四、時を超えた想いを
* * *
「百年に一度、咲く花?」
照りつける日差しもピークに達し、お盆を過ぎたころ、何気なくテレビを見ているときに、目と耳に入ったものだ。
百年に一度咲く花というものがあり、私の家の近くの停留所から、バスに乗って行ける植物園にそれがあるらしい。見たことのある風景がテレビに映って、少し興奮してしまった。
昔は植物園など見向きもしなかったが、修次郎おじいさんと出会ってからは、花の美しさや素晴らしさを知り、少しずつ興味を持つようになっていた。だからこのようなニュースを見ると、ついつい視線がいってしまうのだ。
「早くしないと枯れちゃう。修次郎おじいさんや雅幸さんは見に行くのかな?」
花が好きな二人のことだ、おそらく聞かずとも行くだろう。
修次郎おじいさんは、夏の始めに熱中症で入院したが、お見舞いに行った一週間後に無事に退院できた。しばらく自宅療養となったが、退院してから一週間後に私の家に花束が届けられたのだ、ちょうど両親の結婚記念日に。
雅幸さんが届けてくれたのだが、修次郎おじいさんからの好意であるから代金はいらないと言われた。まさか花束まで、あの体で作ってもらったのかと一瞬焦ったが、花を選んだだけで、あとは雅幸さんがやってくれたらしい。ほっとしたのと同時に、意外にも綺麗な包み方に対して、目を丸くしてしまう。
「僕が作った花束を受け取るのは初めてだからって、そんなに驚かないでよ。一応、休日は僕が切り盛りしているんだから」
そんなことを苦笑いしながら言われたものだ。
やはりヒマワリを中心とした、明るい色でまとめられた花束は、修次郎おじいさんの気遣いと、雅幸さんの丁寧さが感じられる品であった。それを受け取った私はもちろんのこと、両親も非常に喜んでいた。
明日の授業は午前中で終わる。夕方には花屋に顔を出せるだろう。まずは話のネタとして、百年に一度咲くと言われる花を少し調べてみることにした。
翌日、店を訪れると、雅幸さんがちょうど花に水をやっている時であった。修次郎おじいさんは、店内で注文の品である大きな花束を作っている。
「こんにちは、雅幸さん。今日はお二人で、お店に出ているんですか?」
「咲季ちゃん、こんにちは。今、おじいちゃんが花束を作っているだろう。それを宅配するために駆り出されたのさ。普通なら僕は休み」
花屋の近くには雅幸さんの車ではなく、店用のワゴン車が置かれていた。傷も多く、年季が入っている。やがて一通り水をやり終える頃には、花束の方もできあがっていた。
何気なく店内に目をやると、注文表が貼ってあるホワイトボードの隅に新聞の切り抜きも貼られている。そこには昨日ニュースで見た、百年に一度咲くと言われている花のことについてだった。
「あの花は……」
「知っているの?」
雅幸さんに少し驚かれたような顔をされる。
「昨日、ニュースで見たんです。珍しい花ですよね、しかもこの近くの植物園だなんて」
「見たいの?」
突然出された言葉にびっくりし、目を瞬かせる。花が好きだから、というわけではなく、興味程度に気になっているだけだ。
「明日暇なら、一緒に行く?」
そんな思惑をよそに、雅幸さんは提案を差し出された。自力で行くには少し行きにくいところにあるので、車を持っている人から言われて、思わずその内容に飛びつく。
「いいんですか?」
「うん。おじいちゃんも喜ぶと思う。ずっと待っていたんだって、咲くのを。それを大勢で楽しんで見た方がいいじゃないか」
断る理由などない。私は嬉しそうに首を縦に振った。
明日の天気は確か晴れである。きっと思い出に残る、素敵な日になるだろう。
翌日、車で三十分ほど離れたところにある、植物園へと辿り着いた。平日ではあるが、学生が夏休みであるため、園内を見れば比較的人が歩いている。売り場のおじさんが、にこにこした顔でチケットを手渡してくれた。
「いやあ、ニュースまでやってくれたから、有難いことに、今週は人がさらに入っているよ」
「そのニュース、私も見ました。百年に一度、咲く花ですよね?」
「百年に一度は極端すぎだが、珍しい花には変わりないね。熱帯植物の温室にあるから、他のもじっくり見つつ、行ってみるといい」
チケットを受け取ると、ベンチで座っている修次郎おじいさんと雅幸さんの元へと駆け寄った。老体にはこの暑さはよりきついため、風通しのいい服を着て、チェックの帽子はしっかり被っているが、それでも辛そうに見える。
「おじいちゃん、歩ける?」
「何を馬鹿なことを言っている。まだまだ歩けるさ。さて、行くぞ」
念のためにと杖も持っていたが、それを使わずにひょいひょいと歩き始める。その身軽さに二人は思わず目を見張った。少し進んだところで振り返られ、何をぼうっと立っているのだという無言の視線を突き付けられる。大急ぎで後を追い、三人で並んで歩き始めた。
温室までは屋外の整えられた道を進む。樹木が上手い具合に木陰となっており、直鎖日光を遮っているので歩きやすい。樹木の脇にその名前が書かれた看板が立っているが、見ても知らないものが多すぎる。店で売られている有名な花や一般的に知られている樹木くらいしか知らないため、植物園などという専門的な分野になるとわからないものだ。
一方、雅幸さんは楽しそうにそれらを眺めつつ、道が何か所か分かれているのに、特に躊躇いもなく温室へと直行していた。
「雅幸さん、ここに来たことがあるのですか?」
「まあね。植物を対象に研究をしているから、こういうのには興味はある。それに昔授業で、木の名前を憶えさせられたからね。おじいちゃんは、初めてだっけ?」
二人に挟まれながら歩く、実年齢よりも若く見えるおじいさんに話しかける。すると目を細めながら、ゆっくりと口を開いた。
「雅幸が産まれるずっと前、ここが開いたばかりの頃に来たことがある」
懐かしんでいるのと同時に、少し哀愁が漂っている顔だ。その表情から、理由を聞かずとも薄々と察することができた。ある人の話を出した時と同じ表情だから。
会話が途切れ、開けた場所に出ると、目の前に温室らしき建物が視界に入ってきた。ドアを開けると、熱気が中から外へと流れていく。熱帯植物を扱っている温室の中は、当たり前だが外の蒸し暑さ以上に暑い。
熱帯と言えばサボテンだと言わんばかりに、まずは大小様々なサボテンが出迎える。面白い形もあるのだなと思いつつ、中に入っていくと、人々で賑わっている場所に出た。
少し距離があるが、それでもその花――リュウゼツランは充分確認できた。近くに寄って、その姿をよりはっきりと記憶に残す。
非常に背は高く、数メートルもあり、近くに寄っているため、顔を上げてかなり傾斜を付けなければ一番上にある花までは見えない。茎は途中からいくつも分かれて上に伸びており、ある程度に伸びきったところで大量の黄色い花が咲いていた。その花はまるで鳥の巣のようであり、思わず羽休めに使えそうな大きさである。
周りの見学者がカメラで撮っているのを見て思いだし、私も鞄からカメラを取りだし、シャッターに納めた。
「リュウゼツランは百年に一度咲く花と言われているけど、それは大げさすぎる表現で、実際は数十年に一度は咲く花だよ」
すっかり百年に一度と思いこんでいた私は頬を微かに赤らめながら、シャッターを押しまくる指を動かすのをやめた。
「でも、珍しいのには変わりないから、どんどん撮ってもいいと思う」
「あの、可哀想と思って、わざわざ付け足さないで下さい」
「そういうわけじゃない。写真を撮るのは自由だし、撮ろうと思ったときに撮らないと後悔するよ。それにこれでこの花自身の一生は終わりだから、もう同じものは見られない」
「そうですか、そこまで言うのなら遠慮なく撮らせて頂きます」
すでに数枚撮ったが、そこまで促されて撮らないのは逆に失礼すぎるかと思い、カメラを持ち上げてシャッターを再び押す。
「――センチュリープラントと呼ばれるこの花。きっとこういう風に呼んだ人は、生きている間には咲かないと思っていた花が咲いて嬉しかったから、思わず呼んだのだろうね」
「見た目はちょっとびっくりしましたけど、色々な想いで溢れている花なんですね。そうだ、良かったら一緒に写真を撮りません? 私たちがこの花と同じ時を過ごしていた貴重な証拠ですよ」
「それはいいね。おじいちゃん、写真撮ろうか」
雅幸さんが少し離れたところで眺めている、修次郎おじいさんに話しかけた。だが気づかなかったようで、動かずにそのまま見上げている。何度か呼びかけるとようやく気づき、ゆっくりした足取りで近づいてきた。
「何か用か?」
「咲季ちゃんがカメラを持っているから、一緒に撮らないかって」
「こんな老いぼれと一緒に、か?」
「みんなで撮ることに意味があるんだよ。さあ、ちょうど人も少ないし、並ぼう」
私は近くにいた子連れのお父さんに撮ってもらうよう頼むと、快く承諾してくれた。
修次郎おじいさんを真ん中に、私と雅幸さんで挟むようにして並ぶ。そして少し控えめに笑みを浮かべた。
「ハイ、チーズ!」
元気な声と共に、シャッターが押された。
きっと素敵な記念写真として、私や二人のアルバムの中に残り続けるだろう。
その後もゆっくりと園内を散策しつつ、途中でのんびり休憩もしていたら、気が付けば太陽の位置がだいぶ低くなっていた。
そろそろ帰宅をしようという流れになり、植物園から出ようとしたとき、少し後ろを歩いていた修次郎おじさんが雅幸さんに向かって、口を開いた。
「雅幸、少し寄って欲しいところがあるんだが」
「どこだい?」
「ばあさんが眠る寺だ」
はっきりと言い切ったおじいさんの表情は、何かを決心したように見える。しかしなぜ今日行きたいのだろうか。先週はお盆であり、おそらくそのときにも訪れたはずだ。
「別に構わないけど、お線香とか車に積んでいないよ?」
「花だけで構わない。ここ一週間は雨が降っていないから、おそらく花もくたびれている頃だろう」
「店の花?」
「そうだな。少し遠回りになるがそれが一番有り難い」
「それなら一緒にお線香も持ってこようか」
肩をすくめながら、雅幸さんはおじいさんの意見に賛同したようだ。そして、ちらっと視線が向かれると、何か言いたそうな顔をされた。一瞬、その状況がよくわからなかったが、すぐにその意図がわかった。
「時間ももったいないでしょう。一緒に行っても構わないなら、私も付いていきます」
今日は最後まで修次郎おじいさんといるべきだと、脳内のどこかでそういう指令が下る。
修二郎おじいさんに少し驚かれたような顔をされたが、やがて優しい笑みへと変わった。
夕暮れ時の墓参りなど、ほとんどしたことはない。産まれて間もなくして、おばあちゃんが亡くなった関係で、今でも田舎に行けば墓参りはするが、たいていは昼だ。
少し肌寒くなってきたなと感じながら、墓地へと踏み入れる。
修次郎おじいさんの奥さん、つまり雅幸さんのおばあさんが眠るお墓は、寺の敷地の奥にあった。敷地を広げた早々に作ったのか、周りにはまだ墓石で埋まっていない場所がちらほらある。
さすがに疲れたのだろう、修次郎おじいさんの足下が不安定になり始めていた。昼間は飾りであったはずの杖を、今は突きながら進んでいる。
お墓の前に着くと指摘していた通り、花が入った水は干からびており、花自体も萎れていた。その花を取り去り、桶に入れた水を流し入れる。そして店から持ってきた、夏らしい暖色系の花を差し込んだ。花を変えただけだが、それだけで一気に華やかになったように思える。
お線香に火を付け、始めに修次郎おじいさんから備える。そして目を閉じ、長い間合掌をした。仲が良かったと言われている二人、長い時間を使って報告をしたいことがあるのだろう。
そしてしばらくしてから合掌をやめて顔を上げると、その表情はどこか満足そうであった。
続けて雅幸さんと私がお線香を供え、軽く周りを水で流す。そんな様子を穏やかな様子で修二郎おじいさんは眺めていた。
どうして今日、訪れたのかはわからなかったが、修二郎おじいさんが満足であるのなら、それでいいのだろう。無暗に人の過去を聞くものではない。一礼をしてから、お墓を後にした。
「……約束していたんだ」
車へと戻る途中、不意におじいさんが先頭をゆっくり進みながら呟いていた。
「ばあさんと植物園に行ったときに、咲くには何十年もかかるあの花を見た。そして約束をした、咲くときは一緒に見ようと。結局わしだけしか見られなかったが、ちゃんと報告したから、満足しているだろう」
雅幸さんはつい足を止めて、前を歩く老人の背中を凝視する。私も思わず歩くのを止めておじいさんを見ると、不思議に思っていた行動が繋がった気がした。
そうか、だからずっとリュウゼツランを話題に出したり、見ているときは寂しそうな顔をしていたのか。なぜなら、今は亡きおばあさんのことも思い出していたから。
一緒に見られなかったのは確かに残念だが、どちらかが見て、報告ができたのはまだ良かったのかもしれない。どちらも見られなかったりしたら、花は永遠に咲かない存在と認識してしまうかもしれないから。
赤い夕陽がおじいさんを赤々と照らしている。どこか別の場所へと旅立つのではないかと錯覚を覚えるほど、幻想的な一場面であった。
百年に一度咲くと言われている花を三人で見た後から、あまりの夏の暑さに疲れてしまったのだろう、それ以後修次郎おじいさんを店で見ることは少なくなっていた。




