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好きの返事は、翌日になります  作者: 白川 透


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11/20

これはデートですよね?

 日曜の朝、ベッドの上に服が四組並んでいた。


 紺のワンピース。灰色のニットと細身のパンツ。白いブラウスと長めのスカート。それから、いつもの通勤着。


 最後のは並べた時点で自分でも何をしているのかと思った。でも、もし今日がただの休日の外出なら、気合いを入れすぎた格好で行くのは恥ずかしい。もし違うなら、通勤着で行くのはもっと恥ずかしい。


 問題はどちらなのか私がまだ確かめていないことだった。


 手帳の日曜の欄には「古道具市」とだけ書いてある。その横は空いたままだ。


 窓の外を見る。晴れていて、風は冷たそうだった。神社の境内は砂利だから、靴は歩きやすいほうがいい。古道具を見るならしゃがむこともある。そうやって実務的に考えていくと、紺のワンピースが一番に消えた。通勤着も消した。仕事の日の服で行けば、仕事の日の顔になってしまう。


 残ったのは灰色のニットと長めのスカートの組み合わせだった。靴は白いスニーカーにした。


 最後に鏡の前で、横の髪を耳にかけた。かけると仕事のときの顔になる、と前に言われたことを思い出して、下ろした。


 今日は下ろしておく。それだけ決めて家を出た。


---


 待ち合わせは神社の鳥居の前、十時だった。


 五分前に着くと、瀬尾さんはもう来ていた。


 最初は瀬尾さんだとわからなかった。鳥居の脇に背の高い人が立っていて、生成りのセーターに濃い灰色のコートを着ている。首には紺のマフラー。作業着でも、エプロンでもない。手に鉛筆も持っていない。


 その人がこちらを向いて、小さく頭を下げた。


 瀬尾さんだった。


「おはようございます」

「おはようございます」


 挨拶を返したのに、そのあとの言葉が出てこなかった。私は立ったまま瀬尾さんを見ていた。セーターの袖口から手首が少しだけ出ている。木くずがひとつもついていない。


「変ですか」


 瀬尾さんが自分のコートを見下ろした。


「変じゃないです。作業着じゃない瀬尾さんを、初めて見たので」

「僕も作業着じゃない日は少ないです」

「そうなんですか」

「休みの日もだいたい工房にいるので」


 それは休みの日と言えるのだろうか。言おうとしたら、瀬尾さんが私の顔の横あたりを見た。


「今日は、髪を下ろしていますね」

「はい」


 それだけだった。瀬尾さんは鳥居のほうへ歩き出した。


 続きを待ってしまった自分がいる。下ろしていますね、の続き。雰囲気が変わりますね、とか。仕事の顔じゃないですね、とか。でも何も来ない。


 もしかして、また翌日に届くのだろうか。今は連絡先があるから、今度は朝のメッセージで。


 そう思ったら少し笑ってしまって、瀬尾さんが振り返った。


「どうかしましたか」

「なんでもないです。行きましょう」


---


 境内には三十くらいの店が並んでいた。


 ござの上に古い食器が積んであったり、木箱に錆びた鍵がまとめて入っていたりする。どれも誰かが使っていたものだ。値札がついていないものも多い。


 瀬尾さんは三軒目で止まった。


 古い大工道具の店だった。鉋が十本ほど並んでいて、刃の出た台の木が飴色になっている。瀬尾さんはしゃがんで、その一本を手に取った。


「これ、台が樫です。ずいぶん使い込まれていますね。ほら、ここ」


 指で示されたところを覗き込む。台の側面に、親指の形にへこんだ跡があった。


「持っていた人の指の跡です。何十年も同じところを持つと、こうなります」

「何十年も」

「たぶん、この人は左手でここを押さえていた。だから右側のほうがきれいに残っていて」


 そこから先は半分くらいわからなかった。刃の角度の話と、台の反りの話と、昔の職人がどうやって刃を研いでいたかの話。瀬尾さんの声はいつもより少し速くて、手は鉋から離れなかった。


 わからないのに、私はずっと聞いていた。


 この人は木の向こうにいる人のことを話している。一度も会ったことのない人の、指の跡のことを。


 店の人に「お兄さん、詳しいね」と言われて、瀬尾さんはやっと我に返ったように立ち上がった。


「すみません。長くなりました」

「いえ。面白かったです」


 本当だった。鉋のことはほとんど覚えていないけれど、話している瀬尾さんの顔は覚えている。


---


 それを見つけたのは私のほうだった。


 奥の店の木箱の中に、手のひらにのるくらいの小さな椅子があった。背もたれがあって、脚が四本あって、座面には細かい木目まで出ている。ちゃんとした椅子を、そのまま小さくしたみたいだった。


「瀬尾さん、これ」


 瀬尾さんが覗き込んで、少しだけ目を見開いた。


「見本椅子ですね。昔、家具屋がお客さんに形を見せるために作ったものです。本物と同じ組み方をしています」

「本物と同じなんですか。この大きさで」

「はい。だから、作るのが一番難しい」


 瀬尾さんは小さな椅子を手のひらにのせて、裏を見たり、脚の付け根を見たりしていた。大事そうだった。


「この子、名前つけてもいいですか」

「どうぞ」

「……おるすばん」

「おるすばん」

「棚の上で、ずっと誰かが座りに来るのを待ってそうなので」


 瀬尾さんは手のひらの椅子を見て、それから私を見た。


「僕もつけていいですか」

「どうぞ」

「小さい椅子、一号」


 私は吹き出した。


「一号って、二号がいるんですか」

「いるかもしれません」

「そのままじゃないですか」

「そのままが一番伝わると、高瀬さんが」

「言いましたけど。それは醤油差しの話です」


 自分で言ったことを、そのまま返された。二人で笑っていたら、店のおじいさんまで笑っていた。


 瀬尾さんはその椅子を買った。工房の棚に置くそうだ。


「名前は、おるすばんにします」

「一号はいいんですか」

「一号は二号が見つかってからにします」


---


 境内の端の甘酒の店で、紙コップを二つもらった。


 石のベンチに並んで座る。甘酒は熱くて甘くて、私は両手でコップを包んだ。隣で瀬尾さんも同じようにしている。ブラック派の人が甘酒を飲んでいる。それだけで少し可笑しい。


 聞くなら今だと思った。


「瀬尾さん。一つ、確認してもいいですか」

「はい」

「今日のこれは、休日の外出ですよね」

「外出です」


 そこで終わらせればよかったのに、口が勝手に続けた。


「その、目的は」


 瀬尾さんは紙コップを持ったまま少し考えた。


「古道具を見ることと」


 そこで止まった。言葉を選び直している顔だった。前にも見た顔だ。


「高瀬さんと、一日いることです」


 私は甘酒を一口飲んだ。熱かった。熱くて、何の味もしなかった。


「それって」


 その先が言えなかった。打ち合わせなら、いくらでも確認できるのに。


 瀬尾さんが紙コップをベンチに置いた。


「デートのつもりで誘いました。最初から」


 境内の砂利を踏む音がすぐそばを通り過ぎていった。


「高瀬さんは、違いましたか」

「違わないです」


 今度は、すぐに言えた。


「違わないです。ただ、その言葉が手帳に書けなくて」

「手帳に」

「日曜の欄に、古道具市としか書けなかったんです」


 瀬尾さんは少し驚いた顔をして、それから笑った。


「僕も書いていません。工房の予定表に、休み、とだけ」

「お互い様ですね」

「お互い様です」


 甘酒が少し冷めて、ようやく甘いとわかった。


---


 その夜、家に帰って手帳を開いた。


 日曜の欄の「古道具市」の横に、ペンを置く。今朝はここで止まった。今は止まらなかった。


 デート。


 書いてから、やっぱり自分で読んでしまった。読んで、手帳を閉じて、ベッドに倒れた。


 隣に、今朝並べた服が三組まだ残っている。紺のワンピースは次に着ればいい。


 次は、私から誘おう。


 そう思った途端、行き先と時間と待ち合わせの場所を頭の中で並べはじめていた。

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