第十七章(3):聖夜の魔王、その告白(ルシアンside)
クリスマスイブの夜。佐倉家の玄関ホールで、俺はセラフィナの姿に目を奪われ、完全に固まってしまっていた。
彼女は俺が選んだ服に身を包んでいる。
オフホワイトのカシミヤニットとネイビーのフレアスカート。
ボトルネックのニットが、彼女の華奢な首筋を美しく見せ、控えめながらも洗練された印象を与えている。
ふわりと広がるスカートは、動くたびに優雅なドレープを描く。
なんてことだ。セラフィナが、こんなにも美しく着飾っている。
俺が選んだ服が、これほどまでに彼女の魅力を引き出すとは。
まるで、夜空に輝く満月のようだ。いや、それ以上だ。
これまで見てきたどんな景色よりも、何よりも、彼女の存在そのものが俺の心を揺さぶる。
完璧なデータ分析でも導き出せなかった、この圧倒的なまでの美しさ。
俺は、精一杯の言葉を紡ぎ出す。
「セラフィナ…その装い…あまりにも…あまりにも、見事だ。月光すら霞む輝き、星々もその美しさの前では色褪せるだろう。筆舌に尽くしがたい…この俺の語彙では到底表現しきれぬ美しさだ…」
彼女は頬を染め、はにかむ。その愛らしい仕草に、俺の胸は温かくなる。
「ルシアン様…その服、すごくお似合いです!」 俺は満足げに微笑んだ。
「お前が選んでくれたのだ。似合わないはずがない」
帝都中央のイルミネーションを二人で歩く。
街路樹のきらびやかな電飾、ショーウィンドウの飾り付け、行き交う人々の幸せそうな笑顔。
彼女の瞳には、イルミネーションの光が反射して宝石のようにキラキラと輝いている。
「わぁ…!綺麗…!」
「ルシアン様…私、ずっと憧れてたんです」 彼女がそっと俺の腕に手を絡める。
「ずっと剣道一筋で、クリスマスだってなんだって関係なかったんです。でも、好きな人とクリスマスイブにデートって…本当に憧れでした」
彼女の言葉に、俺は微笑んだ。
彼女の手袋をしていない手をそっと握り、そのまま俺のコートの大きなポケットにそっと入れた。
彼女の手は、こんなにも小さく、そして冷たいのか。俺が温めてやらねば。
ポケットの中は、外界の喧騒から隔絶された、二人だけの聖域だ。
彼女の頬の赤み、輝く瞳、そしてこの笑顔…全てが、俺の心を穏やかに満たしていく。
この幸福感が、永遠に続けばいいと、心から願った。
食事を終え、帝都を見下ろす高台へと向かう。
満月が輝き、俺たちの影が足元から遙か先まで長く描かれた。この光景が、俺とセラフィナの未来を確かに示しているかのようだった。
ひんやりとした冬の空気が頬をぴりりと刺激したが、隣に立つセラフィナの温もりがそれを和らげた。
眼下に広がる夜景は、無数の輝きが瞬き、この街で生きる人々の営みを物語っていた。
俺は、セラフィナの左手の薬指に輝く婚約指輪に、そっと触れた。
この指輪が、彼女の指に、確かに存在している。この光景を、俺はどれほど待ち望んだことか。
ヴェクスとの戦い、魔界での日々、そして再会…全てが、この瞬間のためにあったのだと、改めて実感する。
セラフィナの温かい肌の感触が、俺の指先に、確かに伝わってくる。この温かさこそが、俺の生きる意味だ。
俺の声は、夜空の下に静かに響いた。
「セラフィナ…お前との出会い。ガイアの勇者として、共に悪魔ヴェクスと戦った頃…あの頃は、お互い、決して口にしてはいけない想いだと思っていた」
「それから、俺が魔界に行き、魔王となった。そして、宝珠の力で、お前が俺を探していてくれたこと…人間界でお前が『推し活』をしてくれていたこと…全て、俺は見ていた」
俺は、ずっと彼女を見ていた。彼女が俺を信じ、俺を求めてくれていたこと。その純粋な想いが、どれほど俺の支えになったことか。
魔王として、全ての感情を抑制するつもりだった俺の心が、彼女の存在によって、再び色を取り戻したのだ。
「人間界に戻り、お前と再会し、互いの想いを打ち明けて恋人になった。そして、共に魔界に行って…俺が幼少期からずっと夢に見ていた女性が、佐倉花、お前だったと知った」
俺は彼女の頬にそっと手を添え撫でる。
「それからの婚約…全てが、運命だったとしか思えない。こんなにも愛おしい存在は、他にはいない。いるわけがない」 俺は彼女をまっすぐに見つめる。
「だが…もし、この佐倉花の世界に残りたいと願うのなら…両親と共に生きたいのであるのなら…それは、本当に大切な存在であるお前だからこそ、お前の人生が幸せであることが俺の幸せだから…だから、残りたいなら、残ってもいい」
もし、彼女がこの世界を選ぶのなら…俺は、彼女の幸せを最優先する。
それがどれほど辛くとも、彼女の笑顔こそが俺の望みだ。
だが、この胸の痛みは、何なのだ…彼女を失う恐怖が、こんなにも俺の心を締め付けるのか。
セラフィナは静かに首を横に振った。
その瞳からは大粒の涙が溢れ落ちているが、一切の迷いもない。
「ルシアン様と、離れないと言ったではありませんか」 彼女の声は、涙で少し震えていたが、その瞳には一点の迷いもなかった。
「あの時、ルシアン様が魔界から人間界に戻った時に、そう誓いました。それからの私には、もう迷いはないです」 彼女は俺の胸に飛び込んできた。
俺の腕は自然と彼女の背に回され、彼女を強く抱きしめた。
彼女が、俺を選んでくれた…!この胸の奥から湧き上がる安堵と歓喜は、何なのだ。
俺の腕の中に、確かに彼女がいる。温かい。柔らかい。これほどまでに、俺は幸福を感じられるのか。
「私は、あなたと共に、永遠に生きたい」
彼女の言葉に、俺はさらに強く彼女を抱きしめた。
そして、ゆっくりと、ゆっくりと、顔を近づけていく。
口づけ…この人間界における、恋人たちの親密な行為。
事前に映像記録で学習はしたが、果たして俺に、彼女を満足させるような完璧な口づけができるのか?いや、完璧である必要はない。
ただ、俺の全ての想いを、この行為に乗せて伝えたい。
しかし、どこに、どのように触れるべきか…彼女の唇は、まるで熟した果実のように、俺を誘っている…。
ぎこちなく、俺の唇が彼女の唇に触れた。
セラフィナの唇は…想像していたよりもずっと柔らかく、微かに甘い香りがした。
温かく、そして、その感触は、俺の全ての感覚を集中させた。
ああ、この温かさが、俺の渇いた心を潤していくようだ。
この奇妙な、しかし抗いがたい感覚は……。
しかし、これで良いのか?
この行為は、彼女にとって、満足のいくものなのか?
俺はそっと顔を離し、彼女の顔をじっと見つめた。
「…セラフィナ。これで、よいのか?この、恋人たちの…儀式は」
彼女は満面の笑みで言った。
「はいっ!最高です!ルシアン様!」
彼女の言葉に、俺は安堵し、再び彼女を強く抱きしめた。
良かった…彼女は、これで良いと言ってくれた。俺のこの、不完全な行為を、彼女は受け入れてくれたのだ。
この胸の安堵と、満たされるような感覚は…何よりも『尊い』
彼女が抱きしめる腕を緩め、小声で尋ねる。
「あの、ルシアン様……その、キスって、どこで知ったんですか?」
「ああ……これは、その……以前、お前に話した通り、この世界の『駆け引き』という概念を学ぶ際に、『帝都ラブストーリー』という映像記録を確認した。その中に、この行為の一例が……その、示されていた……」
彼女の瞳の奥に、何か面白がるような光が、はっきりと見て取れるのは、気のせいではないだろう……だが、その悪戯っぽい瞳も、また愛おしい。……しかし、次は必ず、完璧な知識と実践で、お前を驚かせ、決してこんな言葉を言わせまい。
(ルシアンは、そう心に誓った。)
その誓いを胸に、この状況を打開すべく、俺はゆっくりと腕を緩め、懐からベルベットの箱を取り出した。
「セラフィナ。これは…俺からの、クリスマスプレゼントだ」 箱を開けると、そこには繊細な細工が施された、漆黒の桜の花の髪飾りが鎮座していた。
「わぁ…!漆黒の桜…!こんなに綺麗なものは初めて見ました…!珍しいですね…!」 彼女が感嘆の声を上げるのを見て、俺は喜びを覚えた。
「ああ。この黒き桜は、セラフィナの燃えるような紅い髪によく似合うと思ったのだ」 彼女の輝く紅い髪に、この漆黒の桜が映えるだろう。
彼女の喜びの顔が見たい。俺の選んだものが、彼女を笑顔にするのなら、それ以上の喜びはない。
「ルシアン様!ありがとうございます!大切にします!」 彼女は、思いっきり俺に抱きついた。
そして、熱くなった頬を俺の頬に擦り寄せるように、今度は彼女の方から俺の唇にそっとキスをした。
なっ……!?
セラフィナが、俺に……キスを!?
またしても、不意を突かれた……!
しかし、この唇の柔らかさ……先ほどよりも、もっと深く、俺の心に染み渡る。予測不能なこの喜びは、何なのだ……頬が熱い……。この予測不能な行動も、また彼女の魅力の一つか。だが、次はこの俺が、完璧な形で彼女を驚かせてみせる……!
この甘やかな衝撃に意識を奪われつつも、次に起こすべき行動を分析しようとした、その時、 彼女が慌てて謝る。
「あ、あの…ルシアン様…ごめんなさい!私、プレゼント…何も用意してなくて…!」 俺は首を傾げた。
「気にする必要はない、セラフィナ。俺はお前に何かを期待して贈ったわけではないのだから」
「でも、後日、絶対何かプレゼントさせてください!」 彼女は申し訳なさそうにそう言った。
俺は彼女の手を取った。
「セラフィナ。お前がいてくれるだけでいい。お前を俺へのプレゼントにしてくれないか?それ以上のものなど何もいらない」
彼女はなぜか顔を真っ赤にしていた。
俺はただ、彼女の存在そのものが、俺にとって最高の贈り物だと言いたかっただけなのだが…。
「何か?セラフィナ」
俺は問いかけた。すると、彼女は俺にしか聞こえないように、そっと耳元に唇を寄せた。
「ルシアン様、この世界ではね、『あなたを私にプレゼント』って、ルシアン様に私の…その…私そのものをあげるという、ものすごーく、あ、あの…深い意味合いになることもあるんですよ…」
な、なんだと…!?
そのような深い意味合いが、あの言葉に…俺は、そのような不純な意図で言ったわけではない!
彼女の純粋な心を、俺が汚してしまうのか…!?
いや、しかし…もし、本当に、セラフィナが…俺に…その…身体を捧げてくれるというのなら…いや、不純だ!
俺は、彼女の全てを愛しているが、その意味で、そのような意図では…しかし…。
以前偶然見てしまったグラビアアイドルの雑誌のイメージが鮮烈にフラッシュバックした。
もし、セラフィナが、あの雑誌の女性のように、軽装で飾られた姿で、はにかむように「ルシアン様……」と囁いたら…。
俺の高貴な理性は、この世界の文化的な意味合いを理解した途端、一瞬にして崩壊寸前まで追い込まれる。
心の奥底に抑えつけていた純粋な独占欲と、抗いがたいほどの激しい熱が、奔流のように押し寄せてきた。
再び、俺の中に、何か抑えきれないほどの熱が宿った。
「はっ……!そ、そのような意味では……断じてない!」 俺は、首を振った。
「断じて、お前が今言ったような、深い意味合いで言ったわけではない! これは、あくまで純粋な感謝と……!俺が望むは、セラフィナの存在そのものだという意味であって……!」
彼女はくすりと笑った。
俺のこの完璧ではない、しかし真摯な感情が、彼女に伝わっていることを願う。
俺の全ては、彼女のためにあるのだから。
この聖夜の告白と誓いを経て、俺は、この世界の「恋人たちの関係性」について、より深く理解する必要性を痛感した。
特に、あの唇の感触、そして俺の脳裏に焼き付いたセラフィナの甘い吐息……。
あれは、単なる「儀式」ではない。
もっと奥深い、互いの魂を繋ぎ合わせる行為なのだと直感した。
俺は改めてアルドロンに、彼の『研究成果』について協力を仰いだ。彼が最近没頭しているという、この世界の「恋愛に関する多種多様な映像記録や文献」、特に『薄い本』と呼ばれるものに至るまで、その内容を精査する必要があると判断したのだ。
アルドロンは、俺の尋常ではない熱意に少々引き気味ではあったが、研究者としての探求心からか、快く協力してくれると申し出た。
カスパールもまた、ローゼリアとの関係を深める上で同様の情報を求めているようだったため、今後は男性陣全体で、この世界の「愛情表現」について、より実践的な知識を共有していくことになった。
完璧な魔王たる俺が、この愛おしい女性のために、あらゆる障壁を乗り越えねばならない。
この身を捧げ、セラフィナの全てを理解し、彼女を至上の幸福へと導くためならば、いかなる「研究」も厭うことはない。




