情報番組の地域紹介コーナー(1995年・宮登集落)
「昔の番組って、こんなにゆっくりしてたんだな」
相馬は画面を見ながら、思わずそう口にした。
若い女性リポーターが農家の縁側に座り、向かいの女性が話し終えるのを待っている。
畑を始めたころの話から、今年は大根の出来がいいこと、東京に住む娘にも送っていることまで話題はあちこちへ移っていたが、リポーターは途中で遮ろうともせず、相槌を打ちながら最後まで聞いていた。
地方テレビ局でディレクターをしている相馬は、翌月に放送を控えた開局記念特番の制作に入っていた。
その中で過去のローカル番組を振り返るコーナーを任され、ここ数日は1980年代から2000年代初めまでの映像を順番に確認している。
いま見ているのは、1990年代に夕方の情報番組で放送されていた地域紹介のコーナーだった。
県内の町や村を訪ね、そこに暮らす人々へ話を聞くという内容で、放送時には15分にも満たないコーナーだった。
それでも保存されていたテープには編集前に近い素材が残っており、撮り直しの指示や、カメラが回っていることに気づかず雑談している場面まで入っていた。
映っているリポーターには見覚えがなく、その後ろから聞こえるスタッフの声にも聞き覚えがない。
もっとも、自分が入社するよりずっと前の番組で、当時の社員を全員知っているわけでもなく、外部の制作会社やフリーの出演者が入っていたことも珍しくないため、特に気にするようなことではなかった。
一本目の取材地は喜多村だった。
県内では中央部に近い内陸の村で、現在は市町村合併によって自治体名としては残っていない。
相馬自身も仕事で旧喜多村周辺へ行ったことがあり、映像に映る山並みや川には何となく見覚えがあった。
農家を訪ね、昔からある商店を回り、最後には村を流れる川のそばでリポーターが締めのコメントを入れる。特番にそのまま使いたくなるような映像ではなかったが、30年以上前の町並みがまとまって残っているという意味では悪くない素材だった。
やがて画面が暗転し、相馬は机の脇に置いていたケースへ目をやった。
「1995年か。ずいぶん古いな」
同じテープにはもう一本、別の取材素材が続けて入っている。ラベルに書かれた二つ目の地名を見て、相馬は少し首を傾げた。
《宮間村 宮登集落》
「宮登……?」
宮間村なら知っている。
県北の山間部にあった村で、そこも現在は合併によって自治体名としては残っていない。ただ、宮登という集落名には聞き覚えがなかった。
「喜多村から宮間って、ずいぶん飛んでるな。間にいくつ町村あるんだよ」
「喜多から、ずいぶん北に来たな」
口にしてから、自分でもギャグにすらなっていないと思い、相馬は一人で苦笑した。
かなり離れている二つの地域が、同じ企画の取材先として選ばれること自体は不思議ではないが、一つのテープに続けて収録されている二本として見ると、選び方にまとまりがないようにも思える。
ただ、特に気にするほどのことでもないので、そのまま再生を続けた。
黒い画面が切り替わると、一本目と同じ女性リポーターが細い道路を歩いてきた。
「今日は宮間村の宮登集落に来ています」
背後には山の斜面と数軒の家が見え、家並みを抜けた先で道路はそのまま山へ入っている。
リポーターはそこで、集落を案内してくれるという70歳前後の男性を紹介した。白いシャツの袖を肘までまくった、小柄で穏やかな顔つきの人だった。
最初のうちは、ごく普通の地域紹介だった。
男性は畑のことや冬の暮らしについて聞かれるたびに少し考え、丁寧に答えている。
途中では別の住民にも短く話を聞き、秋に行われる祭りや昔あった店についての話も出ていたが、どれも特に珍しい内容ではなかった。
しばらくして、リポーターが男性に尋ねた。
「この辺りは、昔から変わっていないんですか?」
男性は少し考えてから、柔らかく笑った。
「そんなに古くないですよ。1995年でしょう。今じゃないですか」
リポーターが一瞬だけ言葉を止めた。
「ああ……昔と今で、それほど変わっていないということですか?」
「まあ、そういうことです」
二人とも笑い、そのまま話は別の内容へ移った。
質問の意味を少し取り違えただけだろうと、相馬は気にしなかった。
取材ではよくあることで、返ってきた答えを出演者がうまく拾い直し、そのまま話を続けることも珍しくない。
その後、リポーターと男性は集落の中を歩いていった。
撮影はところどころで止まり、別の家の前から再開したり、道沿いの畑を映したりしている。一本目と同様、素材としてはごくありふれたものだった。
ただ、途中で男性が、
「前は喜多村の方に行ったんですか?」
と尋ねた。
リポーターが少し驚いたように、
「喜多村?」
と聞き返す。
「ええ。来るまでにいくつも別の町村がありますし、離れたところまで大変だなと思って」
「ああ、そうですね。移動だけでも結構かかりました」
「喜多から、ずいぶん北まで来たんですね」
「あ、はい……あはは」
リポーターの何ともいえない愛想笑いで会話は終わり、二人はまた歩き始めた。
唐突な話には少し引っかかったものの、自分と似たようなことを言う男性に少し親近感も湧いた。リポーターの微妙な反応を見て、相馬も苦笑した。
「微妙な空気になってるじゃないか」
映像が進むにつれ、男性は宮登について説明し始めた。道路の先にある山や、昔は家があったという場所を指しながら話している。
「のどかで自然が豊かな場所ですね」
「空気も悪くないでしょう」
「はい。とってもおいしいです」
相馬はそれを聞きながら、テープケースに書かれた文字をもう一度見た。
「宮登って、結局どの辺なんだ」
その直後、画面の男性が答えた。
「宮登はここですよ。今いるところです」
リポーターは周囲を見回した。
「この辺り一帯が宮登なんですね」
「そうです」
相馬はしばらく画面を見つめた。
取材はさらに続き、その間は特に変わった受け答えもない。
ただ、編集前の会話を長く聞いているうちに、男性とリポーターのやり取りには、ときどきほんの少しだけ間が合わないところがあるように感じられてきた。
質問と答えが成立していないわけではないのに、ときどき返事だけがわずかにずれて聞こえるような、妙な違和感が残る。
相馬は画面を眺めながら、半分笑って言った。
「なんか、この人と会話噛み合ってないな」
画面に映る男性はリポーターを見たまま、少し考えるような間を置いた。
「ちゃんと噛み合ってると思いますけどね」
リポーターが目を瞬かせた。
「え?」
「いえ、何でもないです」
男性は柔らかく笑い、そのまま話を続けた。
相馬は声を出さずに画面を見ていた。
偶然だと思えば、それまでだった。
映像を見ながら独り言を漏らし、その直後に似た言葉が聞こえたから、勝手に結びつけているだけなのかもしれない。
そもそも、これは1995年に撮影された映像なのだから、現在の自分の言葉と関係があるはずはない。
それから数分ほどは、また普通の取材が続いた。男性は集落の暮らしについて質問されるたびに答え、ときにはリポーターの冗談に笑っている。
だからこそ、相馬には先ほどのやり取りが妙に残った。
先ほどのやり取りが頭から離れず、うまく理由を説明できないまま居心地の悪さだけが残った。
「なんだろうな。よく分かんないけど、ちょっと気持ち悪いな」
男性が言葉を止めた。
「そうですか。気持ち悪いですか」
相馬は顔を上げた。映像の中では、リポーターも不思議そうに男性を見ている。
「何がですか?」
「ああ、いえ。こちらの話です」
男性は少し困ったように笑った。
「まあ、ここではそういうこともありますよ」
「どういうことですか?」
「別に、大したことじゃないです」
それ以上は話さず、男性はまたリポーターの質問に答え始めた。
相馬は一度、再生を止めようかと思った。
ただ、そうするほどのことが起きているわけでもなく、自分でも理由を説明できないまま続きを見た。
しばらくすると、リポーターと男性が家並みを抜け、細い道を歩く場面になった。
男性が昔はこの先にも何軒か家があったと話している途中で、
「今の何?」
という女性の声が入った。
相馬は何気なく画面へ視線を戻したが、リポーターは隣を歩く男性の話を聞いたまま、まだ何も口にしていない。
少しして彼女が足を緩め、何かを聞きつけたように顔を上げた。
「今の何?」
先ほど聞いたものと、抑揚まで同じ声だった。
カメラの後ろから男性スタッフが、
「何が?」
と聞き返す。
「今、私の声しませんでした?」
「声?」
「私が『今の何』って言う声」
リポーターは笑おうとしていたが、表情には明らかな戸惑いがあった。
相馬はそこで再生を止め、問題の場面より少し前まで戻した。
古いテープなら映像と音声がずれることはあり得るだろうと思ったものの、聞き直してみると、それまでの足音や男性の話し声は画面と合っているのに、
「今の何?」
という一言だけが、本人が実際に口にするより先に聞こえていた。
もう一度確認しても同じだった。
続きを再生すると、撮影現場でも同じことを確かめていたらしく、一度カメラが地面へ向けられたあと、リポーターの声が聞こえた。
「本当に聞こえたんです。私が言う前に」
「自分の声が?」
「はい」
会話にはまだ多少の笑いが混じっていたが、さっきまでとは明らかに空気が違っている。
案内役の男性だけは、少し離れた場所で二人のやり取りを待ちながら、特に驚いた様子を見せていなかった。
リポーターが近づき、
「今、私が喋る前に、自分の声が聞こえたんです」
と説明すると、男性は「ああ」とだけ答えた。
あまりにも普通の反応だったため、リポーターの方が少し黙った。
「こういうこと、この辺ではあるんですか?」
「たまにありますよ」
「自分の声が先に聞こえるんですか?」
男性はそこで少し考えた。
「自分の声とは限らないですけど」
「じゃあ、誰の声なんですか?」
「そこまでは分かりません」
男性は穏やかな表情のまま続けた。
「でも、聞こえることはあります」
相馬は椅子の背にもたれ、しばらく画面から目を離せなかった。
先ほどまで聞き流していたいくつかの言葉が、そこで頭の中へ戻ってきた。
《1995年か。ずいぶん古いな》
《そんなに古くないですよ。1995年でしょう。今じゃないですか》
《喜多から、ずいぶん北に来たな》
《喜多から、ずいぶん北まで来たんですね》
《微妙な空気になってるじゃないか》
《空気も悪くないでしょう》
《宮登って、結局どの辺なんだ》
《宮登はここですよ。今いるところです》
《なんか、この人と会話噛み合ってないな》
《ちゃんと噛み合ってると思いますけどね》
そして、ついさっきの言葉まで思い出す。
《よく分かんないけど、ちょっと気持ち悪いな》
《そうですか。気持ち悪いですか》
一つだけなら、いくらでも偶然で済ませられる。
二つ続いても、映像を見ている自分が似たものだけを拾っていると言えたかもしれない。
だが、こうして並べてしまうと、偶然だけでは片づけにくかった。
それでも相馬は、すぐに別の可能性を探した。
撮影現場でこれから誰かが発する声を、男性が先に聞いていたのかもしれない。画面の外にはカメラマンやディレクターらしいスタッフもいる。その誰かの言葉と偶然重なったのだと考える方が、まだ現実的だった。
映像では取材が再開され、男性は先ほどまでと変わらない様子でリポーターの質問に答えていた。
相馬はしばらく黙って見ていたが、やがて、自分でも馬鹿なことをしていると思いながら画面へ向かって小さく尋ねた。
「……俺の声も聞こえてるのか?」
それまで話していた男性が、言葉の途中で口を閉じた。
リポーターからわずかに視線を外し、遠くから声をかけられた人が、その方向を確かめるように少しだけ顔を傾ける。
「聞こえてますよ」
リポーターが男性を見た。
「え、何がですか?」
男性は少し考えてから、穏やかな調子のまま言った。
「だから会話、ちゃんと噛み合ってるでしょう」
相馬は反射的に再生を止めた。
画面が暗くなっても、しばらく椅子から立ち上がることができず、誰もいない部屋の中で声を出すことさえ怖くなり、そのまま黙って黒い画面を見つめていた。




