嘘つき
私の住んでいる集落には、私と同い年の子が2人しかいませんでした。
1人は私で、もう1人は直人という男の子でした。
家は歩いて10分もかからないくらいの距離にあって、小学生のころは学校から帰る時間もだいたい同じでした。
ほかに同い年がいなかったので、約束をしていなくても自然と一緒に遊ぶことが多く、川へ行ったり、自転車で隣の集落まで走ったり、冬には雪を固めて坂を作ったりしていました。
直人は、私といるとよくふざける子でした。
川で捕まえた小さな魚を見せながら、「これ、この辺にしかいない新種」と言ってみたり、山の方で何か音がすると、「熊だ。俺には分かる」と真顔で言って、私が少しでも信じるとすぐに笑ったりしました。
そういうくだらないことはよく言いましたが、本当に起きてもいないことを何度も言ったり、ばれている嘘をいつまでも押し通したりするような子ではありませんでした。
少なくとも小学生のころ、私は直人を嘘つきだと思ったことはありませんでした。
*
中学生になると、私と直人が一緒にいる時間は少しずつ減っていきました。
小学生のころは、ほかに同い年の子がいなかったこともあって毎日のように遊んでいましたが、中学校ではそれぞれに話す相手も増え、休みの日まで2人で出かけることはほとんどなくなりました。
それでも、中学2年の夏ごろまでは、学校で顔を合わせれば普通に話していましたし、直人の方からくだらないことを言ってくることもあって、私も昔と同じように適当に返していました。
ところが、その夏を境に、直人は私と一緒にいることを嫌がるようになりました。
小学生のころ、一度だけ私のことを好きだと言ったことがあったので、今さらそういうことを意識する年頃になったのかな、と最初は少し面白がっていました。
「なに、そんな意識してんの」
冗談っぽくそんなことを言ったこともありましたが、直人はまともに相手をしてくれず、それが続けば私だっていい気はしませんでした。
しばらくすると、今度は学校で幽霊を見たという話を頻繁にするようになりました。
ある日も、教室で男子数人と話している直人が、
「昨日、帰りにいたんだよ。うちの集落の方に」
と言うのが聞こえました。
「何が?」
「女。多分、幽霊」
最初は、また昔みたいに誰かを怖がらせようとしているのだと思いました。
けれど、その一度だけではなく、集落へ入る手前の道で女を見たとか、橋の近くに人影が立っていたとか、夜道を歩いていると少し離れたところから誰かがついてきたとか、帰りのバスから道路脇に立っている女を見たとか、場所を少しずつ変えながら同じような話を何度もするようになりました。
どれも、私たちの集落やその周辺の話でした。
直人の話す幽霊なんて、絶対にいません。
それなのに何度もそんな話をするので、周りの子たちまで私たちの集落を変な場所だと思うようになり、「お前んとこ、そんなヤバいの?」「夜とか歩けなくね?」などと面白がっているのを聞くたび、私は嫌な気分になりました。
「うちの集落に、そんなに幽霊なんていないじゃん。変なこと言わないでよ、直人」
何度そう言っても、直人は聞いてくれませんでした。
あるときには、制服を着た女が泥だらけで立っていて、靴が片方なく、首もずっと横へ傾いたままだったと、身振りまでつけて話していました。
「設定細かすぎだろ」
周りの男子は笑っていました。
私はこういう話が大嫌いで、
「だから、そういうのやめてって言ってるじゃん」
と何度も言いましたが、直人は全然やめてくれませんでした。
そのころから、直人は幽霊とは関係のない嘘までつくようになりました。
駅前で有名人を見たとか、親戚がテレビに出るとか、隣町で知らない高校生に囲まれたけれど1人で追い払ったとか、少し確かめればすぐに嘘だと分かるような話ばかりで、直人が何か言うたびに「また嘘だろ」「はいはい」と笑われるようになりました。
それでも幽霊を見たという話だけはやめず、中学を卒業するころには、それも含めて直人の話をまともに信じる人はほとんどいなくなっていました。
*
高校へ進んでからも、朝や帰りのバスで直人を見かけることはありましたが、私たちが話すことはありませんでした。
直人は相変わらず嘘をついていて、どうでもいい自慢話や、すぐにばれるような作り話に混じって、幽霊を見たという話も続けていました。
「昨日またいた。橋のところ」
「はいはい」
「いや、マジだって」
そんなやり取りを何度も聞きましたが、もう誰も怖がりませんでした。
幽霊の話をしても笑われ、ほかのことを話しても疑われ、高校2年になるころには、直人は学校でも完全に嘘つきとして知られていました。
あの日の昼休みも、直人は何人かの男子と話していて、その中には岡部という、少し気が短く、以前から直人の嘘をよく馬鹿にしている男子がいました。
「お前、昨日も幽霊見たとか言ってたらしいじゃん」
「見たからな」
「またそれかよ。何年言ってんだよ」
直人はいつものように笑いながら、「別にいいだろ」と返しました。
私も少し離れたところから見ていましたが、今まで自分から嘘ばかりついてきたのだから、何を言われても自業自得だと思っていました。
ところが、岡部が、
「じゃあさ、『幽霊なんていません』って言ってみろよ」
と言った途端、直人の顔から笑いが消えました。
「やだよ」
あまりにも早く断ったので、周りの男子たちが笑いました。
「何でだよ。お前がいつも言ってる幽霊、どうせ嘘なんだろ?」
直人は答えませんでした。
その反応が余計に岡部を面白がらせたらしく、何度か言わせようとしているうちに胸ぐらを掴み、直人を壁へ押しつけました。
私はその場から動きませんでした。
嫌なら一言言えば終わるのに、何をそこまで意地になっているんだろうと思いました。
岡部はふざけ半分のまま直人の首へ腕を回し、
「言えば終わるって。幽霊なんて?」
と繰り返しました。
直人は顔を赤くしながら岡部の腕を掴み、しばらく耐えていました。
「……いません」
「聞こえねえよ」
直人は目を閉じました。
「幽霊なんて、いません」
周りから笑い声が上がり、何人かが「はい終わり終わり」と岡部を引き離しました。
そのとき、直人が目を開けました。
一瞬だけ、直人が私の方を見たような気がしました。けれど、直人はすぐに床へ目を逸らし、そのまま顔を上げませんでした。
私は何も言いませんでした。
*
帰りのバスにも、直人は乗っていました。
昼休みに岡部に締められたせいで首元には赤い跡が残っていて、窓際の席に座った直人は、膝の上で両手を強く握ったまま動こうとしませんでした。
学校であんなことがあったばかりだったので、最初はかなり堪えたのかなと思いました。
私は直人の少し後ろにいて、しばらくその様子を見ていました。
「直人、首赤くなってるじゃん。痛そう」
久しぶりに、ちゃんと話しかけました。
私はずっと直人には話しかけていたので、自分ではそこまで久しぶりという感じはありませんでしたが、直人と話す、という意味なら本当に何年ぶりだったと思います。
私の声が聞こえた瞬間、直人の肩が大きく跳ねました。
「そんな痛い?」
直人は返事をしませんでしたが、首が痛い人の反応とは少し違いました。
こちらを見ないようにしているくせに、窓に映った私の姿を何度も確認していて、私が話すたびに指へ力が入り、震えも少しずつ大きくなっていました。
そこまで見て、ようやく分かりました。
ああ、違う。
怖かったのは岡部じゃないんだ。
「……あ、私か」
思わず笑ってしまいました。
「そっか。怖いの、私なんだ」
直人の唇が震えました。
「や……」
声になりきらない音が漏れました。
それを聞いたら、嬉しくなりました。
「ちゃんと聞こえてるんだね」
何年も何を言っても返してくれなかったのに、その日は私が声をかけるたびに直人の顔が変わりました。
見えている。
聞こえている。
「まあ、怖いよね。私だもんね」
私は少し身を乗り出しました。
「私、死んでるからね」
直人の顔がさらに青くなりました。
私にとっては今さら言うようなことではなく、中学2年の夏からずっとそうでした。
「最初は見えてたもんね。だから私のこと、学校でいっぱい話してたじゃん。道に女がいたとか、橋に立ってたとか、後ろからついてきたとか」
直人は小さく首を振りました。
「あれ、全部私だよ」
直人の話す幽霊なんて、絶対にいません。
そんなに何人もいるわけではなくて、直人がいろんなところで見ていたのは、ずっと私だけでした。
「でも直人、そのあと嘘ばっかりつくようになったよね。有名人見たとか、喧嘩したとか、どうでもいい嘘までいっぱいついて、何を言ってもみんなに嘘だって思われるようになって」
そうなったころから、直人には少しずつ私が見えなくなりました。
声をかけても気づかなくなって、しばらくすると、本当に私がそこにいないみたいになりました。
「たぶん、あれだったんだね。直人が『幽霊がいる』って言っても、みんなに嘘だと思われるようになったから」
今になって考えると、それが一番しっくりきます。それを何度も繰り返しているうちに、直人自身からも私が見えなくなりました。
「私、ずっといたんだけどね」
学校でも、帰りのバスでも、集落へ戻ってからも、ずっと直人には話しかけていました。
今日また変な嘘ついてたね、とか、さっきの話つまらなかったよ、とか、昔とそれほど変わらないことばかりです。
でも、何も聞こえていませんでした。
何年も。
「それで今日、『幽霊なんていません』なんて言っちゃったからかな」
直人がこちらを見ました。
「嘘つきの直人が、いませんって言ったから、今度はそっちが嘘になっちゃったのかもね」
「また見えるようになったね」
「やめ……」
掠れた声でした。
「やめて……」
「久しぶりに話したのに、それ?」
私は直人の首元を見ました。
「ほんと赤いね。岡部、やりすぎじゃん」
そこまで言ってから、自分の首へ手を添えました。
「まあ、私の方がひどいけど」
直人の目が、ゆっくり私の首へ向きました。
「折れてるから」
私の首は、中学2年の夏からずっと少し変な方向へ傾いたままです。
「まだ変?」
少しだけ首を傾けてみると、直人の喉から変な息が漏れました。
「あ……」
それから、やっと、
「ごめん……」
と言いました。
「あ、それ」
懐かしくなりました。
「あの日も言ってたね」
バスはもう集落の近くまで来ていました。
窓の外に山が迫り、その先には、今ではほとんど誰も使わなくなった細い道があります。
「あの日さ、直人とたまたま会ったんだよね」
夏休みで、私は1人で外に出ていて、直人も別の用事で家を出ていたので、会う約束なんてしていませんでした。
あんなところで偶然会ったのが少し珍しくて、しばらく昔みたいに話しながら歩きました。
「それで直人が、あっち行こうって言ったんだよね」
直人は顔を覆いました。
「ごめん……」
「覚えてるでしょ」
昔から直人は、細い道や知らない場所を見つけるとすぐ入りたがりました。
あの日も山際の道へ入っていって、途中でふざけて私の鞄を取ると、そのまま笑いながら先へ走っていったので、私は追いかけました。少し先で追いつきそうになったところで、足元が崩れました。
「そこから落ちたんだよね」
直人の喉から、また変な息が漏れました。
斜面を落ちている途中のことは、あまり覚えていません。
下にあった私の身体は、首が変な方向へ曲がっていて、片方の靴がなくなり、制服も顔も泥だらけでした。
「多分、すぐ死んだんだと思う」
「ごめん……」
「うん」
直人は斜面の上に残って、ずっと私の名前を呼んでいました。
返事しろって何度も言って、ごめん、ごめんって泣いていました。
私はもう死んでいたけれど、すぐそばにいたので、全部聞こえていました。
「嬉しかったな」
直人の嗚咽が大きくなりました。
「あの日もそんな感じだったよね。泣きながら、ずっと私の名前呼んでた」
「許して……」
「あ、今度は許してなんだ」
私は少し笑いました。
「私と会ってないって言ったよね」
直人は顔を上げませんでした。
「知らないって。一緒にいなかったって」
私はすぐそばにいて、全部聞いていました。
「なんで?」
「ごめん……」
「自分が殺したって思われるの、怖かった?」
「ちが……」
最後まで言葉にならず、嗚咽に変わりました。
ふざけていただけでしたが、直人があの道へ行こうと言わなければ、私が鞄を追いかけなければ、私はたぶん死んでいませんでした。
「人殺しって言われるの、怖かったんだよね」
直人は顔を覆ったままでした。
それから直人は嘘ばかりつくようになって、いつの間にか、私の声も届かなくなりました。
死んだことよりも、直人のせいで落ちたことよりも、だんだんその方が嫌になりました。
私、ずっといるのに。
何年も直人のそばにいて、何度も名前を呼んで、昔みたいに話しかけていたのに、何を言っても聞いてくれませんでした。
私は、いないことになりました。
「また聞こえるんだね」
私が立ち上がると、直人は耳を塞ぎながら身体を後ろへ引きました。
「許して……」
「何年ぶりかな。直人とちゃんと話すの」
「ごめん……許して……」
なんで。
なんで。
なんで。
私を死なせたのは直人なのに。
私をいないことにしたのも直人なのに。
ずっと話しかけていたのは、私なのに。
それでも今は、嬉しかったです。
「また話せるね」
直人は泣きながら首を振っていました。
「ひとごろし」
そう言うと、直人の身体が大きく震えました。
直人の首には、岡部に締められた赤い跡がまだ残っていました。
私はそれを見てから、自分の首に手をやりました。折れたまま傾いている首の付け根には、あの日から消えない赤黒い痣があります。
「あ、見て。首赤いの、お揃いだね」
指でそこをゆっくり撫でると、直人はまた泣きながら首を振りました。
また私を見てくれて。
また声を聞いてくれて。
何年もできなかったことが、ようやくできるようになったから。
だから、今度はちゃんと聞いてほしいと思いました。
私は逃げようとする直人にもう少し近づいて、顔を覗き込みました。
「直人、もう嘘つかないでね」




