これはデートですよね?
日曜の朝、ベッドの上に服が四組並んでいた。
紺のワンピース。灰色のニットと細身のパンツ。白いブラウスと長めのスカート。それから、いつもの通勤着。
最後のは並べた時点で自分でも何をしているのかと思った。でも、もし今日がただの休日の外出なら、気合いを入れすぎた格好で行くのは恥ずかしい。もし違うなら、通勤着で行くのはもっと恥ずかしい。
問題はどちらなのか私がまだ確かめていないことだった。
手帳の日曜の欄には「古道具市」とだけ書いてある。その横は空いたままだ。
窓の外を見る。晴れていて、風は冷たそうだった。神社の境内は砂利だから、靴は歩きやすいほうがいい。古道具を見るならしゃがむこともある。そうやって実務的に考えていくと、紺のワンピースが一番に消えた。通勤着も消した。仕事の日の服で行けば、仕事の日の顔になってしまう。
残ったのは灰色のニットと長めのスカートの組み合わせだった。靴は白いスニーカーにした。
最後に鏡の前で、横の髪を耳にかけた。かけると仕事のときの顔になる、と前に言われたことを思い出して、下ろした。
今日は下ろしておく。それだけ決めて家を出た。
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待ち合わせは神社の鳥居の前、十時だった。
五分前に着くと、瀬尾さんはもう来ていた。
最初は瀬尾さんだとわからなかった。鳥居の脇に背の高い人が立っていて、生成りのセーターに濃い灰色のコートを着ている。首には紺のマフラー。作業着でも、エプロンでもない。手に鉛筆も持っていない。
その人がこちらを向いて、小さく頭を下げた。
瀬尾さんだった。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を返したのに、そのあとの言葉が出てこなかった。私は立ったまま瀬尾さんを見ていた。セーターの袖口から手首が少しだけ出ている。木くずがひとつもついていない。
「変ですか」
瀬尾さんが自分のコートを見下ろした。
「変じゃないです。作業着じゃない瀬尾さんを、初めて見たので」
「僕も作業着じゃない日は少ないです」
「そうなんですか」
「休みの日もだいたい工房にいるので」
それは休みの日と言えるのだろうか。言おうとしたら、瀬尾さんが私の顔の横あたりを見た。
「今日は、髪を下ろしていますね」
「はい」
それだけだった。瀬尾さんは鳥居のほうへ歩き出した。
続きを待ってしまった自分がいる。下ろしていますね、の続き。雰囲気が変わりますね、とか。仕事の顔じゃないですね、とか。でも何も来ない。
もしかして、また翌日に届くのだろうか。今は連絡先があるから、今度は朝のメッセージで。
そう思ったら少し笑ってしまって、瀬尾さんが振り返った。
「どうかしましたか」
「なんでもないです。行きましょう」
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境内には三十くらいの店が並んでいた。
ござの上に古い食器が積んであったり、木箱に錆びた鍵がまとめて入っていたりする。どれも誰かが使っていたものだ。値札がついていないものも多い。
瀬尾さんは三軒目で止まった。
古い大工道具の店だった。鉋が十本ほど並んでいて、刃の出た台の木が飴色になっている。瀬尾さんはしゃがんで、その一本を手に取った。
「これ、台が樫です。ずいぶん使い込まれていますね。ほら、ここ」
指で示されたところを覗き込む。台の側面に、親指の形にへこんだ跡があった。
「持っていた人の指の跡です。何十年も同じところを持つと、こうなります」
「何十年も」
「たぶん、この人は左手でここを押さえていた。だから右側のほうがきれいに残っていて」
そこから先は半分くらいわからなかった。刃の角度の話と、台の反りの話と、昔の職人がどうやって刃を研いでいたかの話。瀬尾さんの声はいつもより少し速くて、手は鉋から離れなかった。
わからないのに、私はずっと聞いていた。
この人は木の向こうにいる人のことを話している。一度も会ったことのない人の、指の跡のことを。
店の人に「お兄さん、詳しいね」と言われて、瀬尾さんはやっと我に返ったように立ち上がった。
「すみません。長くなりました」
「いえ。面白かったです」
本当だった。鉋のことはほとんど覚えていないけれど、話している瀬尾さんの顔は覚えている。
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それを見つけたのは私のほうだった。
奥の店の木箱の中に、手のひらにのるくらいの小さな椅子があった。背もたれがあって、脚が四本あって、座面には細かい木目まで出ている。ちゃんとした椅子を、そのまま小さくしたみたいだった。
「瀬尾さん、これ」
瀬尾さんが覗き込んで、少しだけ目を見開いた。
「見本椅子ですね。昔、家具屋がお客さんに形を見せるために作ったものです。本物と同じ組み方をしています」
「本物と同じなんですか。この大きさで」
「はい。だから、作るのが一番難しい」
瀬尾さんは小さな椅子を手のひらにのせて、裏を見たり、脚の付け根を見たりしていた。大事そうだった。
「この子、名前つけてもいいですか」
「どうぞ」
「……おるすばん」
「おるすばん」
「棚の上で、ずっと誰かが座りに来るのを待ってそうなので」
瀬尾さんは手のひらの椅子を見て、それから私を見た。
「僕もつけていいですか」
「どうぞ」
「小さい椅子、一号」
私は吹き出した。
「一号って、二号がいるんですか」
「いるかもしれません」
「そのままじゃないですか」
「そのままが一番伝わると、高瀬さんが」
「言いましたけど。それは醤油差しの話です」
自分で言ったことを、そのまま返された。二人で笑っていたら、店のおじいさんまで笑っていた。
瀬尾さんはその椅子を買った。工房の棚に置くそうだ。
「名前は、おるすばんにします」
「一号はいいんですか」
「一号は二号が見つかってからにします」
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境内の端の甘酒の店で、紙コップを二つもらった。
石のベンチに並んで座る。甘酒は熱くて甘くて、私は両手でコップを包んだ。隣で瀬尾さんも同じようにしている。ブラック派の人が甘酒を飲んでいる。それだけで少し可笑しい。
聞くなら今だと思った。
「瀬尾さん。一つ、確認してもいいですか」
「はい」
「今日のこれは、休日の外出ですよね」
「外出です」
そこで終わらせればよかったのに、口が勝手に続けた。
「その、目的は」
瀬尾さんは紙コップを持ったまま少し考えた。
「古道具を見ることと」
そこで止まった。言葉を選び直している顔だった。前にも見た顔だ。
「高瀬さんと、一日いることです」
私は甘酒を一口飲んだ。熱かった。熱くて、何の味もしなかった。
「それって」
その先が言えなかった。打ち合わせなら、いくらでも確認できるのに。
瀬尾さんが紙コップをベンチに置いた。
「デートのつもりで誘いました。最初から」
境内の砂利を踏む音がすぐそばを通り過ぎていった。
「高瀬さんは、違いましたか」
「違わないです」
今度は、すぐに言えた。
「違わないです。ただ、その言葉が手帳に書けなくて」
「手帳に」
「日曜の欄に、古道具市としか書けなかったんです」
瀬尾さんは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「僕も書いていません。工房の予定表に、休み、とだけ」
「お互い様ですね」
「お互い様です」
甘酒が少し冷めて、ようやく甘いとわかった。
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その夜、家に帰って手帳を開いた。
日曜の欄の「古道具市」の横に、ペンを置く。今朝はここで止まった。今は止まらなかった。
デート。
書いてから、やっぱり自分で読んでしまった。読んで、手帳を閉じて、ベッドに倒れた。
隣に、今朝並べた服が三組まだ残っている。紺のワンピースは次に着ればいい。
次は、私から誘おう。
そう思った途端、行き先と時間と待ち合わせの場所を頭の中で並べはじめていた。
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