221部:船出
伊勢大湊。
湊で、安宅船の出航の準備をする九鬼水軍。奇妙丸が波止場で様子を見る澄隆を見つけて声をかける。
「澄隆、もう出航するのか?」
「ええ、若様。あとは新鮮な食料を積み終われば出航できます」
「私も志摩の国を海から見て回りたいのだが、九鬼の船に乗せてもらえないだろうか」
「構いませんが、叔父達からの連絡では、まだ鳥羽周辺の戦況は良くない様ですが」
「ならば、私が行って加勢したいが、加藤の艦隊は熱田に引き返したからな」
九鬼の若大将と立ち話をする奇妙丸の姿を見て、いつのまにか地元の者達が大勢集まっていた。
「我々が船を出しましょうか?」
周りにいる者の中から、二人の話を聞いて志願するものが現れた。
「お主達は?」
「挨拶が遅れました。大湊で廻船業を営んでいます吉川家の平吉です。こちらは弟の平助に三蔵です」
「おお、有り難い」
三人とも船乗りに相応しく、黒く日焼けして、頭には鉢巻きを締め、波模様が刺繍された派手な着物を肩に羽織っただけで帯は締めていない。下半身は褌姿だ。
「若様はどちらまで行くおつもりですか?」
「蔵田殿から、英虞湾でアコヤ貝が取れると聞いたので、その周辺の漁村まで行きたいのだが」
「九鬼嘉隆殿が、英虞湾近くの波切が本拠でしたが、英虞湾周辺で九鬼に従う者はいません。
伊志賀辺りまでは九鬼兄弟が進出した様ですが、その先に割拠している武田氏、的矢氏、国府氏、和具氏、越賀氏は従っていません」
・・・・永禄3年(1560)に浄隆が家督を継ぐと相差・和具・越賀(小鹿)・荒島(安楽島)・甲賀・国府・浜島の七党が北畠氏をの援軍を得て波切、そして田城城を攻めた。九鬼家は敗北し、志摩国から尾張に逃亡した。
九鬼浄隆の弟である光隆と嘉隆は、永禄11年(1568)から織田家の後ろ盾を得て、志摩の平定に乗り出し、小浜城主・小浜久太郎、浦城主・浦豊後守を攻め落とす。
志摩七頭の惣領で鳥羽城主の鳥羽(橘)宗忠は、北畠氏の劣勢を見て妹と娘を人質として降伏した。嘉隆はこの妹を妻に迎えて和睦したところだった。
「では、鳥羽の九鬼兄弟の所まで、行ってみるか」
「私の目的も叔父二人に合うためですから、丁度良いですね」
「我らも、鳥羽の様子を見たいのでお供します」吉川の兄弟たちも交易の中継地となる鳥羽の今後を確認しておく必要があるので、奇妙丸のお供を買って出るのだった。
「それでは若様、鳥羽の橘主水宗忠は降ったそうですが、まだ情勢がよく分からないので九鬼水軍が志摩侵攻の水軍基地としている答志島に一旦向かいます」
「分かった。では分乗して出航しよう!」奇妙丸の張り切る声に押され、九鬼・吉川の連合水軍が出港した。
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志摩国の要所図。志摩13頭衆の水軍拠点です。
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