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一、親しき人に感謝を

 花と一緒に、あなたは何を贈りますか?




 しばらく雨を降らしていた雲がどこかに流れ去り、久々に太陽をこの目で見た日だった。

 その日の天気予報では、気温がだんだんと上昇し、五月初旬のこの季節にしては汗ばむような陽気になるだろうと言っていた。その予報はまさに当たり、私は自転車を漕ぎながら、燦々と輝く太陽に照らされ続けている。

 高校の部活が昼過ぎで終わり、友達と昼食を共にした後の帰り道。機嫌よく家に帰ろうとしたが、ある程度進んだところで、唐突にブレーキをかけた。

 たった今、思い出した。今日ある記念日の存在を。

 慌てて手帳を取り出し、今日が何の日かを確認し、そこに書かれているコメントを見て、自分の不甲斐なさに思わずうなだれた。

 小さい頃から毎年必ず何かをプレゼントをしていた、五月の第二日曜日。――すっかり母の日の存在を忘れていたのだ。

 すぐに自転車の進行方向を変えて、駅ビルへと向かおうとした。

 だが、その前に念のためにと財布を取り出し、中身を確認する。そして見た瞬間、顔をひきつらせた。お札が一枚も入っていないのである。小銭をかき集めても千円にも満たない。高校二年生の財布の中身としては、悲しすぎる状態だ。

 デパートに駆け込み、ハンカチやエプロンを値段も見ずにレジに持って行かなくて良かったと、胸をなで下ろした。

 これはどこかの花屋に行って、質より量の花束を作ってもらうしかないだろう。けれど、知っている花屋は駅近くにある少し高めなチェーン店のみ。あそこは可愛らしく、華やかな花束を作ってくれるが、このなけなしのお金で買えるものはたかが知れているだろう。

 それでもないよりはいいだろうと思い、駅に向けて自転車を走らせ始めた。

 この道から駅は行ったことがないため、ちょっとした探検になる。少し自転車を漕ぐ速度を落として、気分転換に周りの景色を見渡しながら進む。犬を飼っている家、小さな畑を作っている家、明るい色の屋根や瓦屋根など、どれも独自色が強い住宅街だと感じた。

 多少、車は通るが、一方通行の道のため、前方から来る車のみ注意していればいい。

 ふと鉢に植えられている花が視界に入ってきた。それは何鉢もあり、どれも綺麗な花が咲いている。赤色や紫色、オレンジ色の花など、知っている範囲ではマリーゴールドが植えられていた。

 その花たちにつられるように鉢で溢れる建物の前に自転車を止め、顔を上げると〝おおさき花屋〟と書いてある少し古びた看板が目に入った。そう私の目の前にあるのは、小さな花屋さんだったのだ。

 鉢が多数置いてある先にはガラスドアがあり、店内が透けて見えた。水を張ったバケツの中に、花束などに使う色とりどりの切り花が何本も入っている。

 そして真っ赤なカーネーションも入っており、それが私の目を引く。数本残っているのだ。

 思わずガラスドアに近寄って、中を覗き込む。数えてみると五本ほどある。財布の中身と相談すれば、全部とは言わなくても何本かは買えるだろう。

「どうかしましたか?」

 後ろから突然話しかけられて、飛び上がりそうになった。慌てて振り返ると、七十過ぎだろうか、少し背骨が曲がったおじいさんが立っていた。

「お客さん?」

 その問いに素直に頷く。すると背骨を真っ直ぐ伸ばしたかと思うと、嬉しそうにドアプレートを〝CLOSE〟から〝OPEN〟にして花屋のドアを開いた。

「そうか、そうか、どうぞゆっくり中を見て下され。小さなところだが、花の品質には気を配っていますので」

 そして近くにかかっていたエプロンを着ると、そこら辺で歩いているおじいさんから、あっという間に花屋の店員へと様変わりする。

 正直、ちょっと驚いていた。このおじいさんが花屋の店員であったとは。確かに店の外観は飾り気がない点から男性が店の者であるかもしれないと思っていた。いつも買っている駅前の花屋は、綺麗なお姉さんの店員が多かったため、その影響もあって感じたことだろう。

 私はおじいさんに促されながら、店の中に入った。中は狭く、切り花が入っているガラスケースが三分の一を占め、その脇に鉢が何個か置いてある。そして唯一ある机の上には透明なフィルムや柔らかな素材でできた様々な色の紙があった。床には切られた茎や葉が乱雑に落ちている。

「何か希望とかはあるのかい?」

 にこにこした表情でおじいさんは尋ねてくる。白髪で、顔もしわでいっぱいだが、表情から生き生きしているという印象を受けた。

「母の日用に花束を作って欲しいのですが……」

「それじゃあ、カーネーションだね。予算は?」

 おじいさんがガラスケースを開くと、そこにあったカーネーションをすべて取る。

 私は寂しすぎる財布の中身を思い浮かべた。お小遣いを貰う日まで、まだ一週間はあるが、この場はギリギリまで使い、その後はどうにかお金を使わない方向で頑張ろうと誓う。

「八百円くらいで、できますか? 値段以上に豪華な感じにして欲しいです」

「もちろん充分できる。少し待っていなさい」

 そう言うと、ガラスケースの中にある花を見定めて、カーネーションと色合い等を照らし合わせる。どれがカーネーションの魅力を引き立たせるか見ているようだ。

 何種類か合わせたが、結果的に黄色くて小さな花とカスミ草が、カーネーションを包み込むように取り入れられた。淡い色に囲まれているため、赤が映えてとても綺麗である。

 それを適切な長さに茎を切り揃えてまとめ、柔らかな素材の包装紙と透明なフィルムで包み、最後はリボンを巻いて完成だ。カーネーションが全部で五本の可愛らしい花束ができあがった。

「それじゃあ、お会計を」

 そう言われて、慌てて財布を取りだした。

「五百円でいいよ」

「え、この花束で、その値段?」

 予想外の値段に思わず反射的に返してしまう。記憶が定かではないが、カーネーション一本は最低でも百円以上した気がした。黄色い花まで入れられているのに、そのような値段なんて、安すぎるのではないだろうか。

 そんな私の心中を察したのか、おじいさんは微笑みながら花束を手渡した。いい香りがし、見ているだけで落ち着いてくる。

「せっかくの母の日だ、少しでも豪華な方がお母さんも喜ぶだろう。それに新鮮な花をなるべく早くお客様の手に渡った方が、花たちも嬉しいだろうさ」

 そう言われて改めて花に目を向けると、その花束はいつもより瑞々しく、美しく見えた。これを一刻も早く誰かに贈りたいという気持ちになる。

 おじいさんの好意を無駄にしてはいけないと思い、それ以上は何も言わずに、五百円玉を差し出した。

「ありがとうございます」

 お金を受け取られながら言われ、少し気恥ずかしくなった。それに対して気を紛らわすかのように、思わず別の話題を振ってみる。

「おじいさんは、ここでずっと花屋さんを?」

 一方通行ではあるが、車や人の往来は割とあり、存在していると便利な道である。だが、この場所で商売をしても、駅前の花屋の売上には到底敵わないはずだ。

「定年してから始めたから、十年から十五年くらい経ったはずだ」

「そんなに長くやっているのですか」

 通学路として近くの道を使っていたが、未だに知らなかったため、思わず驚きの声を出してしまう。

「住宅街の片隅で、往来も最近までは激しい場所ではなかったから、ひっそりとやっていた。だが最近は開発のおかげで、有難いことにお客さんが増えてね、孫に手伝ってもらわないと注文に間に合わない。今日も配達を頼んでいる」

 おじいさんが目を細めた先にあるのは、工事中のマンション。完成するのは来年の、ツインタワーマンションを建築している。駅から十分ほどのところにあり、ベットタウン化が進んだこの地域に、多くの人々が流入するようになったため建築を始めたらしい。

「そうですか。たくさんの人が買いに来て、良かったですね」

「少しでも多くの人が花を見て喜んでくれれば、これ以上に嬉しいことはない」

 うっすらと笑み浮かべながら呟かれる。その控えめな様子から、この花屋全体の雰囲気のようなものが察することができた。

 やがて花束を抱え、外に出て、自転車に乗り込んだ。

「ありがとうございました。また機会があれば是非来ますね」

「こちらこそ、ありがとう」

 おじいさんに見送られながら、私は家へ向かって自転車を漕ぎ始めた。少し走ったところで振り返ると、まだおじいさんは立っている。なんて客想いの人なのだろうかと思いながら、早くお母さんに花束を渡したいと思い、全速力で漕いで行った。

 その後、お母さんが素敵な花束だと喜んだのは言うまでもない。




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