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好きの返事は、翌日になります  作者: 白川 透


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8/20

瀬尾さんを照れさせる会

数えてみた。


配置図のあとの翌朝は机に突っ伏した。髪を切った翌日は「はい」で黙らされて、雨の翌朝は階段の手すりを握ったまま動けなかった。


ほかにも細かいものがいくつもある。七センチとか、手袋の片方とか、話しやすいとか。


つまり私はこの一か月で何度も照れさせられている。


そして瀬尾さんは一度も照れていない。


真顔か、小さく笑うか、口元をゆるめるか。そのくらいだ。こっちが図面を握りしめている間、向こうは平然と傘を干している。


これは不公平だと思う。


仕事の打ち合わせなら、私は相手の反応を見て段取りを組める。来場者の流れも、出店者の機嫌も、だいたい読める。読めないのはあの人の照れたところだけで、それはつまり、まだ見たことがないということだ。


見たことがないなら、見ればいい。


月曜の朝、パソコンを立ち上げながら、私は心の中で会を発足させた。


瀬尾さんを照れさせる会。会員一名。会長も一名。活動内容、瀬尾さんを照れさせること。活動場所、二人きりのとき限定。人前で困らせるのは趣味が悪いので、それは会則で禁止にした。


会則を作っている時点で、何かがおかしいことには気づいていた。気づいていたけれど、気づかないふりをした。


---


第一回活動は火曜の午後だった。


一階のカフェで休憩を取っていたら、瀬尾さんが入ってきた。いつものブラック。いつもの作業着。ただ、今日は作業着の下に紺色のニットを着ていた。襟元から少しだけ見えている。


好機だった。


「瀬尾さん、そのニット似合いますね」


言った。言えた。髪を切ったときの私とは違う。今日の私は攻める側だ。


瀬尾さんはカップを受け取りながら、自分の襟元を見下ろした。


「ありがとうございます。寒くなってきたので」

「色がいいです。作業着の色と合ってて」

「そうですか」


瀬尾さんは少しだけ嬉しそうな顔をした。


それだけだった。


赤くならない。目もそらさない。窓のほうも見ない。ただ嬉しそうにカップを持って、「高瀬さんも今日は温かそうですね」と言った。


私のカーディガンを見て。


「……ありがとうございます」


褒められたわけではない。私の服まで見ていた、というだけだ。それだけで、攻めたはずの私がカーディガンの袖を引っぱっている。


第一回活動、失敗。


---


第二回活動は水曜だった。


作戦を変えた。服装は向こうも慣れている。ならば仕事だ。職人は仕事を褒められると弱いはずだ。たぶん。


夕方、二階で家具の最終確認をしていた瀬尾さんに、私は資料を抱えたまま声をかけた。


「瀬尾さんの家具って、角が全部丸いですよね」

「はい」

「触っても痛くない。子どもがぶつかっても大丈夫なように、ですよね。そういうところ、すごく好きです。使う人のことを最後まで考えてる」


言いながら、自分で少し照れそうになった。でも本当のことだ。本当のことを言っているのだから、照れる必要はない。照れるべきなのは向こうだ。


瀬尾さんは「はなしごえ」の背もたれの角に指を当てた。


「ありがとうございます。そこまで触ってもらえると」

「触りますよ。気になるので」

「はい。嬉しいです」


嬉しいです、と言った。はっきりと。笑って。


赤くはならなかった。


それどころか瀬尾さんは角の丸め方の話を始めた。半径が何ミリで、どの道具で、何回やすりをかけるか。楽しそうだった。目がきらきらしている。木の話になると早口になるのは、前にも見た。


私は資料を抱えたまま、それを聞いていた。聞きながら、気づいたら笑っていた。


楽しそうに話している人を見るのは、こんなに楽しいのか。


第二回活動、失敗。ただし、会長は満足していた。会の目的を見失いかけていることに、会長はまだ気づいていない。


---


第三回活動は予定になかった。


木曜の夕方、二階の窓際の椅子で、菜月さんから預かった書類を読んでいた。そこへ瀬尾さんが上がってきた。追加の二脚が予定より早く仕上がったので、明日運び込みたいという。


確認は三分で終わった。


瀬尾さんは帰りかけて、窓の外を見た。日が落ちる前の、オレンジ色の空だった。


「きれいですね」

「きれいですね」


同じことを言った。それがおかしかったのか、瀬尾さんが笑った。


いつもの小さい笑い方ではなかった。声が少しだけ出て、目尻が下がって、顔全体がほどけていく。夕日がそれを横から照らしていた。


それを見た瞬間、会のことは頭から消えていた。


「瀬尾さんの笑顔、好きです」


口から出ていた。


作戦ではなかった。会則にも活動計画にもない。見たものをそのまま言っただけだった。


瀬尾さんの笑顔が止まった。


止まって、それから。


耳が赤くなった。


耳から首筋へ、首筋から頬へ。


瀬尾さんは何か言おうとして、口を開けて、閉じた。窓のほうを見て、それから床を見る。


あの瀬尾さんが、赤くなっている。


勝った、と思った。


思った次の瞬間、自分の顔も熱いことに気づいた。


「……照れさせ作戦、成功です」


とっさに出たのはそれだった。冗談の形にして二人のあいだに置く。置かないと、この熱さの置き場所がなかった。


瀬尾さんは顔を上げた。まだ赤かった。


「作戦だったんですか」

「作戦です。会もあります。瀬尾さんを照れさせる会」

「会」

「会員一名です」


瀬尾さんは赤い顔のまま、ふっと息を吐いて笑った。


「それは、困ります」

「困ってください。会の目的なので」

「明日、椅子を運びます」

「はい。お待ちしてます」


それだけ言って、瀬尾さんは階段を降りていった。いつもより少し速い足音だった。


---


一人になった二階で、私は窓際の椅子に座り直した。


勝った。初めて勝った。会の悲願達成だ。


達成したのだから、もっと嬉しいはずだった。


さっきの言葉を、頭の中でもう一度再生してみた。


瀬尾さんの笑顔、好きです。


好きです、と言った。


笑顔が、とつけたけれど。どうしてそこに「笑顔が」をつけたのか、自分でもうまく説明できない。つけなかったら何になっていたのかは、もっと説明できない。


膝の上の書類がいつの間にか皺になっていた。握っていたらしい。窓の外のオレンジはもう紺色に変わりかけていて、ガラスに映った自分の顔が見えた。


赤かった。


夕日はもう沈んでいた。だから、これは夕日のせいではない。


会長は書類を膝に置いたまま、しばらく動けなかった。会の次の活動計画は、まだ何も考えていない。考えられる気がしなかった。


笑顔が好きなのは、本当だった。


その「本当」がどこまで続いているのかは、今はまだ確かめないでおくことにした。

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