クラスLINEに1人多い・後編
2学期が始まって数日経った夜、11時を少し回ったころにクラスLINEの通知が入った。
俺はイヤホンをつけてゲームをしていた。
夏休みに入ってから、ユウは一度も書き込んでいない。
だからその通知も、最初は翌日の授業か提出物の話だと思った。
何となく開いた。
【次は菅原くん】
手が止まった。
自分の名前だった。
菅原。
俺だった。
数秒間、文章の意味が頭に入ってこなかった。
そのまま画面を見ていると、既読だけが増えていった。
誰も返さない。
俺は同じ文章をもう一度読んだ。
【次は菅原くん】
次。
その言葉を見て、小林、高橋、佐藤のことが順番に頭へ浮かんだ。
小林は翌日学校にいなかった。高橋は2週間近く休み、佐藤は名前を書かれた翌朝に事故に遭った。
その次が俺だと考えた瞬間、それまで別々に起きていたことが初めて一本につながった。
最初に返信したのは田中だった。
《菅原なんだ》
少しして別のやつが、
《そっか》
と返した。
《頑張れ》
《大丈夫だよ》
俺はすぐに打った。
〈何が?〉
返事はない。
〈俺がどうなるんだよ〉
しばらくしてユウから来た。
【明日はまだいるよ】
意味を考えた。
明日はいる。
だったら、少なくとも明日事故に遭うということではないのかもしれない。
少しだけ息を吐いたところで、次が来た。
【明後日もいる】
さらに、
【その次もいるよ】
そこで逆に分からなくなった。
〈じゃあ何なんだよ〉
〈次って何だよ〉
少しして、
【菅原くんは休むんじゃないよ】
と来た。
〈じゃあ事故とかじゃないのか〉
その質問には答えず、
【いなくなるんでもないよ】
と続いた。
事故に遭うわけでも、学校を休むわけでも、いなくなるわけでもない。そう言われると、かえって何が起きるのか分からなくなった。
〈じゃあ何〉
送った。
返事は来ない。
既読だけが増えていく。
やがて、
【こっちに来るんだよ】
と表示された。
意味が分からない。
でも、分からないまま怖かった。
〈どこだよ〉
【大丈夫】
【みんないるから】
その直後だった。
《待ってる》
《大丈夫だよ》
《頑張って》
田中、千葉、高橋がコメントする…
《すぐだから》
阿部が続き……
さらに別の名前からも返信が続いた。
《大丈夫》
《待ってるよ》
《みんないる》
委員長だけでなく、普段は連絡事項にしか反応しない男子や、ほとんど既読だけで終わる女子まで書き込んでいた。
知らないユウが変なことを言っているより、その方が怖かった。
毎日同じ教室にいるやつらが、次々に同じ方向を向いていく。
〈何なんだよお前ら〉
《大丈夫だから》
《怖くないよ》
《すぐ終わる》
〈行かない〉
〈絶対行かねえから〉
少しして、ユウから、
【うん】
と返ってきた。
そこで終わったように見えた。
俺はしばらく画面を見ていたが、それ以上何も来なかったのでスマホを伏せた。
数十秒後、また震えた。
見るか迷った。
結局、画面を開いた。
【でも菅原くんは逃がさないよ】
そのあとしばらく、スマホには触らなかった。
*
寝ようとしても、なかなか眠れなかった。
部屋の電気を消すと、机に伏せて置いたスマホのことばかり気になった。しばらくすると一度震え、少し間を置いてまた震えたが、今度は見ないと決めて布団を被った。
10分も耐えられなかった。
起き上がってクラスLINEを開くと、さっきまでの話はもう終わっていた。
《明日の英語って提出あったっけ》
《ない》
《よかった》
《数学はある》
《最悪》
普通の会話だった。
田中も、
《数学だけ》
と書いている。
ほんの少し前に、
《待ってる》
と送ってきた田中が。
千葉もスタンプを押していたし、高橋も普通に宿題の話をしていた。
俺は画面を閉じた。
トイレへ行くために廊下へ出ると、家の中は静かだった。母親も兄ももう寝ていて、台所には消し忘れた照明だけが点いている。冷蔵庫の音も、壁の時計も、いつもと同じだった。
自分の部屋へ戻るころには少しだけ気持ちが落ち着いたが、眠れたのは空が白み始める少し前だった。
*
朝、目が覚めて最初に考えたのは、学校を休むことだった。
母親に気分が悪いと言えば、それで済む。
昨日の夜のことを考えれば、行かない方がいいに決まっている。
それでも制服を出したところで、
【明日はまだいるよ】
という文章を思い出した。
休めば、その日、俺は学校にはいない。
それがユウの言葉と関係あるのかは分からないし、自分でも理屈になっていないことは分かっていた。それでも、休むこと自体が相手の言葉に従うような気がして、結局制服を着た。
いつものバスに乗った。
峰丘町から北瀬市の中心駅まではバスでいき、そこから自転車に乗り、1時間半ほどかけて通学する。田畑の間を抜けて住宅地へ入り、いつもの停留所で学生や会社員が乗ってくる。
駅が近づくにつれて、昨日よりも帰りたい気持ちが強くなった。
自転車で北瀬高校へ着き、昇降口で上履きに履き替え、階段を上がった。
2年2組の前まで来たところで足が止まった。
戸の向こうから笑い声がする。
昨夜、
《待ってる》
《大丈夫》
《頑張って》
と書いた連中が、この中にいる。
戸を開けた。
「おはよ」
田中だった。
いつもの声だった。
「……おう」
「英語やった?」
「何が」
「ワーク」
「ああ。一応」
「見せて」
「自分でやれ」
「ケチ」
田中は笑いながら自分の席へ戻っていった。
千葉も高橋もいつもと変わらず、阿部に至っては机へ伏せて寝ていた。
昨日のLINEについて聞こうと思ったが、教室の中では言い出せなかった。
30人近くいる前で、
「昨日、俺をどこへ連れていくつもりだった?」
なんて聞けば、俺の方がおかしい。
午前中は何も起きなかった。
授業が進み、休み時間になり、教師がくだらない雑談をする。いつもの学校だった。
昼前になるころには、昨日のことが少し遠くなったような気さえしていた。
そのとき千葉が俺の机の横を通った。
「菅原」
「ん?」
「頑張ってね」
俺は顔を上げた。
「……何を?」
千葉が立ち止まった。
「え?」
「今、頑張ってって言っただろ」
「ああ」
「何を?」
千葉は少し考えたが、困っているというより、自分がなぜそんなことを言ったのか分からないような顔をしていた。
「何だろ」
「何だろって」
友達から名前を呼ばれると、
「あ、行く」
と言って、そのまま離れていった。
俺はスマホを出し、昨夜の履歴を開いた。
千葉。
《大丈夫だよ》
同じ言葉ではない。
それでも何かが近かった。
午後、後ろから回ってきたプリントを阿部が俺へ渡した。
「大丈夫だから」
俺は受け取る手を止めた。
「何が?」
阿部も止まった。
「え?」
「今、大丈夫って」
「……言った?」
「言っただろ」
阿部は少し考えてから、
「何でもない」
と前を向いた。
掃除の時間には、高橋が雑巾を持ちながら、
「まあ、すぐ終わるって」
と言った。
「何が?」
「掃除」
すぐにそう返された。
確かに掃除の話をしていた。
それなのに、昨夜の、
《すぐだから》
が頭に浮かんだ。
終礼の少し前には、田中が俺の机を見て、
「そんな心配すんなって」
と言った。
「何を?」
「は?」
「何を心配すんなって?」
田中は眉を寄せた。
「数学の追試」
「俺、追試じゃないけど」
「あれ?」
田中は少し笑った。
「じゃあ誰だっけ」
そのまま別のやつへ話しかけた。
一つずつなら偶然で済ませられそうだったが、それが何度も続くと、教室にいること自体がだんだん嫌になった。
みんな普段通りだった。
だから余計に気持ちが悪かった。
*
終礼が終わると、教室はいつものように一気に騒がしくなった。
部活へ行くやつが着替え、帰るやつは鞄を持つ。
俺もすぐ帰るつもりだった。
田中が先に教室を出た。
少し遅れて千葉、高橋、阿部も出ていく。
特に一緒に帰っている様子ではなかった。
俺が鞄を持って廊下へ出ると、少し先を田中が歩いていた。
階段へ向かうと思ったが、途中で西側へ曲がった。
そっちは普段ほとんど行かない。
北瀬高校は、以前この辺りにあった複数の県立高校を再編してできた学校で、校舎の一部だけ今の生徒数には余っている。3階西側には、普通教室として造られたものの普段の授業ではほとんど使われない部屋が何室かあり、委員会や臨時の集まりなどに使われる程度だった。
田中は、その一番手前の教室へ入った。
俺は少し離れたところで止まった。
何かの集まりかと思った。
そのあとから千葉と女子が一人来た。
「今日雨降るって」
「傘ないんだけど」
普通に話しながら同じ教室へ入っていく。
高橋が来た。
阿部も。
さらに男子が二人。
全員、いつもと変わらなかった。無言で列を作っているわけでもなく、スマホを見たり、くだらない話で笑ったりしながら、ただ同じ教室へ入っていく。
何かの打ち合わせなら、俺が知らないだけなのかもしれない。
文化祭かもしれないし、勉強する約束でもしているのかもしれない。
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
【みんないるよ】
ユウだった。
続けて、
【あと菅原くんだけ】
俺は教室を見た。
みんな?
俺が入るところを見たのは、せいぜい7、8人だった。
戸は少し開いている。
中から話し声が聞こえた。
「それ絶対無理だって」
「次のテストいつ?」
「知らね」
笑い声。
田中の声が分かった。
千葉もいる。
高橋もいる。
そのあと、別の男子の声が聞こえた。
「今日部活どうすんの?」
その声のやつが、終礼後にジャージへ着替えて体育館へ向かうところを見ている。
さらに、さっき「じゃあな」と言って階段を下りていった男子の声まで聞こえた。
廊下の向こうには誰もいない。
教室の中では、何事もないように会話が続いていた。
俺は一歩だけ近づいた。
何人いるのか確かめたかった。
同時に、見たくなかった。
戸の隙間から見えるのは、夕方の光が入る普通の教室と、その中に並ぶ机や椅子、制服姿の背中だけだった。ただ、人の数だけが妙に多く、そこに何人いるのかまでは分からなかった。
スマホが震えた。
【あと菅原くんだけ】
「菅原」
田中の声がした。
俺は動かなかった。
「早く来いよ」
いつもの声だった。
千葉が、
「大丈夫だよ」
と言う。
高橋。
「待ってるって」
ほかの声も重なった。
「頑張れよ」
「すぐだから」
「大丈夫」
昨夜LINEで読んだ言葉が、知っている声になって教室の中から聞こえてくる。
俺はそのとき、自分があの教室へ入れば何かが終わるような気がした。
何が終わるのかは分からなかった。
それでも、中へ入ってはいけないということだけは強く感じた。
スマホ。
【来て】
俺は打った。
〈嫌だ〉
【なんで?】
〈行かない〉
【みんな待ってるよ】
「菅原?」
田中の声。
俺は一歩下がった。
ポケットの中でまたスマホが震えた。
【逃がさないよ】
走った。
廊下を戻り、階段へ向かった。
後ろから誰かが出てくると思った。
何も聞こえない。
階段を一気に下りる途中で、ポケットのスマホがまた震えた。
見なかった。
背後から足音はしない。
2階を過ぎたところで、昨夜の言葉がふいに頭へ浮かんだ。
【こっちに来るんだよ】
走りながら、その一文をもう一度思い出した。
あの教室とは、どこにも書いていなかった。
それ以上考える余裕もなく、そのまま1階まで下り、生徒玄関で上履きを脱いだ。靴を履く指がうまく動かなかった。
外へ出ると、校庭では野球部が練習を続けていて、体育館からはボールの弾む音が聞こえていた。駐車場では教師が車の後部座席へ荷物を積んでいる。
俺は靴紐もまともに直さないまま、その横を通り過ぎた。
ポケットの中でスマホが一度震えたが、取り出さなかった。
自転車に乗り、校門を出ても、後ろから誰かが来る気配はなかった。
*
家へ着くと、母親に、
「今日遅かったね」
と言われた。
「ちょっと学校で」
それだけ答えた。
夕飯を食べた。
テレビでは県内のニュースが流れていて、母親は明日の天気の話をした。俺も適当に返事をし、風呂へ入った。
自分の部屋へ戻るころには、学校で起きたことだけが妙に遠く感じられた。
スマホは机に置いたままにしていた。
何度か通知が入ったが、見なかった。
しばらくして、明日の数学の提出範囲が気になった。
クラスLINEを開いた。
《明日の数学、提出ある?》
《ある》
《何ページまで》
《最後までじゃね》
《マジか》
いつものやり取りだった。
少しして、ユウが書き込んだ。
【明日、一人いないよ】
《そっか》
《お大事に》
しばらくして、俺も返した。
《うん》




