第十四章(1):期末と、それぞれの日常、そして新たな「学び」
お母さんが異世界から帰還して以来、佐倉家の食卓は、以前とは全く異なる雰囲気に包まれていた。
異世界の壮大な光景を実際に目にし、私たちの話が真実であったと身をもって理解した母は、もう完全に殻を破ってしまっていた。
まるで、物語のヒロインにでもなったかのように、目を輝かせながらルシアン様を「ルシアン様!」と呼ぶのだ。その瞳には、憧れと尊敬の光がこれでもかと宿っている。
そして、私に対しては「あなた、セラフィナなのね!?」と、まるで長年の謎が解けたかのように、目を皿にして尋ねてくる。
「ねえ、一度寿命を迎えてるって、それから転生したって、あなた本当は何歳になるのよ!?」
いや、お母さん、それ聞く?って感じなんだけど、本人は至って真剣だ。
私の婚約についても「本当に良かったわねえ、花!あんな素敵なルシアン様と結婚できるなんて、夢みたい!」と、もう自分のことのように、いや、私以上に喜んでしきりに言うから、なんかこっちが照れちゃうくらいだ。
毎日のように、食卓では母による異世界での体験談や、物語の登場人物たちについての熱弁が繰り広げられた。
ルシアン様やアルドロンさんも、彼女の問いかけに丁寧に答え、時折異世界の文化や歴史の話で盛り上がるから、もう食卓は異世界交流会と化していた。
その間、父の剛はというと、口を真一文字に結び、額に青筋を立てていた。目の前で繰り広げられる現実離れした会話に、彼は耐えがたいほどの苛立ちを感じているようだった。
「おい陽子、もうその話は…」とでも言おうものなら、母は「信じないあなたが悪いんでしょ」とぴしゃりと言い放ち、再び異世界の話に戻ってしまう。
父はまだ完全には納得していないようだけど、お母さんが無事に戻ってきたことには安堵しているみたいで、以前のような激しい怒りは影を潜めていた。
まぁ、無理もないわよね。突然、自分の娘と妻が「異世界行ってきました!しかも勇者と魔王です!」なんて言い出したら、誰だって頭を抱えるわ。
気づけば、12月も半ば。
私は学期末テスト期間に入っていた。
ルシアン様たちの世界で生きていく自分に、日本の勉強がどこまで必要なのかと考えなくもなかったけれど、この世界にいる間は最後までちゃんとやろうと、私はなぜか生き生きとしていた。
だって、このテストを乗り越えれば、楽しい冬休みと、何より「五光の勇者の物語」イベントが待っているんだもん!
ルシアン様のいる生活、それにイベントまであるなんて、もう尊すぎて私のモチベーションは最高潮!
むしろ、全教科満点取れそうな勢いだ。
一方、大学は既に冬休みに入り、アルドロンさんも見学はし尽くしたとのことで、ルシアン様もアルドロンさんも大学に通う必要がなくなった。
彼らもまた、連日キャンパスで向けられる女子生徒たちの熱い視線には辟易していたらしく、正直ほっとしているようだった。
そりゃそうよね、ルシアン様は私のものだし、アルドロンさんはリリアさんのものなんだから!
私が期末試験を受けている間、アルドロンさんは、最新型のノートパソコンとスマートフォンをデスクに並べ、指を滑らせるように操作していた。
彼のいる和室からは、キーボードを叩く軽快な音と、時折マウスがカチカチと鳴る音が聞こえてくる。
彼は、この世界の膨大な情報網「インターネット」の海を探索し、様々な学術論文や、興味を引く技術に関する情報をダウンロードしていた。
うん、さすが賢者様!探求心旺盛だわ!
ルシアン様は、アルドロンさんが購入した分厚い歴史書や哲学書を読んだり、佐倉家の文化について学ぶことに時間を費やし、私の帰宅を待った。
私が帰宅すると、ルシアン様は私の隣に座り、難しい数学の問題を一緒に解いてくれたり、化学の実験レポートを手伝ったりと、穏やかな笑顔で期末試験の勉強を見てくれたりして、のんびり楽しく過ごしている。
もう、この上ない幸せ!
ルシアン様が家庭教師なんて、夢にも思わなかった!
カスパール君とローゼリアちゃんは、高校の試験を受ける必要がないから、既に冬休みに入っていた。
連日連れ立って、有名テーマパークでアトラクションを楽しんだりと、デートを満喫しているようだった。
ローゼリアちゃんの楽しそうな笑い声が、時折聞こえてくる。
あ〜あ、私も早く冬休みにならないかなぁ…!
冬休みになったら、ルシアン様ともっとたくさんデートできるのに!
***
ある日の午後、男性陣しかいない時間帯に、アルドロンがルシアンとカスパールを呼んだ。
「ルシアン、カスパール。この世界の『インターネット』とやらには、非常に膨大な情報が蓄積されている。様々な事柄を調べることができるのだ」
アルドロンは、器用にパソコンを操作し、画面を二人に向けた。
そこには、彼らがまだ知らなかった、この世界の「文化」に関する情報が映し出されていた。
特に、アルドロンが興味を持ったのは、人間同士の「愛情表現」についてだった。
画面には、男女が顔を寄せ合い、唇を重ねる写真が複数表示されていた。
アルドロンは、その画像を指差しながら、純粋な驚きと探求心に満ちた目で呟いた。
「なんと!髪に顔をうずめる以上の愛情表現(頬にキス)を、セラフィナとルシアンから見せられた時ですら、私は衝撃を隠し切れなかった。しかし、まさかその上に、口づけなる行為が存在するとは…」
アルドロンもカスパールもまた、その「口づけ」なる行為について未知の領域であったため、彼の言葉は驚きに満ちていた。
カスパールは眉をひそめ、やや顔を赤くしながらも、画面から目を離せずにいた。
「俺は、テレビなるもので、これを見たことがある」
ルシアンは、陽子が見ていたドラマを思い出し、静かに言った。
その時、セラフィナを傷つける結果になってしまった「駆け引き」の反省から、彼はこの「口づけ」という行為に対しても、真剣に向き合おうとしていた。
ルシアンは、どこか自信ありげに胸を張り、「これは、恐れていてはいけない。我々の世界とは異なる文化だ。知っておくべきだろう」と、少しばかりの「どや顔」で付け加えた。
カスパールは、そんなルシアンに「ったく…」と小さく舌打ちをしたが、反論はしなかった。
アルドロンは、新たな研究テーマを見つけたかのように、目を輝かせた。彼はキーボードをさらに素早く叩き、関連する情報を次々と表示させていく。
「我々の世界では、一般人たちは子を設けたりしている。それには特別な行為が必要なことは薄々知っていたが、我々勇者は、ガイア様の意向により肉体的な欲求を排してきた。ガイア様は肉体的な情愛、特に生殖行為をあまり好まれず、抱きしめ、髪に顔をうずめることが最高の愛情表現とされていた。生殖行動に関する知識は、庶民ですら結婚後にようやく漠然と知る程度で、あえて探求しない限り触れる機会すらない、まさに禁句の世界だった。勇者は特に純粋であることが求められ、勇者同士の婚姻も前例がなかったからな。私自身も若いころにそれよりも他の研究に興味があったし、リリアも何も言わなかった。ゆえに、我々夫婦には子供がいないのだ。」
アルドロンは、どこか遠い目をして、自分たちの世界の慣習について語った。
そして、その言葉の奥には、彼自身も無意識のうちに、リリアとの間に子供がいないことを気にしていたような感情が垣間見えた。
身寄りのないリルを白亜の城へと連れてきたこともそのような気持ちが根底にあったからかも知れない。
だからこそ、日本で目にした様々な「家族の形」や、温かい「愛情表現」が、彼の研究者としての好奇心だけでなく、夫としての心にも深く響いたのだろう。
彼らの世界では、勇者という特別な存在は、私的な感情よりも世界の平和を優先することが求められていたのだ。
この新たな「学び」は、彼らにとって、自分たちの世界とは全く異なる文化、そして愛情の形を知るきっかけとなるのだった。
***
母の異世界転移というまさかの出来事も一段落し、今は期末試験が間近に迫り、私はバタバタと過ごしていた。そんなある日の昼休み、廊下で教科書を読んでいる私の元へ、健太郎と有紀が並んで歩いてきた。
彼らはもう、ルシアン様たちが異世界から来たことを理解していた。
特に健太郎は、ルシアン様と話をして以来、以前のような気まずさはなくなっていたし、有紀も母の転移騒動を通じて私との距離を急速に縮めていた。
「花!」
有紀が明るい声で私に駆け寄ってきた。
「お母さん、本当に良かったね!無事に帰ってきてくれて!」
健太郎も隣で静かに頷いた。
「ああ、佐倉先生も憔悴しきってたからな。お前のお母さん、無事に戻ってきて本当によかった。…あの光景にはさすがに、びっくりしたけどな。」
彼の言葉には、以前の疑念とは違う、目の前で起きた現実への驚きと、純粋な安堵が混じっていた。
「うん、ありがとう!二人とも!」私は、心から安堵した笑顔で答えた。
しばらく世間話をした後、有紀は周囲をちらりと見て、少しだけ声を潜めて尋ねた。
「あのさ、花…それで、ルシアンさんって、本当に、花の…婚約者なんだよね?」有紀の言葉には、もはや戸惑いというよりは、信じられない現実の確認と、私への心配、そして抑えきれない好奇心が入り混じっていた。健太郎も口元は真一文字に結ばれているが、その視線は私の答えを強く待っていた。
私は、健太郎と有紀の顔を順に見つめ、そして、はっきりと、迷いのない声で伝えた。
「ルシアン様はね、私の最愛の『推し』であり、そしてかけがえのない婚約者だよ!」
健太郎と有紀は、その言葉に再び思わず息を呑んだ。
陽子とエリアス様の転移を目の当たりにしたとはいえ、やはり私から直接聞く「婚約者」という言葉は、彼らにとって、この状況が単なる夢や妄想ではない、厳然たる真実であるという重みを突きつけた。
二人の表情は驚きに満ちていた。
私の迷いのない瞳を見て、彼らは言葉を失うしかなかった。
健太郎は視線を床に落とし、有紀は驚きで口元を押さえていた。
その沈黙を破るように、有紀が震える声で尋ねた。
「花…じゃあ、私たち、もう会えないの…?」
その問いに、私は少し寂しげに微笑んだ。
「ううん、そういうわけじゃないよ。ただ、今みたいに頻繁には、行き来できないかもしれないけど。」
健太郎は、ゆっくりと顔を上げた。その目は少し赤く、複雑な感情が入り混じっていた。
「そっか…寂しいけど、二度と会えないわけじゃないんだな。」彼の声は静かだったが、心からの祝福と、わずかな安堵が込められているのが分かった。
私の幸せを願い、そして「二度と会えないわけじゃない」という可能性に希望を見出してくれていることに、胸が熱くなった。
「ありがとう、健太郎!有紀も!」 私の感謝の言葉に、有紀は安堵したように微笑み、健太郎は照れたように視線を逸らした。
それからというもの、有紀と健太郎とはよく学校の行き帰りに、昔の思い出話に花を咲かせた。
いつも隣で笑い合っていた二人との時間は、私にとってかけがえのない宝物だ。
私たちはもう、異世界という壁を越え、お互いの大切な人として、新たな関係を築いていくのだ。




