ずっと見える町・前編
札幌市内の映像制作会社に勤める植松たちは、北海道中央部でのロケを終え、撮影機材を積んだ白いワンボックスで札幌へ戻る途中だった。
運転している河端は制作助手、助手席の植松はカメラマン。後部座席にはディレクターの増子と、音声や照明を担当する大木戸が乗っていた。
朝から続いた撮影が終わり、車内ではまだ今日の取材の話が続いていた。
「最後のおじいちゃん、途中から完全に増子さんと話したいだけになってましたよね」
大木戸が言うと、増子が笑う。
「俺が聞きすぎたんだよ」
「でも、あそこ切ったら最後のおじいちゃん急にいい話する人になるじゃないですか。前のくだりがあるから――」
そんな話を聞きながら、植松は助手席の窓から外を眺めていた。
道路脇の防風林が途切れ、その向こうにいくつかの灯りが見える。
最初は農家が何軒かまとまっているのだと思ったが、車が進むにつれて、その奥にも窓明かりや街灯らしい白い光が続いていることに気づく。
周囲の家より少し高い建物もあり、かなり離れてはいるものの、小さな町が一つあるらしい。
「こんなところにも町あるんだな」
植松が言うと、増子も窓の方を見た。
「ほんとだ」
すぐに話題は今日の取材へ戻り、道路脇から伸びてきた木々が町の灯りを隠していく。
植松も会話に加わり、そのあとスマートフォンに届いていた連絡を返しているうちに、窓の外のことは頭から離れていた。
しばらくして画面から目を上げると、右手の畑の向こうにまた灯りが並んでいる。
さっきの町だろうと思いながら見ていると、手前にある低い倉庫は車が進むにつれて大きくなり、屋根の傾きや壁の形まで分かるようになって、そのまま助手席の脇を過ぎて後方へ流れていく。
それなのに、その奥にある町はほとんど大きさを変えない。
植松がそのまま見ていると、河端が前を向いたまま声をかけた。
「植松さん、さっきから何見てるんです?」
「あの町。さっき見えてたのと同じだと思うんだけど」
河端も一度だけ右へ目をやる。その先へ木立が重なってきて、町の灯りが幹の間に細かく切れながら見えなくなっていく。
次に畑の向こうが開いたときにも、また同じ町がいる。
「まだ見えてるの?」
増子も気づき、後部座席から右側をのぞいた。
「結構走ってますよね」
大木戸まで窓へ顔を向ける。
誰かが町について話し込み続けるわけではなかった。それでも防風林が途切れるたび、会話の途中で誰かの目が右へ流れる。手前の畑や倉庫、道路沿いの家は次々に近づいて後ろへ消えていくのに、町だけは出たり隠れたりしながら、いつ見ても同じくらいの遠さにある。
何度目かに町が姿を見せたところで、大木戸が話の途中に「あれ」と声を出した。
町の端で、大きな平たいものが動いている。
トタン板か壁材のようにも見える一枚が斜めに傾き、その下には人らしい小さな影がいくつか集まっていた。少し離れたところでも別の一枚が起こされていて、何人かで急いで何かを組んでいるように見える。
「何してるんですかね、あれ」
「櫓でも作ってんじゃないか」
増子が言う。
「櫓?」
「祭りとか」
「こんな夜中に?」
「明日までに完成させないと敵が攻めてくるとか」
「何と戦ってるんですか」
大木戸が笑い、増子も笑う。
植松もつられて笑いながら町へ目を戻すと、斜めだった一枚は少しずつ起き上がり、人影の一つがその脇を横切っている。
もう一枚の周囲でも何か動いているように見えるが、そこへ防風林が重なり始め、人影も板も幹の間へ順々に隠れていく。
車内ではそのまま別の話が続いていた。
やがてまた視界が開き、植松が何気なく同じ場所へ目をやる。
さっき立てていたものがない。
周囲にいた人影も見当たらず、黄色い窓明かりや街灯だけが、それまでと変わらず町の中に並んでいる。
「……あれ?」
増子も右を向き、前席の間から少し身体を寄せてきた。
植松は町の端をもう一度目でたどる。位置を間違えたのかと思っているうちにも車は先へ進み、木々が少しずつ視界へ入り込んで、探している一角から先に隠してしまう。
大木戸がさっきの冗談の続きを口にしかけ、そのまま別の話へ移った。
植松も前へ向き直ろうとしたところで、走行音の奥に細い金属音が引っかかる。
荷室の機材かと思って振り返りかけると、もう一度、薄い金属を強く弾いたような響きが聞こえてくる。今度はすぐには消えず、細かく震えながら長く残り、その下から何か重いものを地面へ押しつけたまま動かすような擦れ音が伸び始める。
大木戸も会話を止めた。
「外からですよね、今の音」
擦れ音は低く続きながら途中で鈍く詰まり、少し間を置くとまた動き出す。そのたびに薄い金属の震えが重なり、硬いもの同士がぶつかったような音まで一度混じった。
河端も前を見たまま、わずかに速度を落とす。
防風林が切れ、畑の向こうへ町が現れても、擦れ音はまだ続いている。
窓明かりが小さな点にしか見えない遠景を眺めながら聞いていると、何かが地面を引っかいていくざらつきだけが、距離に似合わず妙に耳へ残る。
「なんか、ずっと聞こえますね」
大木戸が声を落とした。
植松は町から目を離さない。
音は長く伸びたかと思えば弱くなり、また少し戻ってくる。
そのうちタイヤが路面を拾う音の方が大きくなり、どこまでがさっきの擦れ音なのか分からなくなるころ、町の手前へ木々が重なってきた。
次に木立が薄くなり始めると、植松はまた右手の灯りへ目を向けた。
さっき板のようなものが動いていた辺りには、やはり何も見えない。
そのまま窓の外を眺めていると、走行音に混じって、今度は誰かの声らしいものが聞こえてきた。
「え、いま誰か喋りましたか?」
と口に出してから植松は一度、車内を見渡してみるが、河端は前を向いている。増子も大木戸も話していない。
それでも、もう一度聞こえる。
「……誰か……」
今度はさっきよりもはっきりと聞こえる。
道路脇には暗い畑と木立が続き、その向こうには遠く灯りが見えている。
「外から聞こえてないですか、これ?」
大木戸の言葉を受けて、植松は窓を少し下げてみた。
冷たい風とタイヤの音が車内へ流れ込み、さっきよりずっと騒がしくなる。
それでも車内が静まったまま耳を澄ませていると、少し間を置いて、また声が聞こえてきた。
「……誰か、いませんか……」
増子が前席の間から身体を寄せる。
「走行中だぞ、なんでさっきから人の声が離れた場所でもずっと聞こえてくるんだよ」
大木戸は返事をせず、開いた窓の向こうを見ている。
植松も道路脇から畑の奥まで目を動かしたが、人の姿は見つからない。
そのまましばらく走り、もう聞こえないかと思い始めたころ、また声が入ってきた。
「……助けて……」
大木戸が窓の外を見たまま、
「これ、ちょっと……いや、めっちゃ嫌な感じですね」
と言い、体をさすりはじめた。
植松も開けた窓の向こうへ耳を澄ませたまま、木々が外の灯りを隠していくのを見ていた。
しばらくして、先ほどまで見えていた町がまた木々の間から現れる。
植松がさっき声の聞こえたころと同じ方向へ目を向けていると、その一角がいきなり強い白さに包まれた。
黄色い窓明かりしかなかった町の中で、建物の壁と屋根だけが一気に浮かび上がる。
「うわ、何だ今の」
増子が前席の間から身を乗り出した。
光はすぐ外れたが、今度は少し離れた場所が同じように白くなり、そのまま壁から地面へ滑っていく。道路らしいところを横切ったかと思うと、急に高く振られ、屋根を越えて低い空まで白くした。
「……なんか、嫌だな」
大木戸が小さく言った。
「何が?」
「動き方」
光は一度暗闇へ紛れたあと、今度は町の奥でまた現れる。建物の横腹を白く照らし、そのまま地面へ落ちると、大きく左右へ振れた。
「誰か持って歩いてんのか?」
増子が言う。
大木戸はしばらく黙ってから、
「……だったら、あんな振り方します?」
と返した。
また光が上がる。
屋根を越えた白さが低い空へ流れ、そのまま横へ大きく動いていく。
「ちょっと待って」
大木戸の声がさっきより低くなった。
光の向きが変わる。
ほんの一瞬だけだったが、遠くの町からこちらへ白い面を向けられたように見え、植松は反射的に身体を引いた。
「今、こっち――」
増子が言い切る前に、防風林が入り始める。
町はまだ完全には隠れず、白い光だけが木の幹と幹の間を行き来していた。
低いところで見えたと思った次には高い位置へ移り、さらに先の隙間ではまた大きく横へ振れている。
車が進むにつれて木々の隙間が狭くなり、最後に白い光が幹の向こうで大きく揺れたあと、町の灯りごと見えなくなる。
植松はそのまま右を向いていた。
これまでなら、少し走ればまた出てくる。
増子も大木戸も右側を向いたまま、防風林が切れるのを待っている。
やがて木々の先が開き始める。
植松はいつも町があった高さへ目を向けるが、そこに灯りが見えない。畑の向こうまで見通せるのに、黄色い窓明かりも街灯もなく、さっきまで町があった辺りまで暗いまま続いている。
「……ないな」
増子が言う。
河端も一瞬だけ右を見る。
「もうちょい先じゃないですか」
また木立が近づき、窓の外を塞いでいく。さっきまでなら、その向こうでまた同じ灯りが待っていた。
車内では誰も別の話を始めない。
木々が途切れ始めると、増子も大木戸も最初から右を見ていたが、畑の向こうまで、ずっと暗いままであった。
どれだけ走っても同じ距離に見え続けていた町は、もうどこにも見つからなかった。




