伝聞・後編
《その話、俺の友達の話なんだけどね》
川村さんから届いたその一文を見て、ようやく一人近づいたのだと思った。
ここまで何人たどっても「友達の友達」のままだったのに、川村さんのところまで来て、初めてその距離が一つ縮まったことになる。
《詳しく聞いてもいいですか?》
そう送ると、
《いいよ》
と返ってきた。
そのあと何度かやり取りをして、次の休みの日に直接会うことになり、待ち合わせは隣の市の駅前、時間は昼過ぎに決まった。
当日、駅前に着いてから連絡すると、ロータリーの近くに立っていた男がこちらへ手を上げる。
「川村さんですか?」
「そう。どうも。川村拓哉です」
思っていたより若く、二十代前半くらいに見えた。俺が名乗ると、川村さんは笑いながら軽く頭を下げる。
少し話したところで、
「せっかくだし、あの公園行ってみる?」
と川村さんが言った。
「ここから近いんですか?」
「歩いて行けるよ。どうせなら実際に見た方が分かりやすいでしょ」
せっかくここまでたどり着いたこともあり、俺はその提案に乗り、二人で駅前を離れて住宅街を抜け、川の方へ歩いていく。
15分ほどすると、小野から聞いた特徴によく似た公園が見えてきた。広さのわりに遊具は少なく、大きな木が何本か立っていて、その向こうを川が流れている。
「ここですか?」
「そう。ここ」
川村さんは周囲を眺めながら、昔はもう少し荒れていたとか、川沿いの道も今とは少し違っていたとか、そんな話をする。
公園の中へ入ってしばらく歩くと、道路側の端に古い平屋の公衆トイレが見えた。
「あれが、そのトイレですか?」
「うん」
川村さんは何でもないことのように頷く。
「あそこで死んだんだよ」
「……怖い話に出てくる高校生が?」
「そう」
近くまで行ってみると、外壁はかなり古びており、入口から中を覗けば、壁際に洗面台と、その上に掛けられた鏡が見える。
「あの鏡ですか。高校生が映るっていうの」
「そうそう」
「本当に出るんですかね」
「見たっていう人は、何人もいるみたいだよ」
俺は中へ入らず、入口から鏡を眺めた。そこに映っているのは白っぽい壁と入口近くの景色だけで、特に変わったところはない。
「亡くなったのも、中なんですよね」
「うん。洗面台の近くで見つかった」
川村さんは迷いなく答える。
友達から聞いた話にしては、ずいぶん詳しいなとは思った。
俺たちはトイレから少し離れたベンチへ移り、小野から聞いた噂について話を続ける。
「鏡に高校生が映って、振り返っても誰もいないんですよね」
「うん」
「それで、声をかけられるって聞きました」
川村さんは黙って続きを待っている。
「『一人じゃ嫌だ』とか、『一緒にいて』とか」
そこまで聞くと、川村さんが首を傾げた。
「違うよ」
「え?」
「あいつ、そんなこと言わないよ」
川村さんは少し笑う。
「『友達になってよ』だよ」
「……友達になってよ?」
「うん」
「そう聞こえるんですか?」
「そう」
言い切るような返事だった。
「川村さん、かなり詳しいですね」
「うん。だって、あいつそう言うんだもん」
「……どういうことですか?」
「いや、あいつ、俺の友達なんだよ」
「え?」
「死んだ高校生。あいつ、俺の友達なんだよ」
そこでようやく、《俺の友達の話なんだけどね》という言葉の意味が分かった。
川村さんが言っていた「友達」とは、死んだ高校生のことだった。
一瞬、ぞっとした。
「同じ学校だったんですか?」
「うん。同級生」
「仲良かったんですか?」
「いや、学校ではそんなに話したことなかったよ」
思っていた答えとは違い、少し引っかかる。
「でも、友達なんですよね?」
「うん。友達だよ」
川村さんは当たり前のように答えると、それ以上は説明せず、スマホを取り出して昔の写真を見せてきた。
高校時代に撮ったものらしく、何人かの制服姿の生徒が並んでいる。その中から一人を指差し、
「こいつ」
と言う。
「この人が?」
「そう」
指の先には痩せた男子生徒が立っていたが、写真だけを見れば、どこにでもいそうな普通の高校生にしか見えない。
それなのに、さっきから「あいつ」と呼ぶときの川村さんは妙に親しげだった。
しばらくすると、今度は川村さんの方から俺に聞いてくる。
「新田とは友達なの?」
「新田さんですか?」
「うん」
「いや、もともとは全然知らない人ですよ。田村さんに連絡先を教えてもらって、今回初めて会っただけなんで」
「じゃあ、友達じゃない?」
「どうなんですかね」
少し考えてから、
「友達の友達……いや、もっと遠いのかな。でも、この前『今度普通に遊びましょう』って言ってたし、もう友達なのかもしれないですけど」
と答えた。
「そうなんだ」
川村さんが笑う。
「じゃあ、俺とも友達になってよ」
さっき聞いた、死んだ高校生が口にするという言葉とまったく同じだった。
ぞっとした。
これ以上ここにいたくなくなり、俺は「そろそろ帰ります」とだけ言って立ち上がると、そのまま公園を出た。
振り返る気にもなれず、駅までほとんど逃げるように歩いた。
*
歩きながらスマホを取り出し、新田さんへLINEを送る。
《今、川村さんに会ってきました》
少し迷ってから、もう一通。
《川村さんって、いつもあんな感じなんですか?》
返事は来なかった。
そのまま家へ帰り、夜になってからもう一度確認してみても、まだ既読はついていない。
そういえば新田さんの連絡先を教えてくれたのは田村さんだったと思い、LINEを送る。
《すみません。この前教えてもらった新田さんなんですけど、夕方から返事なくて》
送ったあとも公園でのことが頭から離れず、少し気分を変えたくなってシャワーを浴びることにした。
風呂場を出て、髪を拭きながら洗面台の前でスマホを見ると、田村さんから何通か返事が届いている。
《あ》
《ごめん》
《この前、間違って新田の古いLINE送ってた》
《あれ、もう使ってないよ》
書かれている意味が、すぐには頭に入ってこなかった。
《え?》
《でも俺、そのアカウントでずっとやり取りしてましたよ》
《この前、実際に会いました》
送ってしばらくすると、
《え?》
と返ってくる。
《新田さんには、駅前で会って話しました》
《それで、その人から川村さんって人の連絡先も教えてもらって》
《今日、その川村さんとも会ってきました》
《川村?》
《はい。公園のトイレの話を知ってる人です》
《川村、たしか…たくやさんっていう人です》
今度は少し間が空いた。
《たくや…え、川村拓哉…?え、まじで言ってる?》
続けて届いた文章を読んだ瞬間、頭の中が止まる。
《川村はもう死んでるよ》
《何年か前に自殺してる》
自殺。
文字の意味は分かるのに、それがさっきまで一緒にいた川村さんと結びつかない。
《本当に川村拓哉さんですか?》
念のためそう返すと、
《うん、同姓同名の別人かも知れんけどさ…》
と返ってきた。
公園で会った川村さんの顔が浮かぶ。目の前で話し、スマホの写真まで見せてきたあの若い男が、何年も前に死んでいるという。
それだけでも理解が追いつかないのに、駅前のベンチで新田さんだと思って話していた男についても、もう何者なのか分からなかった。
俺がずっとやり取りしていたのは、本人がもう使っていないはずの古いアカウントなのだ。
もう一度、手の中でスマホが震えた。
《たしか、洗面台で自殺したって。》
《すまん、新田に聞いた話で…ちょっと新田に連絡してみるわ…》
《洗面台で自殺した》という文字だけが、妙に頭に残った。
……俺は、シャワーを出てからずっと洗面台の前に立っている。
顔を上げれば、すぐ目の前に鏡がある。
スマホを見下ろしたままでいると、再び手の中に振動が伝わってきた。田村さんから何か続きが来たのだと思い、そのまま画面を確認する。
表示されていたのは、新田さんの名前だった。
《友達になってよ》
田村さんが「もう使っていない」と言った、あの古いアカウントから届いている。
何度見ても文字は変わらない。
ついさっきまで返事を待っていた相手なのに、もう同じ相手から届いたものとは思えなかった。
そのとき、もう一度スマホが震える。
今度は川村さんのアカウントだった。
《友達になってよ》
死んだ高校生が口にするのだと川村さんが教えてくれた言葉。
それとまったく同じものが、使われていない新田さんのアカウントと、何年も前に死んでいるはずの川村さんのアカウントから続けて届いている。
そこまで考えた途端、目の前にある鏡が気になった。
見たくなかった。
それでも、いつまでも俯いたままではいられない。スマホを握る指に力を入れ、俺はゆっくりと顔を上げた。
鏡には、洗面台の前に立つ俺の姿が映っている。
その後ろに、誰かいた。
一人ではない。
俺のすぐ後ろに、三人の人間が並んでこちらを見ていた。
駅前のベンチで新田さんだと思って話していた男。その隣には今日、公園で会った川村さん。そしてもう一人は、写真の中にいた制服姿の高校生だった。
息が止まった。
振り返ることはできず、鏡から目を離すこともできない。三人がそこに立っているのを、ただ見続けるしかなかった。
誰も動かない。
俺も動けなかった。
そのままどれくらい経ったのか分からなくなったころ、鏡の中の三人が示し合わせたように、ほとんど同時に口を開いた。
「「「友達になってよ」」」




