205部:津田坊丸
末盛軍が移動を始めた。
「おっ、先頭が動き始めましたよ」
気付いた政友が、勝盛と汎秀に奇妙丸軍の出発準備も即す。
「ああ、また勝手に動き始めた。奴はいつも勝手に動く。先を行く佐久間理助とは合わぬ所があります」
「思うままに行動される方のようだな」
「我らの一歳年長です。しかし、御せるのは信長様と勝家殿くらいでしょう」
(自由人か)
於勝が興味深そうに列の先頭を行く武者をみる。
自分の才覚に絶対的な自信がなければ、そのような振る舞いはただの阿保だ。
坊丸が、自軍も佐久間隊に続くように伝令を走らせ、話題を変える。
「私も、熱田に赴いても宜しいでしょうか」
「留守居は良いのですか?」
「父が関心を持っていた、熱田湊の様子を見たいのです」
「なるほど」
「南伊勢を手に入れた暁には織田家の収入は交易に依り、飛躍的に伸びると思うのです」
「伊勢湾の制海権を手に入れる訳だからな」
「そうでございます」
話しを聞いていた政友が呟く。
「桶狭間合戦は、伊勢湾支配を巡るいわば経済戦争」
「それで服部左京助友貞殿は、熱田湊を襲撃したのだな」
奇妙丸の問いに、政友が頷く。
「今川軍の狙いはそこにもあったのか」
尾張丘陵の資源地帯だけではなく、熱田を落し伊勢湾の制海権を得る事が、あの遠征の要因だったのだ。
そして、信長と信行兄弟も熱田を巡って争った。
「坊丸殿は、海はお好きですか?」
唐突だが、政友が坊丸の考えを引き出そうと海の話題をふった。坊丸が父・信行の事が心に懸かっているのであれば、それは将来、奇妙丸への脅威になるかもしれない。熱田を見たいという坊丸の真意が気になる。
「私は海が好きだ。
今は各勢力に分断されている伊勢湾の流通航路を完成させて、伊勢・尾張・三河の三か国の経済の流れを見てみたいのだ、そして、それを東海道、日本、果ては海外まで広げて行きたい」
「ほう?」予想外な答えに驚く政友。
澄んだ目で海のある方向を見る坊丸。
「これからの時代は海だ。
伊勢湾、琵琶湖、紀伊水道の熊野、雑賀、堺、大坂湾、瀬戸内海、南海道、琉球、朝鮮、唐、天竺、果ては南蛮まで、どこまでも世界の湊を巡りたい」
「おーう」楽呂左衛門が驚きの声をあげる。
「これは凄い。坊丸殿の先見性は、一段の逸物ですな」
政友が坊丸の視野の広さに驚いた。武士以外の海商の中でもそこまで考える者はいないだろう。
「はっはっは、楽呂左衛門の逆航路なのだな?」
奇妙丸が呂左衛門に言う。
「はい。大変な旅ですよ」
呂左衛門が過去を振り返る。
「しかし、それをやった生き証人が目の前に居る。奇妙丸様、私と一緒に南蛮国までも行きませぬか」
以前、自分が考えたと同じ事を、坊丸も考えていたのだ。
尾張に、いや日本国の範疇に縛られない事を夢想できる人間は、今の世に何人いることだろうか。
楽呂左衛門を見る坊丸の表情は、今までになく明るく生きる希望を得たかのようだ。
「承知した。呂左衛門とも約束しているのだ。やはり坊丸殿は只者ではないな」
奇妙丸が心の底から感心する。
「良かった。奇妙丸様も流石に、行く末我が主となる方だ」
「有難う」
お互いの器を認め合う。共に語るに足りる従兄弟だ。
呂左衛門や政友のおかげで、共通のものを始めて見つけることが出来た。
その時、街道を、末盛の方から伝令の早馬が駆けて来た。
佐久間理助が前列で伝令を止め所属を確認する。末盛城からの母衣武者で間違いない様だ。気軽に話しかけているその様子から佐久間譜代の信のおける者のようだ。
奇妙丸達は急いで前列まで馬を走らせた。
「どうした?!」
理助に礼をしてから、使者が答える。
「奇妙丸様に、殿様(信長)から伊勢山田に参れとのご指図が伝達されております」
「父上から?!」
「言伝は、それだけか?」理助が正す。
「はいっ」
「ご苦労だった」
「ははっ」
役目を終えた使者は、佐久間隊に合流する。
「これは、急いで来いということでしょうね」
佐久間理助が、信長の意図を読む。書状でなく短い言伝での配信だ。
「そのようだ」
頷く奇妙丸。
「それでは、末盛で渡船を用意して熱田まで一気に下りましょう」
坊丸が先導することを約束する。
「お願いする」
「「承知しました、若様!」」
理助も返事し、馬に鞭を入れて一気に駆けだした。坊丸と理助が先を争うようにとばして帰る。それにつられて、全軍が末盛まで駆け足で帰還することになった。
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