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地方怪談集 ~短編・中編の怖い話~  作者: シシモヨウ
【第十四話】案山子(カカシ)の村
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案山子の村・後編

 道路の向こうにいたはずのものは、いつの間にか沙耶の部屋がある建物のすぐ下、入口の脇まで来ていた。


 暗くて細かいところまでは見えなかったけれど、紺色に見える上着の下には白っぽい服があり、脚のあたりには、長いスカートのようなものが垂れていた。


。肩からは黒い髪のようなものまで伸びていて、私とよく似た格好をした人型だった。


 いつ移動したのかは分からなかったし、さっき街路樹の横に立っていたものと同じなのかどうかも確かめようがなかった。けれど、村から帰るときもそうだった。


 縁側にいた案山子も、次に見たときにはそこからいなくなり、別の場所に似たものが立っていた。


 玄関前の小さな一体も、私が再びそこを通ったときにはいなくなり、少し離れた場所に同じくらいのものがいた。


 今度もまた、次に確かめたときには距離だけが縮まっていた。


「閉めて」


 私が言うと、沙耶はすぐにカーテンを閉じた。

 そのあとは二人とも、朝まで窓を見なかった。


 朝になってから沙耶がカーテンを開けると、外には犬を連れて歩いている人や自転車で駅の方へ向かう人がいて、夜中に見たものはどこにも残っていなかった。


「昨日の、私も見たからね」


 沙耶がそう言ったので、私は頷いた。一人で怖がって見間違えていたのではなく、自宅から離れても同じようなものが現れ、最初に見た場所より建物へ近づいていた。


 昼前に近所のファミレスへ行き、しばらくは昨夜の話をせずに遅い朝食を食べた。沙耶も私も、普通の店の中で普通の人たちに囲まれている時間を、少し長く取りたかったのだと思う。


 飲み物を取りに行った沙耶が戻ってくると、グラスをテーブルへ置いてから、


「このまま場所を変えても駄目なんだろうね」


 と言った。


「たぶん。昨日、沙耶のところにも来たし」

「だったら、最初に変なことが起きた場所まで一回戻ってみるしかないのかな」

 

 沙耶自身も言いながら嫌そうな顔をしていたけれど、私も同じことは考えていた。


 あの場所へもう一度近づきたくはなかったけれど、何もしないでいれば、次にどこであれを見ることになるのか分からない。駐車場の奥から自転車置き場へ近づき、沙耶の家では道路の向こうから建物の入口まで来たことを考えると、ただ見ないようにして待ち続ける方が怖かった。

 

 「……行ってみようか」

 

 私はそう言い、当日は最終バスより一本早い便で戻ること、少しでもおかしいと思ったらその場で引き返すことを沙耶と決めた。

 山沿いの草むらまで見ることになるかもしれないので、薄手の軍手も二組用意することにした。


 沙耶は家族へ行き先を伝え、夕方までに連絡がなければ電話してほしいとも頼んでくれた。


 怖くなくなったわけではなかった。

 ただ、怖いから何もしないという選択の方が、もうできなくなっていた。


                 *


 翌日の日曜日、私たちは朝の電車に乗った。

 前回よりかなり早い時間に同じ駅へ着き、そこから地域バスへ乗り換えて、同じ停留所で降りた。


 散策コースの入口も、道沿いの田んぼも、途中の休憩所も前回と変わっていなかった。こうして明るい時間に歩いていると、あの村だけが本当にあったことなのか、また少し分からなくなってくる。


「前もこんな感じだったの?」

「ずっと普通だったよ」

「それが一番嫌だね」

「そうなんだよね」


 例のカーブへ着いたところで、私は足を止めた。


「ここ。絶対ここ」


 散策コースを示す標識は左を向いていて、その奥に並ぶ杉の木にも見覚えがある。前回、私はこの場所でスマホの地図を確認してから、「15分くらいなら」と言って右側の道へ入った。


 けれど、そこには草と低い木の生えた斜面があるだけで、軽トラック一台が通れるほどの道幅も、ところどころに残っていたはずの古い舗装もなかった。


 私はスマホを取り出し、前回このあたりで撮った写真を探した。

 分岐を正面から撮影したものはなかったけれど、少し手前で撮った景色の端に標識と、その後ろにある特徴的な杉の幹が写っている。


 沙耶も画面と目の前の景色を何度か見比べた。


「同じ場所だね」

「でしょ。でも、道だけない」


 写真では杉の右側へ確かに空間が続いているのに、現実には何年も前からそこにあったような木や草が生えている。


 数週間のあいだに道が埋もれたようには、どう見ても思えなかった。

 二人で斜面の手前を調べていると、沙耶が草の中に、泥で汚れてつばの一部が曲がった白っぽい帽子を見つけた。


「見覚えある?」

「……似てる」


 私はスマホに残っている縁側の写真を開いた。

 同じものだとは断言できないし、どこにでもありそうな古い帽子だった。

 それでも、村があった方向の斜面へこんなものが落ちていることが嫌だった。


 さらに道路沿いを少し進むと、草の間から古いコンクリートの排水溝が見つかり、その横だけが人か動物に何度も踏まれたように薄くなって、細い跡が山側へ続いていた。


 少し奥の枝には、色の褪せた赤い布まで引っ掛かっていた。

 村の畑にいた案山子の一体も、首元へ赤い布を巻かれていたことを思い出した。


「戻る?」


 沙耶が聞いた。


 本当なら、ここで戻るべきなのだと思う。

 けれど、私たちがここまで来たのは道の有無を確かめるためだけではなく、家まで近づいてきたものと、あの場所とのつながりを探すためでもあった。


 その手掛かりらしいものが、現実の斜面の奥へ続いている。


「10分だけ」


 口にしたあとで、前にも似たようなことを言ったのを思い出した。

 沙耶も覚えていたらしく、少し嫌そうな顔をした。


「それ、前にも言ったんでしょ」

「……言った」


「今度は私が時間見るからね。変だと思ったら10分待たないで戻るよ」

「お願いします」


 二人で細い踏み跡へ入った。


 前回歩いた道とはまるで違い、舗装はなく、落ち葉と土の上を進むしかなかった。

 それでも、古い排水溝や崩れかけた低い石積みがところどころに残っているので、昔は人の手が入っていた土地なのだろうとは思った。


 鳥や虫の声も普通に聞こえ、木々の向こうからは遠くを走る車の音までかすかに届いている。

 前にあの村へ入ったときのように、自然の音だけを残して人間の生活だけが抜け落ちたような妙な静けさはなく、同じ方向へ歩いているはずなのに、今いる場所はあの村とは明らかに違っていた。


 やがて前方の木々が少し開き、その先に浅い窪地が見えた。


 そこまで進んでも、前回見た家並みも田んぼも水路も、古い待合所もなかった。その代わり、窪地の一角には、農業資材か不法投棄されたごみのようなものが大量に積まれていた。


 最初は古い竹や木材、使わなくなった衣類が捨てられているだけに見えた。


 けれど近づくにつれて、長い杭の中ほどに何度も紐を巻いた跡があり、別の木には横方向へ何かを固定していたような傷が残っていることに気づいた。

 藁の束には布が巻かれ、そのそばには袖を広げたまま泥で汚れたシャツや、色の抜けた帽子が重なっている。


 私はそこでようやく、自分が何を見ているのか分かった。


 案山子だったものだ。


 沙耶も同じことに気づいたらしく、私の少し後ろで足を止めた。


 スマホの写真を開いて一枚ずつ見比べていくと、縁側に座っていたものとよく似た灰色のシャツの近くには白い帽子があり、玄関前に立っていた小さな一体と同じくらいの服も、別の木材の間へ押し込まれていた。


 少し離れた場所には赤い布が絡まったままの藁もあって、村の写真に残っている案山子たちの服装と似たものが、ここではどれも木や竹から外されていた。


 あの村で私が「住人」のように感じていたものが、ここでは一つも人の姿を保っていなかった。


「これ、自然に崩れた感じじゃないよね」


 沙耶が低い声で言った。

 私も同じことを考えていた。


 杭からは肩に使ったらしい横木が抜かれ、頭にしていた藁の束は胴から外され、服も木へ着せたまま朽ちたのではなく脱がされている。

 縄には自然に切れたものも混じっていたけれど、中には途中から刃物を入れたように見えるものまであった。


 壊し方そのものは一つ一つ違っている。

 それでも、結果だけは同じだった。


 ――わざと、人の形をなくしてある。


 その考えが浮かんだところで、窪地の奥に一体だけ立っているものがあることに気づいた。


 木々の陰に半分隠れているせいで、最初から視界には入っていたのかもしれない。それなのに、自分でも気づかないふりをするように、そこだけ見ないでいたらしい。


「沙耶」

「うん。見えてる」


 二人とも、すぐには近づかなかった。


 周囲にあるものはほとんど全部ばらされているのに、それだけが一体の人間のような形を保っている。


 紺色の薄い上着の下からアイボリーの服が見え、その下には、泥で汚れて色の褪せたカーキ色のロングスカートが垂れていた。

 横には大きな四角いポケットがあり、脇から斜めに入った縫い目まで、前の週に私が買ったものと同じだった。


 村の出口で見たものだった。


 ただ、あのときと違って、今は帽子の下から黒い髪が伸びている。

 肩より少し下まである髪は後ろの低い位置で一つにまとめられていて、日曜日の朝、私が家を出たときの髪型とほとんど同じだった。


 私は無意識に、自分の髪へ手をやりかけた。


「奈緒、手下ろして」


 沙耶の声に驚いて、そのまま腕を下げた。


「何?」


 彼女は答えず、案山子の方を見ていた。


 私も視線を戻す。


 さっき最初に見つけたとき、両側へ垂れていたように思えた片方の腕が、今は少し持ち上がり、木の棒で作られた先端が頭の横へ近づいているように見えた。


 私が髪へ触れようとした側だった。


「さっきから、あんなだった?」


 沙耶に聞かれたけれど、確信を持って答えることはできなかった。

 私は、その一体だけをずっと見続けていたわけではない。


 前に村を歩いたときもそうだった。


 案山子そのものが動くところを見たことは一度もないのに、次に同じ場所を確認すると、そこからいなくなっていたり、似たものが別の位置に立っていたりした。

 そして、村の出口で見たときには服装だけが私に似ていたはずのものに、今は私と同じ長さ、同じ結び方の髪まで付いている。


 このまま置いておけば、次にここへ来たときには顔や手まで私に近づいているのではないかと思った。そもそも、次に確認する機会が本当に自分に残されているのかどうかさえ、考えたくなかった。


 私は周囲へ目を向けた。


 ここにある古い案山子は、頭や腕、服をそれぞれ別々にされ、人間らしい輪郭を失っている。

 その中で、私のものだけがまだ一人分の形を保っていた。


 ――これだけ、まだ私の形をしている。


「これ、ばらそう」


 自分でも意外なくらい、言葉は普通に出た。

 沙耶は少しだけ案山子を見たあと、「うん」と答え、持ってきた軍手を私にも渡した。


 近づくほど、自分の服を着せられたものを見るのが嫌になった。


 スカートの裾は泥で黒ずみ、パーカーの袖も長く外へ置かれていたように色褪せているのに、形そのものは間違いなく私があの日着ていたものと同じだった。


 最初に帽子を外すと、黒い髪は帽子に付いているのではなく、頭に見立てた藁の束へ何本もの糸で括り付けられていた。


 軍手をしたまま藁の束へ手を掛けると、黒いものが手首へ触れた。毛糸よりずっと細く、思っていたより柔らかくて、本物の髪なのかどうかまで確かめる気にはなれなかった。


 沙耶と二人で頭の部分を持ち上げると、意外なほど簡単に杭から抜けたので、そのまま地面へ置いた。


 次に紺色のパーカーを木の腕から抜き、アイボリーの長袖も外した。スカートを固定していた紐だけは固く締まっていて手ではほどけなかったので、沙耶がバッグに入れていた小さなハサミで切り、布を杭から外した。


 最後に肩へ通されていた横木を抜くと、それまで人間の肩や腕に見えていた輪郭がなくなった。

 そこに残ったのは、一本の杭と一本の横木、それから藁と古着だけだった。


 私たちは外した部品を少しずつ離して置き、頭に使われていた藁の束もほどいて、誰かがもう一度組み直さない限り、一目で人間には見えないところまで形を崩した。


 そのあいだ、周囲から声が聞こえることも、急に風が吹くこともなかったし、積まれているほかの案山子が消えるようなこともなかった。ただ、さっきまで自分に似て見えていたものだけが、目の前で少しずつ木と藁と古い服へ戻っていった。


「帰ろう」


 沙耶が言った。


「うん」


 私たちはそれ以上何も調べず、窪地を離れた。


                    *


 その夜は、沙耶が私の部屋へ泊まってくれた。


 二人とも何度か窓の方を気にしたけれど、駐車場にも自転車置き場にも人の形は現れず、それから数日が過ぎても同じだった。

 沙耶の部屋へ行った夜にも、向かいの歩道には普通に人が行き来しているだけで、街路樹の横や建物の入口に、あの紺色の人型を見ることはなかった。


 誰が窪地にあった古い案山子をばらしたのかも、あの村そのものが何だったのかも分からない。


 けれど、私と同じ服を着た一体だけが人の形を残し、時間が経つにつれて髪まで私へ似ていったこと、そして、それをほかの案山子と同じようにばらしてから、私の周囲にあの人影が一度も現れなくなったことだけは確かだった。


 それだけで、もう十分だった。

                    *


 しばらくして、私はあの日に関係するものをまとめて片づけた。


 スマホに残っていた村の写真は全部消した。

 田んぼに立っていた最初の案山子も、縁側に座っていた灰色のシャツの一体も、誰もいない家並みも、古い待合所も、これから先に何度も見返したい写真ではなかったので、一枚ずつ確認しながら削除していった。


 クローゼットの奥には、あの日の服がそのまま残っていた。買ったばかりのスカートを捨てるのは少し惜しかったけれど、あの案山子と同じ格好をもう一度する気にはなれず、パーカーと長袖も一緒にゴミ袋へ入れた。


 そのあと、肩より少し下まで伸びていた髪も短くした。

 美容室で「肩につかないくらいまでお願いします」と伝えると、いつもの美容師さんに少し驚かれた。


「結構切りますね」

「はい。ちょっと変えたくて」


 それ以上は説明しなかった。


 鋏が入るたびに長かった黒い髪が床へ落ちていくのを見ながら、最後に見た案山子の頭から垂れていたものを思い出した。

 写真や服、髪まで本当に何かとつながっていたのかは分からない。ただ、あの案山子と同じ姿のままでいるのは嫌だった。                   


       *


 春になってから、私は沙耶と二人でまた地域バスに乗った。

 行き先は、あの村とはまったく別の町だった。


「髪、やっと見慣れた」

「遅くない?」

「だってずっと長かったじゃん」

「自分ではもう、こっちの方が普通だけど」

「似合ってるしね」

「ありがとう」


 窓の外には田んぼと低い山が続いていた。これから歩く場所は自治体の散策マップにも載っていて、帰りのバスの時間も確認してある。


「今日さ、変な横道見つけても入らないでよ」

「入らないって」


 停留所でバスを降り、川沿いの道をしばらく歩いたところで、田んぼの真ん中に一体の案山子を見つけた。

 麦わら帽子に青いシャツを着せられ、腕から伸びた銀色の鳥除けが風に揺れていて、少し離れた畑では男の人が軽トラックのそばで作業をしていた。


 以前なら、それだけでも少し嫌な気分になっていたと思う。

 私は迷ってからスマホを取り出し、川と田んぼ、その向こうの山まで入るように一枚撮った。

 画面の隅には、小さく案山子も写っていた。


「普通に撮れるようになったじゃん」

 

 沙耶が、少し茶化すように言った。


「何それ」

「だって前だったら絶対撮らなかったでしょ」

「まあ……そうかも」 


 沙耶が笑ったので、私も笑った。


 撮った写真をもう一度見たとき、案山子の少し奥に、別の人影が写っていることに気づいた。


 薄い上着に黒いパンツ。肩まである髪。


 あの日、私と一緒に山へ登ったときの沙耶とよく似た格好だった。


 私はしばらく写真を見ていた。

 私の周りからあの人影が消えたのは、窪地で自分に似た案山子を壊したあとだった。

 もし沙耶にも同じようなものがあるのなら、それはまだ、どこかに人の形をしたまま残っているのかもしれない。


 そう考えると、もう一度あの山へ行くことまで頭に浮かんだ。


 けれど……私は、ようやく何も起きない生活に戻ったところだった。


 またあの場所へ行って案山子を探し、あのときの恐怖にもう一度関わることだけは、どうしてもしたくなかった。


「奈緒、行くよ」

「うん」


 私はスマホを閉じて、少し先を歩く沙耶のあとを追った。

 写真に写っていたものについては、何も言わなかった。

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