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二、明日に導く道を

 * * *



 やがて〝おおさき花屋〟と出会ってから、四年近くが経過し、私は大学三年生になろうとしていた。その間にも幾度となく花を買いに行き、素敵な花束を作ってもらうだけでなく、時々おまけとして小さな花束を頂いたりとすっかり顔馴染みになっていた。

 店長の大崎修次郎おおさきしゅうじろうおじいさんは七十代半ばであり、歳を重ねるにつれて体力的にも衰えてきているため、あまり長時間店を開けていないが、表情はいつ会っても元気そうに見える。

 普段の店の開店状況としては、平日は修次郎おじいさんが頑張って半日程度開けており、休日は主に孫の雅幸まさゆきさんが店頭に出ていた。花についての研究をしている、私より二つ上の大学院生だ。昔から花が好きで、おおさき花屋によく遊びに来ていたらしく、修次郎おじいさんの花の選び方や切り方の癖などもほとんどわかっているらしい。

「おじいちゃんは、この花屋は老後の楽しみで始めたものだから、誰かに継がせる気はないと考えているらしい。ただ最後まで花に触れていたいから、生きている間は手伝ってくれたら有難いと言われて、手伝っているんだ」

 頼ってほしいという想いもあるのだろうか、少しだけ寂しそうな顔をしながら、そんな内容の話をしたこともある。当初は二人とも言葉数は多い方ではなかったため、会話は弾まなかったが、今では日常だけでなく、お互いの専門分野を聞きあったりしている仲にまでなっていた。



 雅幸さんと初めて面と向かって会ったのは、大学に入学が決まった時のことだった。入学式の前日に、彼がおじいさんの代わりに花束を宅配してくれたのだ。三月末にお母さんの誕生日があり、花束を贈るために花屋に訪れていたのだが、その時の会話の中で何気なく入学式のことを漏らしていた。それをおじいさんが覚えていたため、そのようなサプライズを実行してくれたらしい。

「花にはそれぞれ花言葉があって、この花束に入っているものはすべてそれを意識していれたと言っていた。とは言っても、人によって解釈は色々で、一種類の花でも何個も意味はあるけど。例えば、このピンク色のふわふわした、蝶みたいな感じの花はスイートピーと言って、〝門出〟という花言葉がある」

「門出。そうなんですか……」

 修二郎おじいさんの受け売りを雅幸さんは少し気恥ずかしそうに言いながら、様々な花で作り上げられた花束を渡してくれた。花言葉を踏まえて作ってくれるなど、おじいさんは思った以上にロマンチストなのかもしれない。

「綺麗な花束ですね。こういうのをプレゼントされるの、とても嬉しいです」

 花の匂いを嗅ぎながら、頬を緩ませる。卒業式の日に後輩たちからも貰ったが、それ以上に感慨深いものがある。

「おじいさんに、ありがとうございますとお伝え下さい」

 その花束を花瓶に生けると部屋全体が明るくなったような気がした。大学という新たな生活を迎えるに当たって不安もあったが、それを見ているだけで、少しは前向きに進めそうだった。



 それから二年経ち、この春休み、私の心の中は言葉で上手く表すことができない不安に覆われていた。

 春休みの予定はバイトにサークルに明け暮れるつもりであり、悩んでいる時間などない。そのはずだったが、ある日の友達との会話がきっかけで立ち止まってしまった。

「短期だけど、語学留学してくる。外国の文化に触れてみたいし」

「私も! こっちはただの旅行だけど、のんびり海外で時を過ごしてみたいんだ」

 その話を適当に相槌を打って返す。その話を聞かされたのが年末だったが、いつも一緒にいる友達が海外にそこまで視野を広げているとは思わなかった。

 他の人にも予定を聞いてみると、帰省する人はもちろんのこと、音楽系サークルの卒業公演や新歓の準備、はたまたインターンシップに出る人など、いつもの休み以上に充実している人ばかりである。

 何も考えずに、去年と同じような内容で過ごそうとしていた私にとっては、行動力のなさに痛感していた。

 大学ももう折り返し地点。将来のことなど何も考えずに、毎日授業や課題、サークルにバイトに時間を流していたのを、後悔し始めていた。

 今ならまだ戻ればいい、あの様々な希望とやる気で満ち溢れた、大学に入った当初に。

 そして、なぜここで勉強しようと思ったのかを思い出せばいい。

 だが、それをしてしまったら、二年間を否定するような気がしてならない。

 本音を言ってしまえば、怖かった。そのまま何も気が付かなかったことにして、毎日を淡々と過ごし、新年度を何となく迎えて、また皆と同じような忙しさで時を過ごしたい。だから、それまでは心の中に表れている感情を外に出さないために押し留めようとしていた。

 そんな三月の終わり、ぼんやりと駅の階段を上っている時にその人たちと出会った。それはまったくの偶然であるが、双方にとっては幸運な出来事でもあった。

 視線を下げて、足元を見ながら階段を上っていたが、ふと視線を上に向けると、チェックの帽子を被ったおじいさんが手すりを使いながら上っている。回り道をすればエスカレーターもあるのに、わざわざ上るとは意外に元気な人だ。

 その横を素通りしようとしたとき、不意におじいさんの体がよろめく。その後に起こることが瞬時に脳裏をよぎり、とっさに後ろから支えた。

 ほんの少し足がもたついただけであったので、それ以上状況は悪化しなかった。ほっと一安心し、息を吐き出す。

「すまないね、ありがとう」

 お礼を言いながら振り返ったおじいさんの顔を、私は正面から見る形になった。そこで二人とも目をぱちくりとする。

「おじいちゃん、こんなところにいた!」

 聞き覚えのある声に二人して振り向くと、焦ったような表情をしている青年が階段を駆け上ってくる。

「出かけるのはいいけど、もっと自分の年齢を考えて。何かあったら、救急車だけでは済まないんだよ!」

「すまん、雅幸。お前が忙しそうだったし、去年も一人で行けたから大丈夫だと思い」

「もう用は終わった。勝手に一人で行かれるのも困るんだよ。だから一緒に行こうか」

 苦笑して、近づいてくる青年は、既に顔を真正面から見ていたため、すぐに雅幸さんだと私はわかっていた。そしてこちらの老人は少し洒落た格好をしているため、後ろ姿だけではわからなかったが、顔を見るなり修二郎おじいさんだと判明していた。

 雅幸さんと視線が合うと、彼も目が点になっていた。ようやく気付いたらしい。

咲季さきちゃんじゃないか」

「こんにちは、雅幸さん、そして修二郎おじいさん」

 挨拶はしたが、しばらく意図的に店には訪れないようにしていたので、思わず視線は下がり気味になってしまう。だがそんな気持ちなど関係なく、爽やかな笑顔を向けてくれた。

「ありがとう、おじいちゃんを支えてくれて。目を離すと、一人でどこかに行ってしまう困った老人でね」

「実の祖父に対して、困った老人とは何事だ」

「現に危険な状態になっていたじゃないか」

 これ以上の追従は許さないと言わんばかりに、ぴしゃりと言い返す。階段の途中という中途半端なところで出会ったため、通行の妨げを回避するために、とりあえず上りきった。

「それで、どこに行くつもり?」

 しっかりとした足取りで駅の構内を歩き始める修二郎おじいさんの横から、雅幸さんは話しかける。成り行きで私も後ろを付いていた。

「数駅先にある公園だ。今が見ごろだから、是非とも行ってみようと思った」

「ああ、あの公園の桜並木ね。言ってくれれば車を出したのに。しょうがない、ここまで来たから電車で行こう」

 桜と聞いて、一瞬胸が高鳴った。毎年大学内の桜を散歩がてら見る程度で、その公園の桜はじっくりと見たことはない。近くなのだから勝手に行けばいいものだが、そこまで踏み出そうという気力はなかった。

 そして改札の前で立ち止まると、雅幸さんは体をこちらの方に向ける。

「咲季ちゃん、さっきは本当にありがとう。これから電車に乗って、桜の方を見に行くから、ここでお別れ。休日ならたいていは店を開けているから、また来てね」

「はい、ありがとうございます。それでは、また」

 そう言って、背を向けて改札とは逆側の方向に歩き出した。ほんの少し期待していた言葉があったが、それはかけられなかった。

 今日の予定は少し駅ビルをぶらつく程度、今、会ったのは、ただの偶然。それを無理に繋げなくてもいい、そう思った。

「咲季ちゃん、ちょっと待ちなさい」

 しわがれているが、有無を言わせない口調で呼び止められる。けれども、その言葉を出した本人は穏やかな表情をしていた。

「なんですか、修二郎おじいさん」

「時間はあるかい? もしあるのなら、気分転換にでも一緒に桜でも見に行かないか。この老いぼれと細かい男とで良ければ」

 雑踏の中だが、その言葉は確かに私の耳に入ってきた。微笑を浮かべながら誘ってくる様子。思いもよらない、おじいさんからの誘い。

 曇りきった心を突きぬいてきたような内容に、自然と首を縦に振っていた。


 電車を十分ほど乗り、ある駅に降りると、駅の構内から、造花の桜がところどころから飛び出していた。自然に飾り付けられており、既に心が明るくなるような光景だ。

 駅を出て、歩く人々の流れに乗りながら、その後を付いて行く。やがて隣にいた修二郎おじいさんに促されて、顔を上げると視線の中に大量の桜が飛び込んできた。

 予想以上の美しさに目を丸くし、思わず感嘆の声を漏らす。

「綺麗……」

 歩き続けると、少しずつ近づいてくる、のびのびと咲いている桜たち。

 ただ本数が多いだけの公園かと思ったが、それ以上に長年ここで咲き続けているのが売りらしい。その年月をかけた分だけ、様々な方角に向いて桜は咲いている。

 やがて桜並木をくぐりながら、ゆっくりと頭上に広がる、優しい色の桜を目で楽しむ。

 心の中が少しずつ洗われるような気がしてくる。自分自身の中で渦巻いていた後悔や苦しみが、なぜだが取り除かれて気分が楽になり、曇っていた心の中が明るくなってきた。

 これを人は癒されているというのだろうか。桜という、年に一度しか花開かない樹に対して。

 そして同時に感じるのが、何年も美しさを保ち続けて、咲き続けている存在感である。桜たちがどんな人生を歩んでいるかは知らないが、この瞬間に輝いているのは確かであった。

「たまには外に出て、色々な花を見るのもいいだろう。切り花ではどうしても限界がある。それに焦った時は、自然に触れるのが一番なものだよ」

「そうですね。こんなに大きく、美しいものはそう簡単に見られるものではありませんからね」

 風に吹かれると、桜の花びらが落ちてくる。それがまた絶景であり、いつしか私は顔をほころばせながら、舞い散る桜を心の底から楽しんで見ていた。

 それを修二郎おじいさんはにこにこしながら、花びらが作った道を歩いていた。




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