第十七章(2):聖夜の告白と、永遠の誓い
クリスマスイブの夜。
佐倉家の玄関ホールで、私はドレスアップした自分の姿に、少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
私が着ているのは、柔らかなオフホワイトのカシミヤニットと、上品なネイビーのフレアスカートのセットアップだ。
この服は、私たちが日本に来たばかりの頃、初めて訪れたショッピングモールで、ルシアン様が「セラフィナに似合うだろう」と真剣な顔で選んでくれたものだった。
ボトルネックのニットは、私の首筋を美しく見せ、控えめながらも洗練された印象を与えている。
ふわりと広がるフレアスカートは、動くたびに優雅なドレープを描き、普段は剣道着やカジュアルな服装が多い私だが、この夜はまるで物語のヒロインになったみたいで、なんだかソワソワしてしまった。
その時、ルシアン様が私の前に現れた。
ルシアン様は、上質なチャコールグレーのダブルブレストコートを纏い、その流れるようなシルエットが彼の長身を一層際立たせていた。
ボタンを全て留めた端正な佇まいからは、ちらりと覗く深いブリティッシュグリーンのタートルネックニットが、彼の蒼い瞳の色と呼応するように神秘的な雰囲気を醸し出す。
体に沿いつつも動きやすそうなダークトーンのヘリンボーン柄のスラックスに、重厚感のある黒のレースアップブーツ。
彼の装いからは、この特別な夜への気品と、私への配慮が伝わってくるようで、思わず見惚れてしまった。
しかし、ルシアン様は、私の姿に目を奪われたまま、完全に固まってしまっていた。
彼の蒼い瞳が、いつもと違う私を捉え、ゆっくりと、まるで解析するように私を見つめる。
「セラフィナ…その装い…あまりにも…あまりにも、見事だ。月光すら霞む輝き、星々もその美しさの前では色褪せるだろう。筆舌に尽くしがたい…この俺の語彙では到底表現しきれぬ美しさだ…」
まるで論文を読み上げるように、真剣な顔で、しかし異常なまでに褒めちぎるルシアン様に、私の頬はさらに熱くなった。
ここまで褒められると、なんだか面白くて、でもものすごく愛おしい。――やっぱりルシアン様、最高!
「ルシアン様…その服、すごくお似合いです!」 私がはにかむと、ルシアン様は満足げに微笑んだ。
「お前が選んでくれたのだ。似合わないはずがない」 その言葉に、胸がキュンとなる。
ルシアン様ったら、本当に優しいんだから。
私たちは、連れ立って帝都中央のイルミネーションを見にやってきた。
駅前広場から伸びるメインストリートは、LEDの光で彩られたアーチが連なり、まるで光のトンネルのようだった。
街路樹にはきらびやかな電飾が絡みつき、ショーウィンドウのディスプレイもクリスマス仕様に飾り付けられている。
通りを行き交う人々は皆、色とりどりのマフラーや手袋に身を包み、幸せそうな笑顔を浮かべている。私もお気に入りのフワフワのマフラーに顔を埋めていた。
「わぁ…!綺麗…!」
私は、思わず感嘆の声を漏らした。イルミネーションの光が、私の視界いっぱいに、宝石のようにキラキラと輝いた。
「ルシアン様…私、ずっと憧れてたんです」 私は、少し照れたようにルシアン様の腕にそっと手を絡めた。彼の腕からは、コートの暖かさが伝わってきた。
「ずっと剣道一筋で、クリスマスだってなんだって関係なかったんです。でも、好きな人とクリスマスイブにデートって…本当に憧れでした」 私の言葉に、ルシアン様は優しく微笑み、手袋をしていない私の冷えた手をそっと握り、そのまま彼のコートの大きなポケットにそっと入れてくれた。
彼の指は、私の手を包み込むように温かく、ポケットの中は二人だけの秘密基地みたいで、安心感を与えてくれた。
イルミネーションを楽しんだ後、私たちは、アルドロンさんの協力のもと、ルシアン様が事前に調べておいたという、少し洒落たレストランで食事をした。
窓からは、煌めく街の夜景が広がり、テーブルにはキャンドルの柔らかな光が灯る。
運ばれてくる料理は、見た目も美しく、香り豊かで、私たちの会話を弾ませた。
食事が終わり、私たちは帝都を見下ろす高台へと向かった。
そこは、街の喧騒から離れた、人影もまばらな場所だった。
夜空には満月が輝き、私たちの影が地面に長く、優しく伸びていた。まるで、私たち二人のこれからを、光が描いているみたいだった。
ひんやりとした冬の空気が頬を撫で、ルシアン様の温かい手がより一層頼もしく感じられた。
眼下に広がる帝都の夜景は、ただの光の集まりではなかった。まるで天上の星々が地上に降り注いだかのように、無数の輝きが瞬き、一つ一つの光が、この街で生きる人々の営みを物語っているようだった。遥か遠くで車の音が小さく響き、それがかえって私たち二人の間の静寂を際立たせた。
ルシアン様は、私の左手の薬指に輝く婚約指輪に、そっと触れた。
彼の指先が、指輪の冷たい金属と、私の温かい肌の感触を確かめる。その指輪がそこにあることに、彼の心は深く安堵しているのだろうか。
「セラフィナ…」
ルシアン様の声が、夜景に溶け込むように響いた。普段の彼からは想像できないほど、少しだけ震えているように聞こえた。
「お前との出会い。ガイアの勇者として、共に悪魔ヴェクスと戦った頃…あの頃は、お互い、決して口にしてはいけない想いだと思っていた」
ルシアン様の言葉に、私は静かに頷いた。
あの頃の二人の関係は、世界の命運を背負う勇者と、その仲間という立場だった。私的な感情は、世界の平和の前には些末なものだと、二人とも無意識のうちに抑え込んでいた。
「それから、俺が魔界に行き、魔王となった。そして、宝珠の力で、お前が俺を探していてくれたこと…人間界でお前が『推し活』をしてくれていたこと…全て、俺は見ていた」
私はあの頃を思い出し、懐かしさにも似た感慨が込み上げてきた。
もう知っていることとはいえ、改めて彼の口から聞くと、あの情熱が今こうして現実になっていることに胸がいっぱいになる。穏やかな気持ちで、私はそっとその言葉を受け止めた。まるで遠い日の良い思い出を反芻するかのように。
「人間界に戻り、お前と再会し、互いの想いを打ち明けて恋人になった。そして、共に魔界に行って…俺が幼少期からずっと夢に見ていた女性が、佐倉花、お前だったと知った」
ルシアン様は、私の頬にそっと手を添えた。彼の指先が、私の熱くなった頬を優しく撫でる。
「それからの婚約…全てが、運命だったとしか思えない。こんなにも愛おしい存在は、他にはいない。いるわけがない」
彼の蒼い瞳が、夜景の光を映し、私をまっすぐに捉える。その瞳には、深い愛情と、揺るぎない決意が宿っていた。ルシアン様の言葉一つ一つが、私の心の奥底に染み渡っていく。
ルシアン様は、言葉を切った。
そして、苦しそうに、しかし、震える声で続けた。その声には、彼の心の葛藤が痛いほどに滲んでいた。
「だが…もし、この佐倉花の世界に残りたいと願うのなら…両親と共に生きたいのであるのなら…それは、本当に大切な存在であるお前だからこそ、お前の人生が幸せであることが俺の幸せだから…だから、残りたいなら、残ってもいい」
ルシアン様の言葉は、愛する私の幸せを第一に考え、私の選択を尊重しようとする、彼の深い愛情の表れだった。
もし私がこの世界に残ることを選んだとしても、彼はそれを祝福し、自身の苦しみを押し殺す覚悟を示しているのだ。
私は、ルシアン様の言葉に、静かに首を横に振った。
私の瞳からは、大粒の涙が溢れ落ちていた。
「ルシアン様と、離れないと言ったではありませんか」 私の声は、涙で少し震えていたが、私の言葉には、一点の迷いもなかった。
「あの時、ルシアン様が魔界から人間界に戻った時に、そう誓いました。それからの私には、もう迷いはないです」 私は、ルシアン様の胸に飛び込んだ。彼のカシミヤニットの柔らかな感触と、温かい体温が、私を包み込む。彼の腕が、自然と私の背に回され、強く抱きしめられた。
「私は、あなたと共に、永遠に生きたい」 私の言葉に、ルシアン様は私をさらに強く抱きしめた。
彼の腕の中で顔を上げると、私たちの間に流れる空気が、一瞬で熱を帯びたように感じられた。
ルシアン様の規則正しい息遣いが、私の頬に優しく触れる。
彼の視線が私の唇に釘付けになっているのが分かり、私の心臓は高鳴り出した。
そして、ゆっくりと、ゆっくりと、まるでこれから古の儀式を執り行うかのように、神妙な面持ちで顔を近づけてくる。
彼の蒼い瞳が、迷いと、わずかな戸惑いを宿しているのが分かった。…いや、これは戸惑いどころではない。まるで、キスという概念を初めて目の当たりにした研究者のように、真剣そのものだ。
普段の完璧なルシアン様からは想像もつかない、その不器用で妙に間のある動きに、私の胸は甘く締め付けられた。――推し尊い!ルシアン様、可愛すぎて無理!!
ぎこちなく、彼の唇が私の唇に触れた。
それは、深く情熱的なキスというよりは、「これで合っているのか?」と確認するかのような、探るような、実に模範的な「ファーストキス」だった。
触れるか触れないかの、遠慮がちな、しかし真摯な触れ合い。
そして、ルシアン様はそっと顔を離し、蒼い瞳で私の顔をじっと見つめた。
その表情は、不安と、わずかな期待に満ちている。
「…セラフィナ。これで、よいのか?この、恋人たちの…儀式は」
その一言に、私は完全にノックアウトされた。
魔王たるルシアン様が、こんなにも不器用で、こんなにも純粋に、私の反応を伺っているなんて。愛しさが爆発して、たまらない気持ちになった。
涙が溢れ出すと同時に、幸福感で思わず笑みがこぼれた。
「はいっ!最高です!ルシアン様!」
私の言葉に、ルシアン様は安堵したように目元を緩め、私を再び強く抱きしめた。
安心しきった彼の背中に腕を回しながら、ふと、私の中に意地悪心が芽生えた。
「あの、ルシアン様……その、キスって、どこで知ったんですか?」
わざと小声で、彼をからかうように尋ねると、ルシアン様は抱きしめる腕を緩め、わずかに顔を赤らめ、気まずそうに私を見た。
「ああ……これは、その……以前、お前に話した通り、この世界の『駆け引き』という概念を学ぶ際に、『帝都ラブストーリー』という映像記録を確認した。その中に、この行為の一例が……その、示されていた……」
ルシアン様の真面目すぎる、そして予想外の答えに、私は思わず噴き出しそうになるのを必死で堪えた。
(まさか、あの魔王様が恋愛ドラマから唇へのキスを!?しかも「駆け引きを学ぶため」って、どんな学問だよ!もう、可愛すぎてどうにかなりそう!)
そして、彼はゆっくりと腕を緩め、懐からベルベットの箱を取り出した。
「セラフィナ。これは…俺からの、クリスマスプレゼントだ」
箱を開けると、そこには繊細な細工が施された、漆黒の桜の花の髪飾りが鎮座していた。花びら一枚一枚が艶やかに光を反射し、中心には小さなブラックダイヤモンドが煌めいている。
「わぁ…!漆黒の桜…!こんなに綺麗なものは初めて見ました…!珍しいですね…!」 私が感嘆の声を上げると、ルシアン様は優しい眼差しで私を見つめた。
「ああ。この黒き桜は、セラフィナの燃えるような紅い髪によく似合うと思ったのだ」 彼の言葉に、私の心は温かい光に包まれた。この髪飾りは、彼の私への深い想いの証だ。
「ルシアン様!ありがとうございます!大切にします!」
私は、喜びを抑えきれずに、思いきりルシアン様に抱きついた。
そして、熱くなった頬を彼の頬に擦り寄せるように、今度は私の方から彼の唇にそっとキスをした。
私の不意打ちの口づけに、ルシアン様の顔はみるみるうちに真っ赤に染まり、蒼い瞳は驚きに見開かれていた。
普段の完璧な彼からは想像もつかない、その愛らしい反応に、私の胸は再び「推し」への熱い感情でいっぱいになった。
温かい余韻に浸りながら、ふと、私は焦燥感に駆られた。
そうだ、ルシアン様は私にプレゼントをくれたのに、私は何も用意していない!
まさか、魔王であるルシアン様が、クリスマスの文化をここまで調べて、プレゼントまで用意してくれるなんて、全く想像していなかったのだ。
「あ、あの…ルシアン様…ごめんなさい!私、プレゼント…何も用意してなくて…!」 慌てて謝る私に、ルシアン様は優しく首を傾げた。
「気にする必要はない、セラフィナ。俺はお前に何かを期待して贈ったわけではないのだから」 彼の言葉に少し安堵しつつも、私はやはり申し訳なくて、顔を上げた。
「でも、後日、絶対何かプレゼントさせてください!」
私がそう言うと、ルシアン様は私の手を取り、温かい眼差しを向けた。
「セラフィナ。お前がいてくれるだけでいい。お前を俺へのプレゼントにしてくれないか?それ以上のものなど何もいらない」
ルシアン様の言葉に、私の頬は一気に熱を持った。
彼の瞳は純粋で、悪気など一切ないのがわかる。
でも、この世界の文化では「君が僕へのプレゼント」なんて、かなり意味深な……まさか、そんな意味まで分かって言ってるわけじゃないよね、この天然魔王は!?
私の顔が真っ赤になっているのを見て、ルシアン様は少し首を傾げた。
「何か?セラフィナ」
私は、彼にしか聞こえないように、そっと耳元に唇を寄せた。
「ルシアン様、この世界ではね、『あなたを私にプレゼント』って、ルシアン様に私の…その…私そのものをあげるという、ものすごーく、あ、あの…深い意味合いになることもあるんですよ…」
私の説明を聞いた瞬間、ルシアン様の蒼い瞳が大きく見開かれた。
みるみるうちに、彼の顔は耳まで真っ赤に染まり、先ほどまでの冷静さはどこへやら、珍しく口ごもった。
「はっ……!そ、そのような意味では……断じてない!」
ルシアン様は、はっと息を呑み、大きく首を振った
「断じて、お前が今言ったような、深い意味合いで言ったわけではない! これは、あくまで純粋な感謝と……!俺が望むは、セラフィナの存在そのものだという意味であって……!」
必死で否定するルシアン様の、その動揺ぶりがたまらなく愛おしくて、私は思わずくすりと笑ってしまった。
そうか、キスはテレビで『概念』として学習できても、こういう行間の『意味合い』までは、まだまだ勉強中なんだ。完璧な魔王様なのに、こんなにも人間らしい戸惑いを見せるルシアン様が、可愛くて、本当にたまらない。
やっぱり、私の推しは最高だ!
完璧でありながら、時に愛おしいほど不器用な魔王ルシアン様と、その『推し』の全てを心から受け止める私。互いを最高のギフトだと分かち合った私たちの誓いは、甘く、時に微笑ましい、永遠の愛の証として結ばれた。




