衆から買い取ったという虎の子の新武器を持ち出して来ていた。
浜島の頭領・小野田豊後が叫ぶ、
「石火銛、発射よぉおおおおい!」
是は、火薬を仕掛け、銛の先端、尖った金属部分だけが跳び出してゆく武器だ。
「うわぁ、なんか飛んでくる!」於勝が初めて見る武器に驚く。
「あぶなぃ!」虎松が必死に避けている。
キィイン!
政友が槍で銛先を払い叫ぶ。
「耐えろ、もうすぐ参陣めだ!」
海賊船団の第参陣、武田水軍は火矢を準備して、九鬼・吉川連合水軍を待ち構えている。
(これは、厳しい戦いだ・・)
新武器の飛び交う戦況を見て、海賊船団の四陣・五陣の備えを突破するには相応の被害が出ると覚悟する奇妙丸。
奇妙丸と桜は、ほぼ同時にセーマン☆ドーマンのお守りを握りしめ念じる。
(( 姫、海神のご加護を ))
その時、雷鳴が響き、俄かに、風が吹き荒れて、荒波が飛沫をあげて押し寄せる。黒い雲が空一面を覆い始め、星影が消えてゆく。見た事もない不穏な雲行きに、戦闘の手を止めて船員達はざわつき始めた。
波が激しくなり、船が木の葉の様に揺れる。
このような天候の急変は誰も予想していなかった。
経験豊富な船乗り達に、各船長達が、空を見上げて驚愕の表情をする。今までに経験したことの無いような異変だ。
「帆をたため!」
吉川兄弟たちの判断は早い。
「「おう!」」大湊からの船員達が、手際よく甲板上の綱を外してゆく。
九鬼澄隆も吉川兄弟の動きを見て、即座に帆を降ろす指示を出す。
戦闘速度から突如減速した織田船団を見て、戸惑う第四陣、五陣の海賊衆達。
船団の居る海域に、変化が起こり始めていた。
波がおさまり、それから静かに湾内の水が、湾外に向って川の様に流れ始める。
「な、なんだ? 舵が効かないぞ!」驚き悲痛な声をあげる澄隆。これはまずいと思う。
しかし、奇妙丸の船団は、湾内の引き潮の流れに引き込まれ流れに身を任せて、入り江の外へ外へと加速して引かれてゆく。舵は全く効かず流されるままだ。
海賊船団第四陣の三浦水軍は、奇妙丸の船団が加速し、すり抜けてゆくので大いに焦る。
「織田の軍船が逃げるぞ!」
「追いかけろ、反転!!」
「いや、それどころではない!」
海賊たちに飛び交う怒号。
帆を張ったままの海賊船団は、風の流れと波の流れの逆流に翻弄され、第参陣から五陣の船の船体が大きく揺れている。
一番後方にいた第五陣の和具水軍は、青山豊前の号令で奇妙丸船団を追うため急速反転しようとしている。
今度は、入り江の内側に渦巻きが発生し、海賊船団の先陣・第二陣と、奇妙丸船団を追い立てようと出て来た的矢水軍を巻き込んで、艦船をまるで木の葉のように引き回し始めた。
「おい、前を見ろ、津波だ!」
進行方向を指さして、九鬼の船員が声を上げる。外洋の方向から湾内に向けて高波が押し寄せて来ていた。
「何かにつかまれぇ!」
巨大な水の壁が眼前に迫る。船の舳先が壁に突っ込む。
「うわああぁ!」
全員、頭から激しく波を被ったが、船は沈没せずに持ちこたえた。
津波が通り過ぎ、湾内に向かって加速してゆく。
今度は、海賊船団の船員達が恐怖した。
奇妙丸達の乗り込む九鬼・吉川船団だけが上手く的矢の湾外に脱出し、湾内に残った船は引き潮と、津波の対流で起きた渦巻きの流れに次々と吞み込まれて大きく回り始めている。
「舵が効かないぞ!」各艦船の船長達が焦る声が、むなしく暴風にかき消されてゆく。
潮の渦の中央から、水を巻き上げる竜巻が発生し、渦巻きが天に向かって伸びてゆく。そして、黒雲の切れ目が上空にでき、空にとてつもない大きな一つ目が現れた。
「ダイダラボッチだ!」
志摩の船乗り達の誰もが子供の頃から聞いている恐ろしい怪物の姿が頭に思い浮かぶ。
船員達が逃げ惑い、甲板を右往左往している。
腰を抜かした者は甲板を転げまわる。
「逃げろぉ―!」
湾外に押し出された、奇妙丸達からも巨大な何かが見える。
「一つ目の巨人だ!」
「ダイダラボッチ!、あれがそうか!」
「みろ、船がもちあがっているぞ」
九鬼・吉川の船員達も腰をぬかして、一つ目の巨人を眺めている。
海賊船団の各船から、叫び声が聞こえる。
「転覆するぞ!」
「ぶつかるぞお!」
「伏せろお!」
「間に合わん、海へ跳び込め!」
「うわぁあああ」
混乱が混乱を呼び、もう戦闘どころではない、一人一人が生き延びる為に必死の状態だ。
(女護島の、姫の祟りに間違いない!)
海賊船団の頭目達の誰もがそう思い、女護島にちょっかいを出した事を後悔した。
海賊船団の船が次々とぶつかり、大破、小破していき、無事な船は一隻も無い。
あっという間に海賊船団の三分の二は沈没してしまった。
巨人が、幻の様に消えてゆく。
空を覆っていた黒雲が消えてゆき、星空が戻ってくる。
そして、ダイダラボッチの居た方向に、今までにないような巨大な月が現れていた。
「見ろ!」
政友が指さす。
「月が、あんなに近かったか?」
驚く於八。
「呂左衛門、あのような月を見たことがあるか?」
南蛮国でもあのような月が見えるか確かめる奇妙丸。
「いえ、私もあのように巨大な月を見るのは初めてです」
楽呂左衛門が興奮気味に答える。
「なんだったんだ、あれは?」顔に被った潮水をぬぐう於勝。
「怖かったー」と正直な感想の与平次。
「助かったぁ」と虎松。
「海戦とは言えない戦いだったな」と減らず口を言う勝盛。
しかし、海の異変により窮地を脱することが出来たので、目を閉じ海の神に感謝を祈る。
巨大な月も気になるが、その前に、確かに巨人の様なものが見えた。
「楽呂左衛門もみたか」
確かめる奇妙丸。
「ええ、広い海には人間には推し量ることが出来ない不思議な事がたくさんあるものです。私の船が破損して舵がきかなくなったのも、確かこの辺りです」
「こうして楽呂左衛門と出会い、ここに居るのも、玉色姫のお導きだったのかもしれぬな」
「神は、私達に何をさせたいのでしょうね」
安宅船の乗組員全員が、奇妙丸と共に月を見上げていた。
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