仲間のふり
怪談収集が趣味の私は、現在ありがたいことに怪談関連のイベントなどに呼ばれる機会があり、そうした際に「1番怖い話を聞かせて」と言われることがあります。
怪談を集めていると、その土地に広く伝わっているわけではなく、一つの家の中だけで何代も語られてきた話を聞かせてもらうことがあります。
本人の体験ではないし、近所の人に尋ねても知らない。それでも、祖父から孫へという形で妙に細かなところまで残っている話も多いです。
東北の山間部に住む小田島さんを紹介されたのも、そうした話を一つ知っている人がいる、と聞いたのがきっかけでした。
*
小田島さんを訪ねたのは、夏の暑さがまだ山あいに残っていた頃のことです。
幹線道路を外れて山側へ入ると、家は次第に少なくなり、畑と林の間に数軒ずつ固まっているような集落が続いていました。
小田島さんの家はそのかなり奥にあり、庭先から道を挟んだ向こうには古い納屋、その後ろには杉の斜面が見えていました。
小田島さんは74歳で、生まれてからずっとこの土地で暮らしているとのことでした。
怪談を集めていることはあらかじめ伝えてあったので、挨拶を済ませると居間へ通され、私はテーブルの端へ録音機を置きました。
急須と湯呑みが二つ、小さな皿も一つずつ用意されていました。
「私のひいじいさんの話です。祖父の父親ですね。私が聞いたのは祖父からですけど、祖父は本人から何度も聞かされてたそうですよ」
録音しても構わないかを確認すると、小田島さんは気にしない様子で頷きました。
小田島さんの祖父は、子どものころから父親である曾祖父本人にこの話を何度も聞いていたそうです。
小田島さん自身も祖父からかなり詳しく聞かされており、話している途中には、ときどき手振りを交えて当時の様子を説明してくれました。
茶を飲んだり、小皿のものをつまんだりしながら、小田島さんは話を続けます。
「ひいじいさんは、もともとこの辺の人じゃなかったんです。若いころは行商をしていて、何日もかけてあちこちの村を回ってた。町から針だとか布だとか薬なんかを持っていって売って、帰りにはその土地のものを買って、また別のところへ持っていく。明治30年頃だったと思いますけど、そのころはまだ20代の終わりくらいだったそうです」
小田島さんの話では、曾祖父はこの辺りにも商売で何度か来ており、今ではほとんど使われていない山越えの道を通って、さらに奥の集落まで足を延ばしていたそうです。
「昔の道は今の道路とはだいぶ違います。途中に古いお堂があるんですけど、それは今も残ってますよ。車で行けるところから少し歩かないと駄目ですけどね。ひいじいさんも、その前は何度か通ってたそうです」
その日もいくつかの村を回った帰りで、売れ残った品のほかに途中で買い付けたものが増え、背負った荷は朝より重くなっていたといいます。
山道へ入ってしばらくすると雨が降り始めましたが、引き返したところで泊まれる場所もなく、曾祖父はそのまま峠を越えるつもりだったそうです。
「最初は大した雨じゃなかったみたいです。それが暗くなるころには、かなり降ってきた。道も悪くなるし、このまま山を下りるのは無理だろうってところで、例のお堂の近くまで来たそうです。それで、今夜はそこで雨をしのごうと」
小田島さんによると、そのお堂は古い木造の小さな建物で、前には狭い縁があり、中は板敷きになっていたそうです。
曾祖父はそれまで中へ入ったことはなかったものの、その晩は雨風を避けられるだけでも十分だと考え、入口近くへ荷を寄せ、濡れた着物を少し乾かしながら明るくなるまで待つことにしたといいます。
「夜になって、そろそろ横になろうとしたころ、雨とは違う音が混じってきたそうです。最初は枝でも落ちたのかと思ったらしいんですけど、また聞こえて、そのあとには何かを板の上で引きずるような音もした。床の下に獣でもいるのかと思って耳を澄ませてるうちに、どうも下じゃなくて、お堂の中から聞こえてくる」
朝まで同じ建物にいるつもりだった曾祖父は、大きな獣でも入り込んでいるのか確かめようとしたようです。
灯りを手にして柱の向こうへ踏み出そうとしたところで、硬いもの同士が当たるような音がもう一度聞こえ、そのすぐあとを何かが擦れる音が追ってきたといいます。
「入ったときは、そんなに奥があると思わなかったそうですよ。暗かったから、柱の向こうは壁みたいに見えてたんでしょうね。でも近くまで行ったら、横にまだ板間が続いてた」
小田島さんが聞いていた話では、灯りを前へ出しても、その先が一度に見えたわけではなかったそうです。
柱の脇から少しずつ明かりを送っていくうちに、低いところに何か丸いものが浮かび、それが背中を向けてしゃがんでいるのだと気づきました。
その向こうにも、似たような影がいくつか見えたといいます。
「猿みたいだったって言うんです。ただ、普通の猿じゃない。しゃがんでてもかなり大きくて、立ったら人間と変わらないくらいあったんじゃないかって。肩から背中には毛が生えてて、腕が長かったそうです」
何匹かは床にしゃがみ、手に持ったものへ顔を寄せていたそうです。
「最初は何を食べてるのか分からなかったそうです。そのうち一匹が、持ってたものを両手でこうやって――」
小田島さんが、両手に細長いものを持つような形を作り、それを外へ折るように動かしました。
「ごりっと折ったらしいんですよ。それで、骨だって分かった」
何の骨だったのかまでは、曾祖父にも分からなかったそうです。
ただ、長いものも短いものもあり、奥にいたものたちは、それを手に持って、ぼり、ぼりと音を立てて食べていたといいます。
「何匹もがそれを食べて、ひいじいさんはもう外へ出ようと思い、奥にいるものたちがこちらを見ていないうちに、荷を持って外へ出ようと、ひいじいさんは灯りを下げて身体を入口の方へ向けた。そのとき、雨の向こうで何かが動いたらしいんです」
ぼり、ぼり。
その戸口へ近づいてくる影が、軒下まで入ってきたところで、奥にいるものと同じような姿だと分かったそうです。
「前からも来たんですよ。逃げるならそこしかなかったのに、ちょうど塞がれたみたいな形になった。奥へ戻れば何匹もいるし、外へ出ようにも、そいつが入ってくる」
曾祖父は柱の陰へ寄りながら、足元に置いていた荷へ手を入れました。売れ残った品や途中で買ったものが混じっている中を探っていると、指先に毛の感触が当たったといいます。
それは、その日に買い取った獣の皮だったそうです。
「それで、それをかぶったそうです。何枚か出して、肩と背中へかけて、頭の方まで隠した。祖父があとで『そんなことで騙せると思ったのか』って聞いたことがあるらしいんですけど、ひいじいさんは、そんなこと考えてる余裕はなかったって言ってたそうですよ」
毛皮を整えて何かに似せるような余裕などなく、曾祖父はただ身体を低くし、顔が見えないよう皮の端を引き寄せたそうです。
その間にも戸口から入ってきたものは近づいており、濡れた獣のような臭いがしたといいます。
「かなり近くまで来たそうです。顔の辺りに何か寄ってきた感じもしたらしいんですけど、そこで襲われなかった」
その後、それは曾祖父の前を離れ、奥へ戻りながら途中で何度かこちらを向いたそうです。
「ひいじいさんには、ついてこいってことなのかと思えたみたいです。本当にそうだったのかは分かりませんけど、そのまま一人だけ入口に残ってても変に思われそうだったんでしょうね」
曾祖父は毛皮を押さえたまま腰を低くし、その後について奥へ入ったといいます。
小田島さんの話では、先ほどのものたちはまだ同じ辺りにいて、こちらへ顔を向けるものはあったものの、襲いかかってくる様子はなかったそうです。
曾祖父はなるべく周囲と同じように身体を低くしたまま、端の空いているところへ座りました。
「近くで見ると、やっぱり猿とは違ったみたいですよ。毛は生えてるんだけど、物を手で持つところとか、隣のやつを見る動きとか、人間みたいだったって」
隣にいた一匹も、手に持ったものを食べていたそうです。しばらくすると、そいつが曾祖父の方へ腕を伸ばしてきたといいます。
「ひいじいさんは、自分が掴まれると思ったそうです。でも、その手に持ってたのは、さっき食べてた骨だった」
途中で折れたものを握ったまま、その手だけが曾祖父の前へ差し出されていたそうです。
相手はそれを押しつけるようなこともせず、かといって手を引くこともなく、曾祖父が動かないでいるあいだも、周りのものたちはそのまま食べ続けていたといいます。
「そいつは自分でも食べながら、ずっと手を出してたそうです。それで、ひいじいさんも受け取った」
曾祖父は骨を受け取ったものの、どうすればいいのか分からなかったそうです。隣ではまだ食べる音が続いていて、ときどきこちらへ顔も向ける。
持っているだけではまずいと思ったのか、やがて曾祖父は割れた端へ歯を当てたといいます。
「硬くて、最初は全然駄目だったそうです。それでも何度か噛んでるうちに、口の中を切って、血の味がしたけど、吐き出すわけにもいかないからがんばって噛み続けたそうです」
ぼり、ぼり、ぼり…ぼり…。
「そして、小さくなったところをそのまま飲んだそうです」
小田島さんは、そのまま話を続けました。
「それからは、周りが食べてる間は、自分も同じようにしてたそうです。受け取って、口へ持っていく。途中で背中を触られたこともあったみたいですけど、皮の上を何度か触っただけで、すぐ離れていったって」
私は湯呑みを持ち上げました。
茶を飲んで戻そうとしたとき、小田島さんの手元と、自分の前にある小皿が同じ視界に入りました。
こちらの皿には、まだ手をつけていないものがそのまま残っていました。
「夜が明ける少し前くらいから、一匹ずついなくなったそうです。外へ出て、そのまま戻ってこない。全部いなくなったと思っても、ひいじいさんはすぐには動かなかった。ちゃんと明るくなるまで待って、それから皮を脱いで山を下りたそうです」
小田島さんによると、曾祖父はそれから行商をやめ、山を越して各地を歩く仕事には戻らなかったそうです。
この辺りで働くようになり、そのまま住み着いて家庭を持ちました。
「それで、うちが続いてるわけです」
その後もしばらく、小田島さんはお堂の場所や地域について、皿のものを食べ続けながら話してくれていました。
話がひと段落しても、私はすぐには返事ができませんでした。
話が途切れたタイミングで、録音機の赤いランプを見たまま少し間を置き、それからようやく停止ボタンを押しました。
「そうだ。よかったら、このあとお堂でも見に行きますか。今も残ってますし、私でよければ案内しますよ」
「すみません……このあと少し予定があるので。今日は大丈夫です」
小田島さんの提案を私は断りました。
「今日はありがとうございました。面白い話を聞かせてもらいました」
「いやいや、こんな昔の話でよければ」
小田島さんはそう言って笑いました。
玄関まで見送ってくれましたが、そのあいだにも手にはさっきまで食べていたものが残っていて、靴を履いている私の後ろで、
ぼり、ぼり。
と噛む音がしました。
振り返ると、小田島さんは笑ったままこちらを見ていました。
「気をつけて帰ってください」
私は礼を言って外へ出ました。
*
車に戻るとすぐにエンジンをかけ、そのまま山道を下りました。市街地に出るまで、一度も車を止めませんでした。
それでも、しばらく小田島さんの家で聞いた音が耳に残っていました。
曾祖父が山のお堂で聞いたという、骨を噛む音。
それと同じような音を、小田島さんは話しているあいだ何度も立てていました。
何度も、何度も。
最後に、玄関まで見送りに出てくれたときにも小田島さんは、ほほ笑んだまま口を動かし、白っぽく硬い骨のようなものを
ぼり、ぼり……
と食べ続けていました。
話に出てきた曾祖父が、仲間のふりをするために口へ入れたものと同じようなものを、小田島さんは同じように食べていました。
そして、小田島さんが食べていたものと同じものが、私の前の小皿にも最初から置かれていました。
帰り際、小田島さんからお堂を見に行かないかと誘われたとき、私は予定があると言って断りましたが、本当は何の予定もありませんでした。
お堂なんてもうどうでもよく、そのときは、
ぼり、ぼり、ぼり、ぼり、ぼりぼりぼりぼり……
と食べ続ける小田島さんから一刻も早く離れたい一心でした。
これが、私が怪談を集めてきた中で1番怖かった経験です。




