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第十九章(2):学園生活の終焉と、愛の公言


数時間後、私たちは学園を訪れていた。


ルシアン様、両親、そして私の四人。


今日が、佐倉花として、この見慣れた制服に袖を通す最後の日になるのだと、門をくぐる前から胸が締め付けられた。

この教室も、この廊下も、もう二度と体験することはない。そう思うと、学校に足を踏み入れるのは、こんなにも重い気持ちになるものかと、改めて感じた。


校門をくぐる際、私はルシアン様とそっと手をつないだ。

彼の掌は、私の手を包み込むように優しく、その温かさが、私の不安を少しだけ和らげてくれた。

彼は何も言わず、ただ優しく握り返してくれた。




案内されたのは校長室だった。

中には、担任の山田先生と、教頭先生が既に座っていた。

二人の顔には、困惑と、どこか諦めのような、そしてほんの少しの緊張が浮かんでいた。


「校長先生、教頭先生、山田先生、お忙しいところ申し訳ありません」 お父さんが代表して切り出した。 「本日は、娘の花の退学についてご相談に上がりました」



するとルシアン様が、一段と厳かな声で言った。


「校長殿。佐倉花は、これより当学園を退学いたします。理由は、私、ルシアンと結婚し、共に北方の私の国『ノルヴェイグ』へ移住するためです」


山田先生は、驚きのあまり目を丸くしていたが、すぐに私とルシアン様の方を交互に見た。彼の瞳には、これまでの私たち二人の関係を思い出すような光が宿っていた。


「退学……ですか。今回の期末試験の佐倉さんの成績は優秀でしたよ……」 そこまで言って、山田先生は口ごもった。


きっと、私とルシアン様が親しくしていたのを見て、何か察していたのだろう。

彼は小さくため息をつくと、諦めたように、そしてどこか寂しそうに頷いた。


「……ルシアン君と、そういう関係だったのですね。花さんの意思でしたら、私としては何も言えません」


教頭先生も神妙な面持ちで頷く。


校長室には、重い沈黙が満ちていた。


校長先生は、これまでも様々な学生を見てきたせいか、取り乱すことなく、比較的冷静に状況を受け止めていた。


「承知いたしました。佐倉さんのご意思であれば、学園としても尊重せねばなりません。それでは、理事長の許可を得て参りますので、少々お待ちください」 校長先生はそう言って立ち上がり、校長室を出て行った。



私たちは校長室で待機していた。


しばらくすると、廊下から激しい足音と、甲高い声が聞こえてきた。



「ありえないわ!そんなの、絶対に認めない!」


扉が勢いよく開き、そこに立っていたのは、顔を真っ赤にし、息を荒げた加藤さんだった。


彼女の背後には、驚いた顔の校長先生と、そして理事長である彼女の父親の姿が見えた。どうやら校長先生が理事長に私たちの用件を伝えた際に、たまたま遊びに来ていた加藤さんがそれを聞いてしまったらしい。



加藤さんは、私たちを見るなり、興奮した様子で叫び出した。



「な、なに言ってるのよ、ルシアン様!そんなのありえない!ルシアン様が、この佐倉花なんかに!佐倉花は、ただの一般人じゃない!ルシアン様が、そんな人間を愛してるなんて、絶対認めない!」


彼女は私を指差して叫んだ。


その言葉は、まるでルシアン様への侮辱のように聞こえ、私の胸にもチクリと突き刺さった。



すると、ルシアン様の蒼い瞳が、まっすぐに加藤さんを捉えた。


その目には、先ほどリビングで見せたような、全てを凍てつかせるような、冷たく静かな怒りが宿っていた。


校長室の空気が、まるで数度下がったかのようにひんやりと感じられた。


「加藤殿」


ルシアン様の声が、氷のように、しかし絶対的な響きを伴って響いた。加藤さんはその声にたじろぎ、一瞬言葉を失った。


「私が佐倉花を愛しているか否か、それは貴様に判断できることではない」


ルシアン様は、感情を込めない、しかし絶対的な声で言った。

彼の言葉には、微塵の揺るぎもなかった。


「私は、佐倉花を、私のかけがえのない存在として深く愛している。彼女が、貴様が言うような『ただの一般人』であるなど、些末なことだ。いや、むしろ、彼女がこの世界で、その純粋な心で生きてきたからこそ、私はこれほどまでに彼女に惹かれ、愛しているのだ」


彼の言葉は、加藤さんだけでなく、そこにいる全員の心に深く響いた。

私自身も、彼の真剣な告白に、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。



ルシアン様の、真っ直ぐで揺るぎない愛の告白。私の全てを受け入れ、守ろうとしてくれるその言葉が、熱い奔流となって私の心を突き動かした。


加藤さんの侮辱的な言葉に傷つき、反論したい気持ちが抑えきれない。この感情を、この場で、ルシアン様への感謝と、彼を貶める者への反駁として、解き放ちたかった。



私は、ルシアン様の言葉に背中を押されるように、一歩前に出た。


加藤さんの目を見据え、はっきりと告げた。


「加藤さん、あなたは分かってないわ。私たちとルシアン様の関係は、あなたが今見ているような、この世界の身分とか財産とか、そんなちっぽけな物差しで測れるものじゃないの。あなたの常識とか、この学園のルールとか、全部飛び越えちゃうくらい、もっともっと大きな、特別な、スケールの違う絆があるんだから!」


私の言葉に、加藤さんの顔は、驚きと困惑でさらに歪んだ。

彼女の目には、私への怒りよりも、理解できないものを見たかのような、純粋な混乱が浮かんでいた。


校長室の他の大人たちも、誰もが信じられないものを見るように私たちを見つめていた。



そして、更に私は堰を切ったように、ルシアン様がいかに素晴らしいかを力説し始めた。


「だってね、ルシアン様は、本当に完璧なんだから!見た目だって、ほら見て!?この神々しい麗しさ!まさに天界の至宝!もう、まぶしすぎて直視できないレベルでしょ!?」


私は感極まって、自分の両手を広げ、まるでルシアン様を讃えるように言った。


「それにね、北方の王子としても、国民のことを誰よりも深く愛してらっしゃるし、どんな困難な問題だって瞬時に解決しちゃうんです!頭脳明晰、カリスマ性抜群!強さだって、もう誰も逆らえないくらい最強なんだから!それでいて、私みたいな一般人のことだって、ちゃんと守ってくれるし、優しさは宇宙規模!まさに至高の存在!ね、これって、もう奇跡でしょ!?ルシアン様は私の生きる糧、呼吸する理由、存在意義そのものなんだから!推しがいる人生って、本当に本当に、最高なんだからねっ!」


私の興奮した語り口に、校長室の面々は呆気に取られていた。


お父さんは苦笑いを浮かべ、お母さんは「こら、花」と小さく言いながらも、その目にはどこか温かいものがあった。


ルシアン様はなぜか誇らしげに、しかし少し照れたように微笑んでいた。


加藤さんは、私のあまりの熱弁に、呆然と口を開けていたが、その表情には、どこか呆れるような、しかし少しだけ呆然としたような色も混じっていた。



私は、加藤さんの顔をまっすぐ見つめ、先ほどの興奮とは打って変わって、静かに語りかけた。



「だからね、加藤さんも、何か『推し』を見つけるといいよ。誰かを心から応援したり、大好きになったりする気持ちって、本当に人生を豊かにしてくれるから!世界の見え方が、ガラッと変わるからね!今のあなたに必要なのは、そういう、自分の外に心を向けることなんじゃないかな?誰か一人でいい。心から尊敬して、憧れて、その人のためなら何でも頑張れるって思えるような、そんな存在を見つけたら、きっと人生、すごく楽しくなるよ!」


ルシアン様は、加藤さんの目をじっと見つめた。その瞳の圧力に、加藤さんは顔をそむけそうになったが、ルシアン様の視線はそれを許さなかった。


「加藤殿。他者の心や価値を、己の基準で勝手に測り、貶めることは、人としてあるまじき行為だ。真に価値あるものは、身分や肩書ではない。己が何者であるか、そして、何を大切にし、どう生きるか、だ。貴様は、この学園の理事長である父親を持つという身分にあぐらをかき、その最も基本的なことを忘れている」


ルシアン様の言葉は、一つ一つが重く、加藤さんの胸に突き刺さった。


彼女は、みるみるうちに顔を青ざめさせ、唇を震わせた。彼女の白い頬が、怒りというよりは、羞恥と衝撃で赤く染まっていくのが分かった。


「そ、そんな……私、そんなこと……」


加藤さんの目に、大粒の涙が溢れ出した。彼女は、崩れるようにその場に座り込んだ。


「私は、ただ、ルシアン様が…何の後ろ盾もない『佐倉花』なんかを選ぶのが、理解できなかっただけで……」


彼女は言葉を途切れさせながら、震える声で続けた。


「私だって、お父様や、お母様に、誇りを持って生きなさい、人の上に立つ者としての器を磨きなさいって、ずっと言われてきたのに……。なのに、どうして、私は……」


加藤さんの表情は、悔しさよりも、自己嫌悪と、親の期待に応えられなかったという苦痛に満ちていた。彼女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆い隠し、深くうなだれた。

その肩は、ひっそりと震えていた。


「お父様にも、お母様にも……こんな情けない姿、見せられない……」


彼女の悲痛な叫びが、校長室に響き渡った。




その場に重い沈黙が落ちる中、ルシアン様は冷静に理事長を見据えた。


「理事長殿。我々の申し出、ご承認いただけますか」 ルシアン様の問いかけに、理事長は娘を抱きかかえながら、震える声で答えた。


「あ,ああ……承知いたしました。学園としても、佐倉さんのご意思を、そして……その、ルシアン様の、お気持ちを尊重させていただきます。手続きは、後日改めてご連絡いたします」

理事長は、おそらく娘のことで頭がいっぱいなのだろう。呆然としながらも、事務的な返答をした。


校長先生や教頭先生、山田先生も、ただ静かにその様子を見守っていた。もう、何も言える雰囲気ではなかった。

私たちは、その後、簡単な挨拶を済ませて校長室を後にした。


廊下を歩く間も、校長室からかすかに聞こえてくる加藤さんのすすり泣く声が、私の耳に届いていた。


正直、少しだけ心が痛んだ。

彼女も、また違う形で苦しんでいるのかもしれない。



学園の門を出て、私は大きく息を吐いた。なんだか、ものすごい嵐の中を潜り抜けてきたような気分だ。肩からすっと力が抜けていくのを感じた。


「は、はは……なんというか、壮絶でしたね……」 お父さんが、乾いた笑いを浮かべて言った。


お母さんも、まだ少し頬がひきつっている。



ルシアン様は、先ほどの怒りはどこへやら、いつもの落ち着いた表情に戻っていた。

ただ、私の手はしっかりと握られたままだ。彼の掌から伝わる温もりが、私を安心させてくれる。



帰り道は、なぜかとても清々しく感じられた。


学園でのあれこれ、そしてルシアン様の堂々たる宣言。


それは、私たちが元の世界に帰るための、そしてルシアン様が私をどれほど大切に思っているかを示す、確かな道標だった。



「ねえ、ルシアン様」 私がそっと呼びかけると、彼は私の顔を覗き込んだ。


「この世界の結婚式、どんなのにしようかなあ」 そう言うと、ルシアン様は少し考えて、私の頭を優しく撫でた。


「そうだな。お前が望む形が一番だ。共に考えよう、セラフィナ」 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。


夕暮れの道を、両親とルシアン様と共に歩く。

冷たい冬の空気が頬を撫でるけれど、隣を歩く大切な家族との時間は、今はただ、ひどく愛おしく感じられた。


自宅の明かりが見えてきた。玄関の扉を開けると、いつものリビングの温かさが私たちを包み込む。


そして、リビングには、アルドロンさん、カスパール君、ローゼリアちゃんも揃って座っていた。


「ただいま」 私がそう言うと、三人は穏やかな笑顔で応えてくれた。


「おかえり!」


(もしかしたら、もう二度とこの家に帰ってくることはないかもしれない、と一時は覚悟していたのに……)


私はルシアン様を見上げた。彼もまた、穏やかな目で私を見つめ、頷いた。


「ああ、ただいま」



これで、佐倉花としての私の学園生活は、完全に終わりを告げた。


そして、これからは、ルシアン様と共に歩む、新たな人生が始まるのだ。




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