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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第九章 兄弟
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08

 シリルとの過去を語ったリゼルヴァーンは、寂しげな微笑を浮かべて窓から月を眺めた。残光を放ちながら『昼の月』は退場し、『夜の月』が待ちかねたように顔を出し輝く。

 リゼルヴァーンの自室が何故寂しげであったのか、その理由がようやくわかったような気がした。

 シリルが思い出の品々を破壊したことに、リゼルヴァーンは怒りよりも悲しみを感じているのだろう。壊されてしまった事実より、苦しみの果てによる、シリルの気のふれたような行動に、リゼルヴァーンは心を痛めてしまったのだと思った。

 だから、リゼルは部屋になにも飾ろうとしないのかもしれない。

 たとえこの場にシリルが居なくとも、――訪れることがないとしても――思い出のつまった品々に囲まれた自分が許せない。思い出は「優しくて、温かで、縋ってしまいたくなる」ものだから。そういった物に包まれて、赦されてはいけない。

 他人の気持ちに寄り添うことのできる、優しすぎるリゼルヴァーンなら、そのように考えてしまってもおかしくはない気がした。

 リゼルヴァーンはシリルに対し、罪の意識を抱いている。ずっとずっと昔のことなのに、いまもまだ苦しんでいる。辛い記憶から逃れられず、シリルという檻に囚われたまま動けずにいる。

 一緒だ。リゼルも、私と一緒なんだ。

 リゼルヴァーンの辛さを我がことのように感じるのは、きっと同じ痛みを心の底に抱えているからだろう。アキにはリゼルヴァーンの痛みが、他人事だとは思えなかった。

「それからの兄上は、ひとが変わったようになってしまった。自室に籠りきりになり、時折暴れ回るようになった。俺も、兄上に厭われていると気付いてから、あまり人前に出ることをしなくなった。元々家臣たちによく思われていないことは自覚していたし、自分に自信が持てなかったこともあって、積極的に他人と喋ることをしなくなった。……あの頃の俺は、随分と母上父上に心配をかけていたことだろう」

 自嘲のような笑みを浮かべるリゼルヴァーンが胸に痛い。

 リゼルヴァーンは少し悩むような素振りをしたが、アキを見てぽつりぽつりとまた語りだした。

「第一王后だったユリシア母上が亡くなったことで、ミゼリア母上がその地位についた。そういう決まりではあったが、ユリシア母上は以前から、自分が何らかの理由でいなくなってしまった場合は、ミゼリア母上に是非にと言っていたらしい。父上も反対するはずはなかった。だが、唯一そのことに反発を示したのが、兄上だった」

 シリルは、ユリシアが亡くなった途端、悼む間もなくミゼリアが第一王后になったことが許せなかったのだろうと、リゼルヴァーンは言った。自分の妻が、自分の姉が、この世から消えてしまったというのに、あまりにもつれないのではと、思ってしまったのだろうか。

「それに、ミゼリア母上が第一王后になったことで、王位継承権も俺に移ってしまった。兄上は、それも気に入らなかったのかもしれない」

 兄であるシリルが魔王ではなく、リゼルヴァーンが魔王を名乗っているのはそういう理由があったのだ。リゼルヴァーンの瞳に、悲しい色が宿る。

「ユリシア母上が亡くなる以前の兄上は、ミゼリア母上に対しても優しく、ユリシア母上と同じように接していた。実の母子のように、俺には見えていた。だが、ミゼリア母上が第一王后になったことで、憤りは益々大きくなったのだろう。父上や母上に対しても、兄上は距離をとるようになった。……兄上は、完全に孤立するようになったのだ。俺たち家族だけでなく、城の家臣や兵士たちとも、関わろうとしなくなった。兄上はひとりになってしまったのだ、この広大な城の中で」

 その頃のシリルを思い出しているのか、瞼を閉じ憂いに沈む。そんなリゼルヴァーンを見るのは苦しかった。

 アキはそっと、リゼルヴァーンが膝の上で握り締めている手の甲に、自分の手を重ねた。はっと気づいたリゼルヴァーンが顔を上げ、アキを見つめる。慰めたくて微笑んでみせると、リゼルヴァーンは一瞬泣き出しそうに顔を歪めてから、笑ってみせた。

 すまん、と謝るリゼルヴァーンに、アキは頭を振る。

 決して、これは謝るようなことではない。今朝、アキの話を聞いてくれたリゼルヴァーンと、同じことをしているだけだ。労わってくれたリゼルヴァーンが嬉しかった。だから、今度はアキも、同じようにリゼルヴァーンを労わりたいと思ったのだった。

「あの頃の俺は、自分の殻に閉じこもるようになっていた。自分のことに精一杯で、他に眼が向かなくなっていた。兄上のことは気になっていたが、自ら進んで関わろうとはしなくなっていた。要するに、自分が一番大切だったのだ」

 自虐的な言葉に、「そんなことない」と言おうとして、しかしリゼルヴァーンは首を振る。

「天界との戦は激しくなり、俺たちは益々互いと向き合う時間がなくなっていった。そしてある日を境に、兄上は城から居なくなってしまった。忽然と、姿を消してしまったのだ。そのことに母上は心を痛め、心配した父上は必死に捜索した。けれど、兄上は見つけられなかった。永いながい年月をかけて兄上を捜していたみたいだったが、とうとう見つけだすことができなかった。……その前に、父上が不帰の客となってしまったからな」

 だから、ミゼリアだけが玉座に座っていた。

 魔王であったギルヴァーンを、アキはリゼルヴァーンの話でしか知りえない。だがミゼリアが気丈で、気高く、威厳に満ちた姿をしていることは、この短い期間でも知りえることができた。夫のあとを受け継ぐミゼリアが、魔界の女王として相応しい人物であることは、アキにも十分に感じられるのだった。

 静かに、淡々と語るリゼルヴァーンは、心の奥底に悲しみを横たえているように見えた。

「父上はきっと無念だったに違いないのだ。最後にもう一度、兄上の姿を見たかっただろうと思うと、俺は堪らなく悔しい気持ちになる。どうして俺は、兄上を見捨てるようなことをしてしまったのだろう。どうしてもっと、信じることができなかったのだろう、とな」

「リゼル……」

 熱い塊を喉に感じながら呟く。リゼルヴァーンの痛みや悔やむ気持ちが、アキには痛いほど伝わった。

「俺はいつだって遅すぎる。大切なものを守ることができない自分に、後悔ばかりしている。……悔やんでばかりいるのはよくないとわかっているのだ。わかっているのだが……兄上を前にするといかんな。情けなくどうしようもない自分が、頭を擡げてしまう」

 傷付き、苦しみに深く侵食された心は隠しきれず、笑顔から滲み出る。笑っているのに、泣いている。

 ちっぽけな掌で、辛さや悲しみが全て取り払われるとは思わない。けれど、少しでも心が安らぐなら、とアキはリゼルヴァーンの手を握り締めた。

 リゼルヴァーンは柔く微笑んで、アキの手にもう片方の手を乗せた。包み込んだはずだったのに、反対に包み込まれてしまった。掌から、手の甲から、リゼルヴァーンの温もりが伝わる。

 胸がきゅっと、摘ままれたみたいに苦しくなる。アキはゆっくりと、唇におもいを乗せた。

「落ち着いたいまだから、言えることかもしれないけど……私自身、何をやっても、どんな行動をとっていても、結局後悔していたかもしれないって思うの、いままでのこと。両親や友人に対して埋まらない溝の深さに、嘆いて苦しんだことは事実だから。でもだからって、いつまでも底に沈んだまま、じっとしているわけにはいかないとも思った。這い上がることが難しくても、足を止めたまま、その場から動こうとしないのは、何か違うのかもって……」

 リゼルヴァーンは、黙ってアキの話に耳を傾ける。

「今朝ね、ずっと胸に潜めていた気持ちをリゼルに聞いてもらえたことで、本当にほっとしたの。苦しかった気持ちがふっと軽くなって……話せて良かったなって、そう思った。そうするとね、前を向いてみようかなって気になれたの。……それはきっと、リゼルのおかげ」

「アキ……」

「ゆっくりでもいいんじゃないかな。急いで前を向かなくたって大丈夫だよ。怖いなら、勇気が出ないのなら、私が手を繋ぐから。辛くなったら握り締める。落ちそうになったら引きあげる。だから、一緒に歩いていこう?」

 リゼルヴァーンの、アキの手を握る力が強くなる。唇を噛みしめ、じっとアキを見つめて、リゼルヴァーンは慈しむように言葉を吐き出した。

「ありがとう、アキ。……俺は、悩む時間が長すぎたのかもな」

 苦笑するリゼルヴァーンは、しかし先程の自嘲めいた笑みではなくなっていた。それに少しだけ安心する。

 いますぐ解決する問題ではないし、心が平安になるには時間がかかるだろう。もしかすると、完全に気持ちが晴れることはないかもしれない。深く傷つき、悲しみの底に沈んでしまった心が、簡単に回復できないことはアキ自身よくわかっているのだから。

 けれど。それでも。いま、リゼルヴァーンの気持ちが僅かでも安らかになったのなら良かった、とアキは思った。

 沈んだ顔を見るのは辛い。悲しい顔はリゼルヴァーンには似合わない。

 笑ってほしい。元気になってほしい。それが強いおもいとなって、アキを突き動かすのだ。

「……小さいけれど、温かいな、アキの手は」

 包まれた手を、指で労わるように撫でられて、アキは体温が上昇するのを感じた。手や指の形を確認するように、丁寧に優しく撫であげる。

 恥ずかしいけれど、嫌ではなかった。寧ろ、ずっと触れられていたい。リゼルヴァーンの掌の熱が心地よい。

 物も言わずにじっとしていると、唐突にリゼルヴァーンの手の動きが止まった。俯いていた顔を上げると、耳まで真っ赤になったリゼルヴァーンが眉根に皺を寄せて、恥ずかしげに身体を窄めていた。まるで、小さな子供が落ち着かなげに、もじもじとこちらを窺っているように見える。

 途端、中庭での出来事が思い出された。シリルとの遭遇で忘れかけていた記憶が、鮮明に脳裏に浮かび上がる。

 抱きしめられたときの温かさ。救い上げてくれた優しい言葉。そして、慰撫するように触れた唇。

 アキは居た堪れなくなってしまい、勢いよく立ち上がった。掌の熱は名残惜しかったが、それよりも恥ずかしさの方が勝ってしまった。二人きりであったと意識すると、余計に駄目だった。

「それじゃあリゼル、私はこの辺でおいとまするねっ」

 明らかに不自然な態度であったが、リゼルヴァーンは引き止めることはせず、こくりと頷いた。その頬はまだ赤い。

 アキは部屋を退出するまえに、リゼルヴァーンに振り返る。距離を取ったことで少しだけ落ち着いた心臓に手を置いてから、アキは言った。

「ゆっくり休んでね、リゼル。何かあったら私に知らせて。必ず駆けつけるから」

 リゼルヴァーンは一瞬瞠って、それから真紅の瞳を細くして「ああ、必ず」と力強く答えた。



 掌を見つめて、アキは歩廊を歩く。まだ仄かに、リゼルヴァーンの温かさが残っているような気がして、自然と笑みが零れた。

 ただ、いまは何の変哲もない普通の手だが、シリルの腕を弾いたあのとき、自分のものではないような感覚がアキにはあった。確かにこれは、自分の意思で動かすことのできる手で、いままであのように稲妻を発するという異常な事態も起こらなかった。そんな魔術のようなことを行えるのなら、アキは最早普通の人間ではないということになってしまう。

「本当に、あれはなんだったんだろう……」

 思考の海に沈んでいたアキは、不意に聞こえた声に意識を取り戻した。言い争いをしているような声が、奥の部屋から漏れ聞こえてくる。

 この声は、もしかしてラース?

 聞き覚えのある声に、アキは足を止め、扉に近づく。盗み聞きをするようなことはいけないと思いつつ、諍いが起こっているのなら、場合によっては止めに入った方がいいだろうかと思案していたアキは、一際大きく聞こえた声に、びくりと身体を揺らした。

「貴方が、陛下に毒を盛ったのですね」

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